第37話 小日向さんとの秘密の日(前)

 

 頭のおかしいシュミレーターで時間を浪費した日の深夜。みさきの機嫌は、まだ直っていない。


 今は気持ちよさそうに眠っているが、数時間前に迎えに行った時も、その後ご飯に行った時も、銭湯へ行ったときも、おやすみと挨拶をした時も……みさきは、不機嫌だった。


 音の無い夜。そろそろ日付が変わる頃。

 絶望という闇に飲み込まれそうになっていた俺は、最後の力を振り絞って部屋から出た。


 思えば順序を間違えていた。こういったことを相談できて、しかも頼れる相手が身近に居るというのに、俺はいったい何をしていたのだろう。


 星明かりに照らされた広い空を見て、自分はなんと視野が狭かったのだろうと思いながら息を吐く。そして、ドアをノックした。


「……小日向さん、起きてるか?」


 近所迷惑にならないよう、もといみさきを起こさないよう細心の注意を払って声を出した。その直後、ドタドタという大きな音が小日向さんの部屋の中から聞こえる。


 ……何やってんだ?


「大丈夫かー?」

「すすす、しゅこしまってくだしゃい!」



 ------ Mayumi side ------



 次は姉ショタ本にしよう。

 そう決めた檀は、ネタを考えていた。この本は夏コミで出す予定だから、夏をテーマにした季節ネタを入れてもいいかもしれない。季節ネタって何、水着? でも水着は去年描いたばかりだし何か他の……。


 こんな具合に考え続けて、最終的に頭に浮かんだのが『ニップレス』だった。


 夏、エロい、スケティー、ニップレス。こんな感じの連想である。ちなみにニップレスというのは、スケティー、及び衣類の摩擦からビーチクを守ったり隠したりする為の発明である。


 ……ふひひ、キタ、キタキタ舞い降りた!

 ニップレスを知らないショタがムチムチお姉さんのスケティーに目を奪われ、乳輪でか! と思わず声を出す。姉は妖艶に笑って、ニップレスについて優しく教えてから、剥がしてみる? と誘い、上手に出来ましたねーと抱き締めた所でショタのショタがシャッターチャンスで……ふひひ、イケる、これは萌える!


 さて、次の問題は一次にするか二次にするかである。姉ショタ物を二次創作しようとした場合、美味しい原作が無いという問題が常にある。だから多くのショタコン、もとい同人作家は一次創作という手を用いる。


 ……うーん、どうしよ。春か夏にいい感じのアニメあるといいんだけど。


 迷った末、とりあえず保留にして資料を集めようと考えた。女性作家である檀には、自前で資料を調達できるという強みがある。資料というのは、つまりそういうことである。絶望的におっぱいが足りないが、そこは妄想でカバーする。


 というわけで友人に道具類を頼むと、翌日の昼に荷物が届いた。ウキウキしながら無駄に大きなダンボールを開いて、そして悲鳴をあげそうになった。


 そこにはニップレスと、ピンク色の悪魔が居た。悪魔は掌に収まるくらいの大きさをした丸い物体で、一本の線が伸びている。その線は機械へと繋がっていて、機械を弄ると悪魔が振動するという仕組みだ。


 唖然としながら、友人からのメールを確認する。


 有効活用してね。


「どういうこと!?」


 思わず声が出た。有効活用って、つまりそういうことなのだろうか。ニップレスを剥がしたらビーチクではなく桃色の悪魔が現れるとか、そういうことなのだろうか。


「ないないないないないない! 頭おかしい!」


 と叫んだものの、残念ながら我々の業界において頭おかしいは褒め言葉である。


 試してみることにした。


 時間は深夜、これから少なくとも朝までは誰も部屋に訪れないはずだ。

 檀は懐中電灯で照らした鏡の前に立ち、まずは悪魔だけを装着した自分の姿を写した。


 ……うわぁ、変態だ。変態がいる。


 激しく自己嫌悪しながらも、誰も見ていないという安心感と、本の為という使命感が檀を突き動かした。セロハンテープを悪魔に装着した時から覚悟は決めてある。


 ……漫画ではよく見る絵だけど、こんな大きな物がビーチクの上で振動するって……なにそれ痛そう。


 断固として機械には触れないと決意して、ニップレスを手に取った。


「……あれ、おかしいな」


 今度こそ、ニップレスを手に取った。


「……違う違う、これじゃなくて」


 今度こそ、ニップレスを……


「……どう、して? 何度繰り返しても、この危険な機械に触れちゃうっ!」


 ぶっちゃけ興味がある。エッチな漫画を描いている痴女が何を申すかと思われるかも知れないが、それほど性に貪欲でない檀は、こういう玩具に手を出したことは無い。だけど漫画の中のヒロインが「んぎもぢぃぃぃぃ」とアヘっている姿を見て、一回くらいは試してみたいと思っていた。その機会が、訪れてしまったのである。


「檀、行きます! というガンダムネタが下ネタに聞こえてしまう状況に、私は戦々恐々としております」


 これを起動したら声とか出ちゃうのだろうか。もしもドはまりして戻れなくなったらどうしようか。


 期待と不安を胸に、檀は悪魔を起動した。


「おぉぅ……」


 声、出ちゃった……///

 と言える余裕があるうちに悪魔を停止した。


「……ふひひひ、まゆみさん、ご感想をどうぞ。え、感想ですかぁ? そうですねぇ、二度とやりたくないっていうかぁ、痛かったー、みたいなー?」


 思わず一人芝居をしてしまうくらい痛かった。全然気持ちよくなかった。やっぱり二次元と三次元は別世界らしい。


「またひとつ夢を失ってしまったでござる」


 あぁ、今後玩具で虐められてるヒロインを見たらどうすればいいのだろう。きっともう萌えの前に同情というか、そういう気持ちで胸が痛くなってしまう……。


「巨乳だとイケるのかな……?」


 檀は強引に夢を見て、今度こそニップレスを手に取り、悪魔の上に装着した、その瞬間だった。


「……小日向さん、起きてるか?」

「っ!?」


 あまりの驚きに、全身が誤作動した。その結果、悪魔が起動し、さらに近くにあった鏡が倒れてしまう。身を挺して鏡を庇うと、その代償として足元にあったグッズがドミノ倒し的に被害を生む。


 ……やばやばやばいっ、親フラとかそういうレベルじゃないよ!?


 男子諸君なら自室でナニをナニしている最中に母親が突撃してくる恐怖を想像できるであろう。ちょっとエッチな女の子もきっと同じようなことを想像できるはずだ。でもこれはそういうレベルじゃない。上裸で、しかも悪魔を装着した言い訳不可能な格好をしている時に、意中の彼が突撃してくるかもしれないという状況なのである。しかも……この数日間で作り上げた天童さんグッズが、あちこちに。


「大丈夫かー?」

「すすす、しゅこしまってくだしゃい!」


 ……無理、ダメ! この部屋には絶対に入れられない!


 改めて現状を確認すると、自分自身はあられもない恰好で悪魔に取り憑かれていて、周辺には空き巣にでも荒らされたかのような家具。そして彼方此方に散乱する天童さんグッズ。


 ……片付けなきゃっ、でもこれゼッタイ十分くらいかかるよっ、そんなのダメ怪しまれちゃう!


 彼女は激しく瞬きを繰り返しながら、打開策を探した。


「ぉぉぉぅ、痛い、痛い痛い痛いっ」


 まずは悪魔を停止する。そこで悪魔に意識が移った事により、最優先でコレをどうにかしようという発想に至った。そんな彼女の目に、先ほど脱いだばかりのパジャマが映る。


 ……これだ!


 彼女は急いでパジャマを着て、鏡で胸元が透けていないことを確認すると、外へ飛び出した。


 この時の彼女には、悪魔を封印する余裕すら残っていなかった。


 ------ Ryosei side ------



 数分後、ピンク色のパジャマを着た小日向さんがそっと開いたドアから現れた。彼女は後ろ手にドアを閉めると、薄着なせいで寒いのか両手で肩を抱いて身を小さくした。そして前髪を弄りながらそっぽを向いて言う。


「……な、なんの御用でございましょうか?」

「用事というかだな……」

「もしかしてっ、ききき聞こえてしまいました?」

「聞こえる? 何の話だ?」

「いえっ、分からないのならいいんです、はい……へへへ、ですよね……よかったぁ……」


 なんかヤバイことでもしていたのだろうか。自分で描いたエロ漫画の感想を求めてきた小日向さんが今更恥ずかしがることって、いったい……やめよう、分かったところで得られるのはきっと後悔だけだ。


「今日は、相談に来たんだ」

「し、しょ、商談?」

「何も買うつもりは無い、相談だ」

「ああぁ、相談、相談ですか。ふひひ、てっきり私、ついに買われてしまうのかと思いました」


 いつも以上に様子がおかしいな。あの変態達ロリコンと過ごした俺がそう思うのだから、きっと勘違いではない。なにかあったのだろうか……?


「タイミング悪かったか?」

「い、いえ、そんなことないですよ?」


 とは言うものの、先ほどから一度も目を合わせてくれない。いや何度か目が合っているのだが、その度に逸らされてしまう……これは、拒絶している目だ。いくら俺でも、それくらいは分かる。


「……出直すよ、悪かったな」


 いっそ深い絶望を味わいながら、俺は踵を返した。


「みぁ、待ってください!」


 直後に引き止められて足を止める。相変わらず様子がおかしい小日向さんは、目を白黒させながら言う。


「私なんかでよければ、相談、してください……」


 明らかに無理しているのが伝わってきた。よく見ると彼女の頬は紅潮していて、熱があるのかもしれない。そんな相手の優しさに甘えるなんてこと、俺には出来ない。


「無理するな」

「してましぇんっ」

「バカ、呂律が回って無いじゃねぇか」

「ここ、これはそういうのじゃなくてっ、えと、大丈夫れしゅっ」


 ……もしかして、酔っ払ってんのか? それなら逆に相談しやすいかもしれない。


「本当にいいのか?」

「ひゃい!」


 と敬礼する小日向さん。間違いない、これは酔っている。シラフでこんなテンションの奴が居たら、そいつは間違いなく頭おかしい。よって俺の職場は頭おかしい……転職、か。


「分かった。なら、ここで話すのもアレだし……」

「私の部屋は無理でしゅ! 今は、今はダメです!」

「そうか。なら公園でどうだ?」

「ひゃい! そうしましょう!」

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