第100話

 ヒルデは必死になって治癒魔術・改弐メガ・ヒールをテオドールに発動したが、傷口から吹き出る血の量が変わらなかった。


「死ぬな、アルベイン!!」


 テオドールが死ねば、リーズレットが悲しむし、癪ではあるが、カズヒコを倒せる可能性があるのはテオドールだけだ。


 テオドールの死は、すなわちヒルデやリーズレットの死に直結する。


(私に治癒魔術・改参ギガ・ヒールが使えていれば……!)


 治癒魔術・改参ギガ・ヒールは、治癒魔術ヒールを極めた者でも数十年単位の研鑽が必要だとされている魔術である。今まで生きてきて、治癒魔術・改参ギガ・ヒールを使える者などテオドールくらいしか見たことがない。

 それだけ高位の魔術だ。


「クソ!! 死ぬな!!」


 叫んだ瞬間、テオドールの手がうなじまで回された。その勢いのまま抱き寄せられ、唇を奪われる。


(なっ!!)


 気でも狂ったか? と思った瞬間、舌をからませられた。かみちぎってやろうと思った瞬間、脳髄を焼く快楽に襲われる。


「んっ!」


 思わず声が零れる。体が弛緩し、抗う意思を奪われた。


(これ……は……)


 頭に注ぎ込まれる莫大な情報に目の奥がチカチカと発行する。己の境界線が無くなるような快楽はオーガズムにも似た忘我の極地だ。


天慶スキルの……贈与……?)


 天慶スキル贈与には、同じ神と契約した者同士で粘膜接触が必要だ。口内で舌をからめあえば、条件を満たすし、西部騎士はほぼ例外なくヴェーラと契約している。


「んんんっ!!」


 体が震える。屈辱だと思うのに、この快楽には抗えない。脳が書き換えられていく。

 嫌悪や憎悪でさえ、快楽に消されていく。


『死に際にぶっ壊れたか!? いいザマだな、テオドール!! ハハハハハ!! 盛った猿みたいじゃないか!!』


 盛ってはいるかもしれないが、壊れてはいない。

 テオドールは今もまだ生き抜くことを考えている。


(こちらの意図を見抜かれないようにしなければ……別れを惜しむ恋人同士だとでも思わせておけばいい。あのクズは、そういうのを見た後に絶望をくれてやるとか、そういうのが好みだろうしな……)


 しかたがないので、ヒルデも求めるようにテオドールの唇をむさぼった。


(屈辱……んふぅぅぅ!!)


 目の前が白くなる。ヒルデも天慶スキルの贈与を経験したことはあるが、ここまでの快楽を感じたのは初めてだ。情報量が多いほど、気持ちいいと聞いてはいたが、これほどとは思わなかった。


 唇を離す。互いの口にかかった唾液の橋には血がにじんでいた。

 失血で真っ青になったテオドールが「頼む」とか細い声で言う。


『別れは終わったか? なら、次は俺の相手をしてくれよ、ヒルデ』


 ここでテオドールの意図を無視したら、彼は死ぬだろう。

 それはそれで痛快だとも思った。


 だが、快楽のせいで脳が焼き切れてしまったのか「惜しい」と思った自分に気づき、戸惑う。屈辱である。男にここまで感じさせられたなど、認めるわけにはいかない。


「その首、私が必ず刎ねてやる……」


 口元を乱暴に乱暴にぬぐい、唾を吐き捨てた。


「だから、私が殺すまで死ぬことは許さん」


 言いながら胸の傷口に手を添える。


「――治癒魔術・改参ギガ・ヒール


 詠唱と同時に魔術が発動した。

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