第四章 昔のこと

第113話 買い物に行った日

 夏も終わり涼しくなり始めた頃、ある事件が発生した。


 夜、突如として部屋の中に重たい音が響き渡った。


「どうした!? なんだ今の音!?」


 俺は飛び起きて周りを見た。この部屋に電気は通っていないから、夜は本当に暗い。夜に慣れた俺の目でも、みさきのシルエットを捉えるくらいしか出来ない。


 その結果。


「……いたい」


 みさきが、布団に躓いて転んだ。




 というわけで、俺は電球か何かを買いに近くの大型ショッピングモールへ訪れた。というか、この街で買い物をするならここしかない。服や布団など、部屋にあるものは全てここで揃えた。


「ちょっと人が多いな……みさき、肩車するか?」

「……ん」


 どうやらローカルアイドルのなんちゃらというグループが来ているらしく、休日であるということ以上に人が多い。祭りの時ほどでは無いけれど、みさきと一緒に人混みに突っ込むという状況から夏祭りを思い出した俺は、肩車を提案した。


 頷いたみさきを肩に乗せて、立ち上がった直後。


「あー!! みさきがいるー!」


 どこからかゆいちゃんの声が聞こえて、珍しく私服を着ている保護者とも目が合った。


「よ、買い物か?」


 ぶんぶん手を振るゆいちゃんの前にみさきを下ろしながら声をかける。


「はい、娘と」


 結衣は人当たりの良い笑顔で返事をした。

 ゴールデンウィークが終わった辺りから、彼女は妙に態度が柔らかくなった。個人的には不気味で仕方が無いのだが、本人に言ったら酷い罵倒を受けそうなので決して言わない。


「なにか、失礼なことを考えていませんか?」


 まあ、言わなくてもバレるのだが。


「気のせいだ。何を買いに来たんだ?」

「防犯グッズです」

「防犯?」

「はい。あなた、いえ、危ない人からゆいを護るための品物を購入しに来ました」


 こいつにとって俺は危ない人なんだな、よくわかった。


「貴方は何を買いに来たのですか?」

「なんか光る物」

「なるほど、では行き先は別ですね。また会いましたら」

「ママ!!」


 軽い挨拶を終えてそれぞれの場所へ向かおうとした時、ゆいちゃんが大きな声で叫んだ。


「みさきとあそびたい!」


 大人どうしで話している間に、二人も仲良く話していたようだが、どうやら一緒に遊ぶことになっていたらしい。ゆいちゃんの要望を受けて、しかし結衣は渋い表情をする。


「ゆい、今日の目的は買い物ですよ」

「ママとりょーくんでいってきて!」

「……ゆい、それに関しては有り得ないと何度も」

「あーそーびーたーいー!」


 結衣は何やら小さな声でゆいちゃんを説得しているようだが、本人はみさきと遊びたくて仕方がない様子だ。


 意思確認の意味を込めてみさきに目を向けると、みさきはコクリと頷いた。


「いいんじゃねぇか? こんなに遊びたがってるんだし」

「遊ぶって、どこで遊ばせるつもりですか?」

「ほら、三階に何かボールが沢山あるところ有っただろ? そこに預ければいいんじゃねぇか」

「そーしよー!!」


 ゆいちゃんに助け舟を出すと直ぐに乗ってきた。

 結衣は恨めしげな表情で俺を睨んだあと、溜息を吐いて、ゆいちゃんに向き直った。


「ゆい、ママと一緒に買い物をする約束では?」

「だんちょうのおもいで、りょーくんにゆずります」

「ゆい、その言葉は笑顔で言うものではありません」

「だん、ちょうの……おもい、で……りょー、くんに」

「……はぁ、分かりました」


 どうやらゆいちゃんは結衣の説得に成功したらしい。結衣は諦めたように、再び深い溜息を吐いていた。俺も久々にみさきと買い物をするのが楽しみだったから気持ちは分かるが、本人の意思では仕方がない。




 みさき達をキッズコーナーに預けた後、俺は不機嫌そうな結衣と二人で買い物をすることになった。


「では一時間後、二階のエレベータ前に集合しましょう」


 と思った矢先、結衣は冷たい声で言って、すたすたと歩き出してしまう。俺としては一人で買い物をすることになっても構わないのだが、せっかくなので追いかけることにした。


「へーい! つれないこと言うなよー!」

「嫌な絡み方しないでください」

「綺麗な笑顔だけど怖いくらいテンション低いな。せめてどっちかに統一してくれ」

「……」


 笑顔のまま、結衣は動きを止めた。

 ごめんなさい、喋ってないと本当に怖いです。


 会話を初めてから十秒もしないうちに言葉が出なくなって困っていると、結衣が呆れたような表情で口を開いた。


「……やっぱり、他人の空似に決まっています」

「え、なに?」

「相変わらず変な人ですねと言いました。初めて会った時からそうでしたが、さらに悪化していますね。特に最近は酷いと思います」


 話しながら、結衣は歩き始めた。

 ついてこい、ということらしい。


「懐かしいな。初めて会ったのって、路地裏で俺が絡まれてる時だっけ?」

「そうですね」

「なのに、ケンカしてるって勘違いされて追いかけられて……チンピラより怖かったぞ、あれ」

「自業自得です」


 不機嫌そうな表情のまま結衣は言った。我ながら怒られても仕方の無い話をしている自覚はあるけれど、当時の事を思い出すと、なんだか楽しい気持ちになる。


「……」

「どうした、俺の顔をじっと見て」


 結衣が無言で俺のことを見ていたから、思わず強張った声が出た。

 しかし結衣は何事も無かったかのように目を逸らして、また前を向く。


 相変わらず謎の多い奴だなと思いながら、俺は次の話題を振った。


「そういえば、あの時なんか変なこと言ってたな」

「私は常に正しいことを言っていると思いますが」

「ほら、他人になんとかするのは許さないとか、優秀な人間が不当な評価を受けるとか」

「……よく覚えていますね、そんなこと」


 ん、なんだこの表情。

 呆れてる時とは違って……


「なんですか?」

「いや、なんでもない。あの台詞って、過去になんかあったりしたのか?」

「貴方に話すようなことじゃありません」

「だよな。ところで、今どこに向かってるんだ?」

「ケータイコーナーです。最新の防犯ブザーを購入します」

「そうか」


 そこで会話が途切れた。

 どうしてかモヤモヤする内容だったのだが、この気持ちが何処から来るのかは分からない。


 なぜ? そう考えながら歩いていると、不意に結衣が足を止めた。


「やっぱり、気持ち悪いです」


 呟いて、結衣は俺の方を見た。


「子供の日にも少しおかしいような気がしていましたが、ゴールデンウィークが終わってからの貴方は明らかに変です。貴方こそ、何があったんですか?」


 いつもの凛とした態度で、淀みなく言った。


 俺は即答することが出来ない。

 彼女の言葉が的外れでは無いからだ。


「なんだよ、今日はやたら機嫌が悪いな」

「話を逸らさないでください」


 雑踏の中であっても、彼女の静かな声は真っ直ぐ俺の耳に届いた。

 その声が、目が、俺に逃げることを許さない。


「……そんなに、おかしかったか?」

「ええ、吐き気がするくらいに」

「そこまでか」


 いつものように笑おうとしたけれど、とても乾いた笑いになってしまった。

 彼女の言う通りだ。内容までは分からないようだが、時期は完全に当たっている。ゴールデンウィークの前後、確かに俺にとっては大きな出来事があった。だけどそれは、誰かに話して聞かせるような内容では無い。


「……気にしないでくれ。俺の問題だ」


 どうにか言葉を絞りだすと、彼女はやれやれといった態度で、何度目かの溜息を吐いた。


「貴方は記憶力が良いのか悪いのか、どちらなのですか?」

「どういう意味だ」

「困った時は友達を頼れ。貴方が言った言葉ですよ」


 結衣は堂々と、しかし少しだけ照れくさそうな表情で言った。

 悩みがあるなら友達に、私に相談してくれと、そう言った。


「かっこいいな、おまえ」


 俺は素直にそう思った。実際に、みさきの件では彼女に助けられている。親権とか法律とか、そういった俺には手も足も出ない問題を、しかし彼女はいとも簡単に解決してしまった。


 だけどこれは、こればっかりは、誰かを頼ることは許されない。


「それじゃ、買い物に行こうか」

「どんな文脈ですか」

「ありがと、元気になった。それじゃ、買い物に行こうか」

「そんな投げやりな……って、なんで本当に元気になってるんですか」


 だから何で分かるんだよ。

 俺ってそんなに思ってることが顔に出やすいのか?


「ところで、防犯ブザーってケータイコーナーに売ってるのか?」

「見守りケータイのことです。ご存知無いでしょうから、あえて最新の防犯ブザーという表現をしました」

「そ、そうか。そんなのがあるのか……」


 自然に、雑談が始まった。

 彼女に見抜かれた通り、俺の内心は数ヶ月前からグチャグチャだった。しかし結衣との短い会話で、いくらか整理されたような気がする。これが友達という存在なのだろうか?


 友達、ともだち。

 思えば俺にとっての友達は、いつも特別な存在だった。


 今では連絡を取り合うような友達は残っていないし、ほとんどの顔と名前を忘れてしまったが、そんな俺でも、たった二人だけ忘れられない相手がいる。


 それは小学生の時に出会った元気な女の子と、中学を出て直ぐに出会った男みたいな女。

 

 この二人は俺に大切なことを教えてくれた。

 だけど、二度と出会うことは無いと思っていた。


 あの日、仕事で工場に行くまでは――


「そういえば、貴方はケータイを……ああ、審査が通りませんよね」

「聞いたうえで自己解決しながら毒を吐くとかレベル高いな。あとその爽やかな笑顔やめろ」

「土下座するのなら、私の名義でガラケーを一台だけ差し上げましょうか?」


 まったく、少しは態度が柔らかくなったと思っていたが、やっぱりこいつはコレだよな……。


「いらねぇよ。困ってねぇし」

「ケータイ電話を使いこなせない老人が強がって言う台詞ですね。実際、貴方への連絡手段が無くて、私が困っているのですが」

「そうだったのか?」

「そうです。みさきちゃんの件で話をする際、わざわざあの物置きみたいな部屋に足を運ぶのは苦痛で仕方ありません。せっかく出向いたのに不在だった時なんて、ゆいのお皿にトマトが出るくらい気分が悪くなります」

「娘に八つ当たりすんなよ!? 悪かったって」


 パチンと手を合わせて頭を下げる。


 ケータイなんて持ったことが無いというか、公衆電話しか使ったことが無かったが、確かに周りを見るとケータイ持ってるもんな。やっぱ必需品なのか……。


「ケータイって、電気で動くんだよな?」

「なんですかその質問」

「いやいや重要だぞ」

「……まったく、普通に充電器をコンセントにさすだけです」

「そうか、なら何とかなるな」

「なるほど、買う決意をしたようですね。では早速、土下座してください」

「それ本気だったのかよ……いいよ、自分で契約するから」


 心なしか機嫌が良くなってきた結衣と話をしながら歩き続けること数分、いつのまにかケータイコーナーに到着していた。


 ソフト銀行とか日本昔話とかキノコとか、意味の分からない文字の書かれた白い箱みたいな物に、様々なケータイが並べられている。


 え、ケータイって一種類じゃねぇの?

 いやいや、ただの色違いに決まって……うわ、見たくないもの見えた。色違いじゃないのかよ。


 嫌だ、帰りたい、頭が痛くなってくる。


「自分で契約するのですよね?」


 相変わらず心を読んだようなタイミングで結衣が言う。

 その表情は明らかに楽しそうだった。


 こいつ、やっぱり性格悪い。


「お、おう。やってやるよ」

「そうですか。では、私はカウンターに向かいますね」

「か、カウンター? そこに行けばいいのか?」

「自分でやるのでは?」


 くっそ楽しそうな表情しやがって子供か!!


 ……ん、なんか、どっかで見たことあるような。

 なんて、気のせいか。


「らっしゃっせー、って、あ! 兄さん久しぶりじゃないっすか!!」


 なんだこのチャラい店員……って、ああ、布団と水着の時の!


「いやぁ、まさかまた会うとは思いませんでしたよぉ。今日は……デートっすか?」

「チゲぇよ」

「そりゃデートでケータイコーナーになんか来ないっすよね! ということは、嫁さんっすか!?」

「違います。他人です」

「……す、すみませんでした」


 うわ、こわ。

 あの店員が真面目な表情で謝ってるよ。


「えっと、兄さんはケータイ買いに来たんすか?」


 店員は素晴らしい切り替えの早さで、しかし心なしか結衣から距離を取りながら言った。

 俺は苦笑いしつつ、


「そのつもりだが、よく分からなくてな。助けてくれ」

「わっかりましたぁ! いやぁ、この仕事ってノルマ的なものありまして、ほんと助かりますぅ」


 くい。


「へー、ノルマなんてあるんだな」

「はい。あ、でもその代わり時給高いんで、助かってるんすよぉ」


 くい、くい。


「そうか、なら早速」


 くいっ。


「なんだよ、服を引っ張るな」

「ケータイなら、こっちです」

「こっちって、お前カウンターとかいう所に行くんじゃなかったのか?」


 うわ、こわ。

 なんかすげぇ表情で睨まれた。


「あのぉ、お客様? 私の客を取らないでいただけると……」


 うわ、こわ。

 店員相手でも容赦ねぇよこいつ。


 どうして怒っているのか分からないが、とりあえず俺は店員にすまないと目で伝えて、結衣に引っ張られることにした。


「こちら、私が仕事で使っているのと同じモデルです。これにしましょう」

「そ、そうか……そうだな」


 怒っている理由は分からないけれど、俺は逆らわない方が良いと判断した。


 そんなこんなでカウンターに向かったのだが、身分証の提示とかいう所で手詰まりとなり、結局は結衣に土下座することになった。月々の使用料については、それほど高額では無いし、電話だけなら定額らしいので、とりあえず一年分を結衣に手渡した。


「いりません」


 と何故か拒絶されたけれど、こればっかりは食い下がって、なんとか金を受け取ってもらえた。


 その後は俺の買い物だ。

 妙にギクシャクした空気の中で電化製品を扱っている店に向かい、ここでも何故か結衣がオススメの品を即座に手にとって、ついでに俺を引っ張ってレジへと運んだ。


 俺は逆らえなかった。


 こうして買い物が終わり、みさき達が待つキッズコーナーへと向かう。

 行きとは違って会話は無かった。


「……あの」


 ようやく結衣が言葉を発したのは、エスカレータを使って三階に向かう途中だ。


「ケータイ、出してください。私の番号、登録しておきます」

「お、おう……」

「そのあとケータイ電話の使い方を説明するので、一度で覚えてください」

「分かった」



 この日の買い物は、こんな感じだった。

 帰り道、俺はみさきに問いかける。



「みさきって、ゆいちゃんのママと半年一緒にいたんだよな?」

「いた」

「怖くなかったか?」

「……ん?」


 きょとんと首を傾けたみさき。

 怖くなかったらしい。


「そうか。なら、いいんだ」

「……ん」


 やっぱり、あいつのことは良くわからない。

 そう思った日だった。

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