第35話 大猪の魔物カプロス


 雄たけびを上げる魔物が一頭。薄汚れた焦茶色の剛毛は逆立ち、二本の長い牙が煌めく。怒りの色を持った瞳が周囲を睨んでいた。


 巨体な猪のような身体には無数の傷跡があり、まだ新しい。血が薄っすら流れるのも気に留めず、魔物は地面を蹴って鼻を鳴らす。


 怒りに満ちているのは空気が嫌と言うほど伝えていた。ぴくりと耳を動かして大猪の魔物は振り返ると駆けだす。



「うおぅっと!」



 アロイは脱げる外套のフードを押さえて転がり出ると態勢を整えて後ろへと下がる。再び突進してくる大猪の魔物をフィリベルトが大楯で受け止めた。


 大人三人分はあろう巨体な猪の魔物は鼻を鳴らしながらフィリベルトから距離を取った。



「カプロスかっ」



 フィリベルトは目の前で怒りを表す大猪の魔物カプロスを見る。



「中級魔物の中でも下級寄りとはいえ、面倒な……」

「どーすんの、おっさん!」



 アロイはクロスボウを構えながらフィリベルトの指示を待つ。フィリベルトはカプロスの傷を見てか、「誰かの獲物だ」と返した。



「誰かが追い込んだものだ。このまま放っておくことはできん」



 中途半端に追い込んだせいで今のカプロスは怒りで前が見えていない。この状態で集落のほうまで下りてきてはどれだけの被害が出るか分からなかった。此処で倒すか、山へと追い払うほかない。



「クラウスっ!」



 フィリベルトの声にクラウスが木から音もなく飛び、カプロスの首根を狙う。突き刺された短刀に鳴き声を上げるもカプロスは身体を振ってクラウスを弾いた。


 宙で回転してから着地したクラウスは二刀の短刀を構える。



「厄介だがやるしかない」

「フィリベルト、守りは任せる。ヒルデ、防御魔法を!」



 クラウスの指示にブリュンヒルトはアロイの前に立ち、ロッドを掲げる。詠唱をし、防御魔法を展開した。薄いベールがアロイたちを守るように現れたのを見てクラウスはカプロスとの距離を詰めるために図る。



「カプロスに火は効かない。あの毛皮は燃えない」

「分かった」



 フィリベルトに言われて、クラウスは指輪を擦る。斬りつけた感覚では皮膚は硬めだが、貫けないほどではない。


(切り裂くしかないか)


 クラウスは二刀の短刀を構え、カプロスへと向ける。雄たけびが響き、カプロスが駆けてくる動きを見極めてクラウスは飛んだ。


 距離を詰めて短刀を再び首根に斬りつけるが、牙で受け止められてしまう。ぶんっと振り落とされてクラウスの足は地面を擦った。


 もう一度、クラウスがカプロスと距離を詰めようとした時だ、森の奥から矢が飛んできた。それはクロスボウの矢ではなく、アロイが射ったものではない。


 カプロスは痛みに鳴くと矢が放たれたほうを睨み、走り出した。



「きゃあっ」



 ばっと弓を持った女が飛びし、転がってくる。アロイのように態勢を立て直すことができていないのでカプロスはすぐに狙いを定めた。


 フィリベルトが彼女の前に立ち大楯で受け止め守ると、「おりゃあっ」と茂みから軽鎧を纏う男が現れてカプロスを剣で斬りつけた。けれど、剣は浅くカプロスに弾き返されてしまう。



「こいつはおれたちの獲物だぞ!」

「今はその話をしている場合か!」



 軽鎧の男はクラウスたちに気づいてかそう声を上げるが、フィリベルトに怒鳴られる。カプロスの怒りが治まっていない今、そんな話をしている場合ではない。


 カプロスは鳴き、突っ込んできた軽鎧の男を牙で突き飛ばした。男は上手く避けたつもりだったのだろうが避けきれずに地面に倒れる。すると、彼らに追いついたのかさらに二人の男女がやってきた。


 魔導士服の女と鎧を身につける男は軽鎧の男の前に立った。剣を杖を構えながらカプロスをけん制している。


 ブリュンヒルトの後ろで彼らの様子を見ていたルールエはあれと思う、あの人たちどこかで見たことあるなと。


 カプロスは男女に牙を向けるが、男の剣で受け止められてしまう。その隙に魔導士の女が魔法を放つが、それは火球。カプロスの毛を燃やすことも出来ずに消えていく。


 軽鎧の男が態勢を整えて立ち上がるとカプロスへと剣を向けて走る。



「無暗に突っ込むな!」



 フィリベルトが止めるのも無視し、軽鎧の男は剣を振るが空回りカプロスの反撃をくらってしまった。強く地面に叩きつけられて呻く男をカプロスが狙わないわけがない。その角でつき上げようした瞬間、勢いよく跳ね飛ばされた。



「これだから強くないと言われるんだ」



 鞭のような剣を持って現れたのは襟足の長い白銀の髪を持つ美丈夫な男だった。ベスティアの証である犬耳に少し長めの尻尾がゆらりと揺れる。狼の獣人であろう男は切れ長の眼を呆れたように下げながら軽鎧の男を見遣った。



「あっ! 狼のお兄ちゃん!」



 彼を見てルールエは思い出した、彼らは昨日の朝に見たパーティだったことを。銀狼の男はぴくりと耳を揺らして顔を向けた。ルールエの姿を見て少しばかり瞳を揺らしたが声をかけることはせずにカプロスへと視線を移す。


 カプロスは一度に集まってきた冒険者たちに興奮してか、雄叫びを上げて無作為に突進をし始めた。


 走ってくるカプロスをクラウスは避け、フィリベルトは大楯で受け止める。軽鎧の男たちも慌てたように逃げ、銀狼の男は鞭のような剣でいなしていた。


 ブリュンヒルトのほうへと向かったカプロスだが、彼女の防御魔法に弾かれてしまう。暴れ回るカプロスを止めるには倒すしかない。フィリベルトは「目を狙え、アロイ!」と指示を出す。



「狙いづらいとこ指示すんなよなっ!」



 アロイはブリュンヒルトの防御魔法の後ろからカプロスを狙う。どう動いているか、次は何処へ向かうか予測し、矢を射る。矢は真っ直ぐにカプロスを狙い、目を潰した。


 片目を失い、視界の悪くなったカプロスは突進をするのを止めたものの、その牙で周囲を攻撃し始めた。フィリベルトが大楯を構えて前に出て牙を受け止めて動きを制する。その隙を狙うようにクラウスが首根を狙うも、軽鎧の男が邪魔をするように剣を振ってきた。


 彼らは他のパーティだ、チームワークなどお構いなしに攻撃をしている。動きづらいことこの上ないのだが、邪魔だと言える状況ではない。


 カプロスが大楯から離れて牙を振るう、それを鞭のような剣が払い除けた。銀狼の男が牙に剣を巻き付けて押さえつける。暴れるカプロスに腕を持っていかれそうになるのを堪えながら。ぐらりと銀狼の男の足が揺れたのをカプロスは見逃さない。


 ぶんっと身体を振って銀狼の男に向かって突進する。



「グリム!」



 その声と共に影から魔犬――チャーチグリムが飛び出してカプロスに噛みついた。突然のことにカプロスは足を止めて噛みつくチャーチグリムを取り除こうと身体を振り回す。


 さらに狼のぬいぐるみがぽんっと現れたかと思うと、チャーチグリムと同じようにカプロスの首根に噛みつく。それを合図にぬいぐるみたちがカプロスを攻撃する。


 周囲を囲まれ、視界の悪いカプロスは動けないが牙を振ってチャーチグリムを振り落とした。チャーチグリムがブリュンヒルトのほうへと飛んできて防御魔法に当たる。その衝撃にブリュンヒルトが驚いて身体を傾けた。


 ぐらりと防御魔法のベールが歪む、カプロスはぬいぐるみを払って走り出した。チャーチグリムを抱えるルールエへと向かっている。



「しまったっ」

「ヒルデ!」



 クラウスの叫びにブリュンヒルトは急いで防御魔法を再度、展開するも僅かに遅い。間に合うか、その瀬戸際、ルールエの前に影が一つ。


 鞭のような剣でカプロスをいなし、動きを遅くさせて銀狼の男は牙を掴んで受け止めた。拘束から逃れようとするカプロスを力づくで押さえつけている。


 クラウスは今しかないと駆け飛んだ。宙を舞いカプロスの背を取り、二刀の短刀を首根に突き刺した。イメージするは二刀から放たれる光の刃。


 指輪にはめられた深紅の魔法石が鈍く光り――カプロスの体内で刃が駆け巡る。ぶしゃりと血を噴出させながらカプロスは悲痛に鳴いて倒れ伏した。



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