第115話 森谷溶接所
小学校で暴力事件を起こした後、俺は進路を変更して公立の中学校へ通うことになった。そこは文字通り別世界で、最初は戸惑うことが多かった。何の比喩でも無くて、生きていた世界が違ったのだと思い知らされた。
俺は当然のように浮いた存在となったが、やがて彼等の文化に慣れると、なんとか会話は成立するようになった。そういうレベルで、俺と彼等の間には違いがあったのだ。
三年生になる頃には、周囲に合わせた生き方が出来るようになっていた。友達と呼べる存在も居て、放課後に何処かへ行って遊ぶこともあった。
この時に連んでいた連中は、いわゆる不良だった。連むようになった理由は、変な言い掛かりをつけて殴りかかってきた上級生を返り討ちにしたことが原因だっただろうか。
一流の英才教育を受けていた俺は、何においても普通の人より頭ひとつ抜けた存在だった。だから嫌でも目立ち、頭のおかしい上級生に目を付けられることになった。格闘技の心得もあったから護身のつもりで相手を無力化したのだが、それがいけなかった。
気が付けば毎日のように上級生と喧嘩していた。そのせいで同級生の不良から妙に尊敬され、付きまとわれる形で連むことになったのだ。
今になって思えば、かなり治安の悪い学校だったらしい。そんな場所に適応した俺がどのような性格になったかは、想像に難くないだろう。
卒業後、俺は高校への進学はせず、家からも出た。金は無かったけれど、ちょうど一人暮らしを始めることになった友人の部屋に居候することになった。
彼の名前は後藤とかそんな感じで、飯まで恵んでくれる素晴らしい男だった。彼のおかげで食べ物と住む所には困らなかったが、流石に服が一着というのはマズイから、どこかで働く事にした。
「というわけなんだ。誰かいいとこ知らないか?」
そう決めた次の日、たまたま集まって遊ぶことになった五人に声をかけた。
「え、りょーちゃん働くの? うける」
手を叩いて笑っている女の名前は、みゆき。彼女がみさきの母親だ。
「龍誠さん! 服くらい俺が買いますよ!」
「いや、全部お前に任せっきりってのは流石に気が引ける」
「俺がやりたいんすよぉ!」
「
「ワンワン!」
二人のやりとりに笑いが起こる。俺は何が面白いのか分からなかったけれど、周りに合わせて笑っておいた。そうすることには慣れていた。
「てか、りょーちゃん親のコネでどうにでもなるんじゃないの?」
「言っただろ。産まなきゃ良かったって言われてから一度も話してない」
「そーじゃん。うける」
俺が資本家の子供だということは何故か皆が知っていたが、親についての話題はいつもこのように流していた。今になって思えば重たい内容だったのだが、周りの反応はむしろ
「暴力事件起こして勘当されたって話っすよね!? 龍誠さんのことだから、その時も誰かを護る為だったんじゃないっすか?」
むしろ、俺の評価を上げていた。
過去の悪行を武勇伝として自慢するかのような薄ら寒いやりとりに近い。
「どこで知った?」
「風の噂っす! で、どうなんすか!?」
「べつに、ムカついたから殴っただけだ」
「やっぱ護る為じゃないっすか!! 龍誠さんマジ尊敬します!」
「りょーちゃん優しいよね」
そうだよねー、俺もこの前さー、あー俺もあの時。
と、周りで次々と昔話が始まる。
どういうわけか、俺は喧嘩が強いというだけで異常に好かれていた。最初の頃は不気味に思っていたのだが、慣れれば悪くない気分だった。
さておき、俺が仕事を探しているという話は仲間内で瞬く間に広まった。
「ここです。俺の親戚が働いてる工場なんすけど、中卒でも拾ってて、給料も悪くない場所なんすよ」
「そうか、ありがとう」
こうして訪れたのが、今は無い『
俺は工場長代理とかいうオッサンから面接を受けて、バイトとして雇ってもらえることになった。
まずは工場を見学することになり、やけに油臭くて暑苦しい場所を歩き回った。
「おう! おまえが新入りか!」
「どうも」
工場内には気の良いオッサンが大勢いて、俺の姿を見るなり声をかけてきた。ついさっき面接が終わったばかりなのだが、既に話が通っているようだ。面接を行う前から結果が決まっていたのかもしれない。
あまりに絡まれるから、うんざりした俺は途中で身を隠して人目の無い所へ向かった。
工場の裏側。
外にある道路とはフェンスで隔離されていて、フェンスの近くには木が生えている。風通しも良い。なかなかのサボリスポットだと思った。
「……し、……か〜?」
思わず舌打ち。
どうやらここにも人がいたらしい。
別の場所を探そうと踵を返した時、ジャリっと大きな音が鳴った。何か踏んでしまったらしい。
「……ッ!?」
バッチリ気付かれた気配。
溜息を吐いた後、いっそ堂々と挨拶してしまおうと思い姿を見せる。
テンションの低いオッサンだといいなと思って相手の姿を見て、思わず言葉に詰まった。
「い、いやぁ、サボったてたワケじゃねぇんだよ。こいつがさ、ハラ減ったって……あれ、あんた誰?」
そこには、猫に餌を与えている女がいた。下はジャージで上は白のティーシャツというラフな格好で、髪は眩しいくらいの金色だった。
「ここの新入りで……君は?」
「おー、なるほど。新入りかぁ!」
人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて立ち上がった女を見て、また驚く。俺は中学最後の測定で170センチを超えていたが、この女は俺よりも大きかった。
何故か猫を抱いて立ち上がった女は、そのまま俺に近付いて手を伸ばした。
「オレは朱音。新しい仲間は大歓迎だ! よろしく」
「……ああ、よろしく」
とりあえず、握手をした。直前までは巧妙に化粧でごまかしたオッサンかと疑っていたが、その手の柔らかさはオッサンのそれとは違っていた。
「おお、あんたゴッツイ手してるな。うちの男共に負けてないよ」
「どうも。その猫なに?」
「こいつ? 可愛いだろ〜。よく工場に入ってきてさ、千切ったパンをあげるとパクパクぅ〜って。それがまた可愛くて……あ、いや、サボってたワケじゃないからな? 誰にも言うなよ?」
取られそうになった玩具を隠す子供のように、猫を抱く腕に力を込めた。抱かれた猫は呑気に欠伸している。後ろに柔らかいクッションがあるから気持ちが良いのだろうか。
「あ、オレのことは朱音でいいから。あんたは?」
「龍誠だ。好きに呼んでくれ」
「そうか。はは、男みたいな名前だな」
「男だからな」
「え?」
これが朱音との出会い。
この日から、俺の工場での生活が始まった。
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