第38話 小日向さんとの秘密の日(後)

 公園に着いた後、俺達は並んでブランコに座っていた。


「……というわけで、みさきの機嫌が直らないんだ。あいつ、何か言ってなかったか?」

「みさきちゃんですか……? いえ、いつも通り可愛いなとしか……」


 他に音が無いからか、呟くような会話もはっきりと耳に届いた。気温は薄着の俺が少し涼しいと感じるくらいで、風はほとんど吹いていない。だが小日向さんにとっては寒いのか、相変わらず肩を抱いていた。


「悪いな、上着とか持ってれば貸したんだが……」

「え? ……あぁいえ、寒くないです。むしろ熱いというか、いえ、なんでもないです」


 相変わらず言動はおかしいが、これくらいなら普段通りだ。どうやら酔いも冷めたらしい。


 小日向さんは人差し指を顎に当て、うーんと声を出す。


「言われてみれば、いつもより動きがゆっくりだったような気がします、はい。てっきり眠いのかなと思ってました」

「そうか……」

「なにか心当たりとか無いんですか?」

「有れば直ぐにでも土下座するんだが……」

「ふひひ、土下座ですか」


 短く笑って、小日向さんは下を向く。俺は彼女の綺麗な横顔を見て、ふと前髪に隠れた目がどんな色をしているのか気になった。


 小日向さん、ロリコン達、不審者さん、それから兄貴……みんなキラキラした目をしていた。それは俺が見慣れたギラギラとした目とは違い、見ていると少しだけ気分が落ち着く。俺が生きている世界は昔とは違う、確実に変化していると、そんな風に思うことが出来るからだ。


「うーん、みさきちゃん、どうしたんでしょうね……」


 小日向さんの立場になってみれば、俺は深夜に部屋に押しかけて娘に着いて相談してくる非常識な相手だ。それなのに、嫌な顔ひとつしないで話を聞いてくれるだけでなく、真剣に考えてくれる。


 もしも逆の立場だったら、俺はどうするだろうか。

 みさきと出会う前なら確実に無視していた。でも今なら、どうだろう……話くらいは聞く……のだろうか?


 くしゅん。別のことを考えていたら、隣で小日向さんが大きな咳をした。


「ぉぉぉぅっ」


 アメリカ人のような声を出しながら、先程よりも強く肩を抱く小日向さん。


「悪い、帰るか。俺のせいで体調を崩しちまったら申し訳ない」

「ひ、ひぇっ、そういうことではにゃくっ、わ、わわ――」


 突然あわてた様子で立ち上がった小日向さんがバランスを崩し、そのまま後方へ倒れた。あまりに突然のことで反応できなかった俺は、少し遅れて手を伸ばす。


「……大丈夫か?」

「ら、らいじょうぶれす!」


 と言って、飛び退いて俺から距離を取る小日向さん。


「……俺、なにかしたか?」

「ひえっ! とんれもにゃい!」

「正直に言ってくれ。じゃないと、この先も同じ失敗をするかもしれない」

「ほんとっ、そういうのじゃないれす大丈夫れす!」


 激しく手を振って否定する小日向さん。


「……ぁぁぅ、ダメ、なんで……さっきと違う……」


 地面に膝を着いて両手で胸を抑え、苦しそうな呼吸を繰り返す小日向さん。


「まさか、発作か何かかっ?」


 声をかけると、彼女はビクリとして顔を上げた。それから、なぜか脚をさする。最新の医療法か何かなのだろうか……? そんな風に不思議に思いながら見ていると、やがて落ち着きを取り戻した小日向さんがゆっくりと立ち上がった。


「……ふへへ、すみません。お見苦しい所を」

「いや、気にするなというか……本当に大丈夫か?」

「もちろん、大丈夫、ですよ……?」


 まったく大丈夫そうじゃないんだが……。


「ええと、あれですよ! みさきちゃん!」

「……おぅ、何か分かったのか?」

「私が聞きます! 明日! お風呂で!」

「……そうカ、それは助かル、ありがとウ」


 小日向さんのテンションに気圧されて、思わずカタコトになってしまった。


「なので、今日は帰って寝ましょう! そうしましょう!」

「……そうだな」


 そうか、そうだったのか。まさか小日向さんが奇病に侵されているなんて知らなかった……そんな日に呼び出しちまうなんて、俺はなんて最低なヤツなんだ! 逆に、そんな日でも相談に乗ってくれるなんて……なんていい人なんだ!


「よし、そうと決まれば早く帰ろう。ちゃんと送るよ……隣だけどな」

「……いえ、その、私は……ちょっと、お花を摘みに」

「待つよ、それくらい」

「えぇっと、その……長く、なりそうなので」

「構わない、朝までだって待ってやる」

「悪いですそんなの!」

「俺の方こそ迷惑をかけてるんだ。これくらい、させてくれ」

「……私は、べつに、迷惑なんて」


 俯いて、もじもじと脚を動かす小日向さん。


 ……これ、あれだよな。とても口には出せないが、我慢してるってことだよな?


「……分かった、先に帰る。ほんと、わるかった」

「とんでもないです、はい。では、その……また、あした」

「ああ、また明日」


 何度か振り返りながら、俺は公園を去った。

 たぶん小日向さんは俺の姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。


 少し歩いて、完全に公園が見えなくなったところで立ち止まり空を見上げる。

 大きく息を吸って、長い溜息を吐いた。


 俺には、苦手なものがいくつかある。

 そのひとつが、女性の扱いだ。

 思えば五歳のみさきですら怒らせてしまうのだから、大人である小日向さんを怒らせてしまうのは必然だったと言えるだろう。今更だけどな……。


 デリカシーとか、そういうの、どうやったら学べるのだろう。そもそも、今日は何が悪かったのだろうか? 思い当たる事といえば、そもそもこんな時間に相談するってのが間違っているのだが、それで怒るなら最初から怒っていたはずだ。


 ……全然わからん。


 とりあえず、小日向さんと話をしたことはみさきには秘密にしておこう。子供からすれば、親が自分の機嫌を直す為に誰かに相談してるとか嫌だろうからな。


 と、こんなことを考えながら、俺は独り帰路を歩いた。

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