第14話 送り迎えをした日(迎)

 お迎え。

 それは、頑張った自分に対するご褒美である。


 ……長かった。


 午後六時。

 みさきをお迎えする為に部屋を出た俺は、歓喜のあまり拳を握り締めた。


 みさきを保育園に預けてから10時間。

 部屋でジッとしているワケには行かず、便利屋みたいな奴に電話をして、短期の肉体労働に勤しんだ。


 人が足りていない工事の手伝い。

 草臥れた飲食店で短期バイトをしている俺だが、本気で勉強して建築系の資格を取れば、その筋で行けるのではないだろうか。


 浮かれたことを考える程度には気分が良い。

 気分が良いと、男の子は走り出してしまうものだ。


 みさきぃぃぃ!

 待ってろよぉ!


 大通りを外れて路地に入る。

 無駄に高い身長を生かして、パルクールさながらのアクロバットな動きでショートカットを繰り返す。


 壁を駆け上がり、屋根を飛び越え、高所からの着地による衝撃は一回転して受け流す。ノってきた。保育園まで残り1キロ弱。俺は一気に加速して――


「なっ、あぶねぇ!」

「はい? わっ――」


 あっぶねぇ間一髪だ。あと数ミリで衝突してた。


「わりぃっ、急いでた」

「待ちなさい」


 腕を掴まれた。

 ……気の強そうな女だ。面倒な奴に絡まれたか?


「女性……いや男性ですね。この周辺には保育園があります。今のが私ではなく子供なら、命に関わる事故ですよ」


 ちょっと待てコラ、なんで女と間違えた。このタッパとガタイで女ってことはねぇだろ。顔は……つうか初対面の相手に説教とかヤベェなこの女。


「あんたも気を付けた方がいい。俺がヤベェ奴なら、今頃後悔してるぞ」

「なるほど。あなたはこう言いたいワケですね。テメェみたいな女はいつでもメチャクチャにしてやれるぜゲッヘッヘ……なんておぞましい」


 いやそこまで言ってねぇよ。おぞましい。

 ……これは、無視するのが賢明ってやつだな。


「わりぃ、ほんと急いでるんだ」

「あっ、こら待ちなさい!」


 腕を振り解いて走る。


「あっ、わっ、ヒールがっ――まだ使うのに!」


 後ろで悲鳴が聞こえたが無視しよう。

 ああ無駄に疲れた。なんだったんだあの女、話題の不審者ってやつか? みさきに注意しとかねぇと。




「――ということがあったんだよ」

「……んん?」


 みさきとの帰り道。

 俺は直前に出会った不審者の情報を教えていた。


「みさきも、やばいと思ったら走って逃げろよ」

「……ん」


 ああ、不安だ。

 もちろん常に俺が隣を歩くワケだが、もしもみさきが一人だった時に不審者が現れたら――


 ああ、ああ、不安だ!

 こんなにも可愛いみさきが不審者に見つかったら、俺が不審者なら秒で誘拐するっ!


 チクショウどうすればっ、四六時中見張るワケにもいかねぇし、ああ、あぁぁ、あああぁぁぁぁ……


 くい。


「……へいき?」

「あ、ああ平気だ。心配すんな」


 天使かよ。

 みさきは思い遣りの心に溢れた天使かよ。


 ……護身術でも教えるか。

 俺は気持ちを切り替えて、みさきに笑顔を見せる。おい、さっきより不安そうな顔すんな。そんなに笑顔が下手か、俺?


「保育園、どうだった?」

「……どう?」


 きょとんと首を傾けたみさき。


「友達、できたか?」

「……ん」


 おっ、おっ、なんか少し笑ったぞ?


「そうか、どんな子なんだ?」

「……ゆいちゃん」


 おおおおおっ、おいおい聞こえたかよ。ゆいちゃんだってよ。くぅぅぅ、仲良さそうじゃねぇか。きっと保育園では「みさきちゃん」「ゆいちゃん」って感じに呼び合って遊んでたんだろうなあ! 楽園かよ!


「今日はどんなことして遊んだんだ?」

「……おべんきょう」

「勉強?」

「……ほん、よんだ」


 あー、そういう感じの子か。

 まぁみさきが外で走り回って怪我とかしたら大変だし、そういう友達の方が俺としては安心か?


「どんな本を読んだんだ?」

「……なつめ?」

「なつめ? ああ、夏目漱石?」

「……ん」


 マジかよ。冗談だったのに。

 あれって子供向けに書き直したヤツあったか?


「れでぃのたしなみ」


 なんか流暢に舌足らずな横文字が出て来たぞ。何だ今の、聞き間違えたか?


「あしたも、よむ」


 ……いろいろ不安だが、まぁ、楽しそうだからいいか。


「みさき、今夜は何が食べたい?」

「……ぎゅーどん」

「おぅ、任せろ」


 それからも、みさきとの会話は続く。部屋に二人で居る時とは違って会話が弾んだ。ほとんど俺が一方的に話題を振っているだけなのだが、ネタは尽きなかった。みさきが嬉しそうな顔で返事をしてくれるからかもしれない。


 楽しい。

 みさきと話をするだけで、胸が躍る。


 ほんの少し前には想像も出来なかった感情。それを喜ぶと同時に戸惑うような感情も覚えながら、みさきの小さな歩幅に合わせて歩いた。


 少しずつ、一歩ずつ、進めているような気がした。

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