第95話

 アシュレイは今まで経験したことの無い景色を見ていた。


(なんだ、これ? 相手の動きがわかる……?)


 そんな思考をしている瞬間も、世界はゆっくりと流れていく。直観的にイメージがわく。それは言語化できない感覚。背筋が毛羽だつ感触に後ろへ下がれば、影の塊がアシュレイのいた場所を貫いていく。


(これが神剣の力……)


 体が意識を追い越すように動く。それに合わせて体も思考も追従する。恐怖は無い。戸惑いもない。飛び散る汗さえ目で追える絶対集中の世界。


(戦える……)


 ずっと足手まといだと思っていた。隠れて努力したところで、テオドールには届かない。圧倒的な才能の差に何度も打ちひしがれてきた。自分とは違う。そう思いたくなかった。でも、違うのだ。


 この世界には才能の格差がある。


(僕でも戦える!!)


 それが借り物の力だろうと、自分のような凡才では見えない世界を今、見ている。


(テオの力になれるっ!!)


 カズヒコの攻撃を躱して捌き、場合によっては踏み込みながら斬撃を入れる。その動きにカズヒコは激昂し、攻撃を集中してくる。影の腕が頭上に伸び、そこから鳥かごのように枝分かれし、アシュレイを頭上から串刺しにしようとする。


(これがテオの見ていた世界なのか……)


 その攻撃をアシュレイは全て斬り払った。


(ああ、カズヒコが力に溺れるのもわかる……)


 本来、ここまでの実力を手に入れるには、どれだけの時間がかかるか。簡単に何の苦労も無く手に入る力だから、その価値に寄り添うことすらできない。こんなデタラメな能力を手に入れて、調子に乗るなというのが難しい。


(借り物の力だ)


 自分に言い聞かせるように剣を脇構えに構えた。カズヒコの顔の前に魔術式が可視化し円陣を描く。閃光が濁流となってアシュレイを飲み込む。その熱波めがけて、横一文字に剣を薙ぐ。

 全身全霊の魔力を乗せた斬撃は、熱光奏射ライトニングの光線さえ斬り捨てた。


「カズヒコ様、僕はあなたが嫌いだったけど、あなたがそうなってしまったことは理解できる」

『雑魚がイキがるなぁぁぁあぁぁっ!!』


 振り下ろされる影の腕を斬り飛ばす。


 暴力を振るうのは快楽だ。それは否定しようがない。弱者を討ち滅ぼし、自分の欲望を満たすのは気持ちがいい。だが、その快楽は一瞬だ。チラリとテオドールへと視線を向ける。


 テオドールは今のアシュレイでさえ目で追えないような動きで槍を動かし、カズヒコの攻撃を捌いていた。


(あんなに強いのに驕らず、真っ当でいられる……すごいな、テオは……)


 ああいうモノになりたい、と思った。

 だから、この力に酔うわけにはいかない。

 それでも、この力を使う。

 野望のために。夢のために。愛のために。


「あなたを殺すよ、カズヒコ」

『テオの腰ぎんちゃくが偉そうにぃぃぃぃ!!』


 黒い影が迫る。神剣の効果で動きを予測できる。その未来を追いかけるように剣を振るえばいい。


 そのはずだった。


 ビキリと何かが裂ける音を聞いた。足に激痛。痛みのせいで動きが遅れる。


 ――衝撃。


 咄嗟に剣で捌いたが、薙ぎ払うように飛ばされた。


「アシュレイっ!!」


 テオドールの声が聞こえる。転がりながら受け身を取るが、手をついて身を起こした瞬間、吐血した。先ほどの衝撃で胸が苦しい。肋骨が折れたのか?


(体が……神剣に……保たなかった……?)


 左足の筋肉が断裂したのだろう。必死になって起き上がろうとするが、体に力が入らない。これまでの神剣による戦闘の疲労が一気に押し寄せてきたようだ。


(なんだよ……結局……)


『はははははは!! 見てろよ、そこでぇぇ!! お前の仲間をぶっ潰してやるぞ、テオドォォォォル!!』

「アシュレイっ!!」


 テオドールが必死の形相で叫んでいる。そこにカズヒコの腕がいくつも襲いかかる。世界がゆっくり流れていく。テオドールはカズヒコの攻撃を捌き切れない。


(凡才はどこまで行っても凡才なのかよ……)


 いくつもある影の腕がアシュレイめがけて襲いかかってくる。


「うああああああっ!!」


 アシュレイは雄たけびをあげながら立ち上がる。どうせ死ぬ。凡人がこんな人間離れした存在の戦いに参加できるはずがない。そんなことはわかっている。どうせ死ぬ。

 どうせ死ぬなら、抗ってやる。


「負けるかぁぁぁっ!!」


 立ち上がりながら神剣を振るう。だが、握力さえ無いままに剣がポトリと落ちた。それならそれで拳で殴ってやる。

 諦めて、うつむいて死ぬくらいなら、最後まで戦ってやる。


『死ねぇぇぇぇぇっ!!』


 アシュレイは己の死を予期した。


 だが、瞬間、自分に迫るカズヒコの鉤爪は、バラバラに切り裂かれた。

 意味がわからなかった。

 神剣か? いや、神剣は足元に落ちている。

 テオドールか? いや、テオドールはカズヒコの攻撃を捌くので手一杯だ。


 なら、どうして――


「騎士の価値は死に様で決まる」


 凛然とした声が聞こえてきた。それに合わせて光の剣がカズヒコに飛来する。


「たしか、アシュレイと言ったな? テオドール・アルベインの小間使いかと思っていたが――」


 白銀の甲冑に身をつつんだ金髪の騎士は、その長髪をたなびかせながら戦場に介入してきた。


「――今の貴様は悪くなかったぞ。私が名前を覚えるに値する程度にはなったな」


 ――ヒルデ・ヴァンダム。


 三十七階層最強の冒険者にして神機オラクル使い。


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