第71話 名称のないもの
霊体となった神原浄にとって、窪田シゲオに追いつくのはわけなかった。今となっては、なぜか同類がどこにいるのか分かるのだ。もっとも自分は窪田のような〝悪霊〟ではないはずだが……神原は思った。
川向こうにいる窪田シゲオが見えた。ヘドロ状の半霊体となった窪田は、宿主になるようなものを探していた。
死体や、怪物のようなものを……。
それに自らを取り込ませて、しつこく生きようというのだ。そんな風に生きて何が楽しいのだろうと思うが、もはや窪田自身もなぜ生きるのか分かってないんじゃなかろうか……神原はそう思った。
窪田がターゲットを求めて川辺をうろうろととしている間に、神原は追いついた。窪田は振り向き、かれと同じく(正確には違うが)霊となった神原浄の姿を見て驚いたようだった。
「何て、しつこいやつなんだ……そんな姿になってまで、追いかけてくるなんて」
「好きで、こんな姿になったんじゃないよ」
「……じゃあ、どうしてだ?」
「説明は省く。むしろ、さっさと片付けたい。もう終わらせたいんだ」
「生憎だな。僕は、まだ生きたい」
「お互いの意見が違うようだ」
神原は窪田の飛びつき、体を押さえ倒れこんだ。
「僕たちは仲間だ。戦う必要はない」窪田が言った。
「仲間だなんて、とんでもない。いっしょにしないでくれ」
「なぜ、僕を……」
「存在していられちゃ、困るからさ……」
窪田はがむしゃらに拳をぶつけてきた。しばらくふたりは川岸で殴りあった。霊同士では、お互いの体が透けることもない。
不思議と相手を殴ると、その感覚があった。
相手から殴られると、不思議と痛い。
不思議と、その痛みはどこか懐かしい感じがするのだった……。生きていた頃の感触というやつか。死んでみて、改めて、生きているというのは素晴らしいことなのだなと神原は思った。
おっと、痛みを懐かしんではいられない。
神原はもがく窪田の腹をまたぐと、そのまま首根っこを両手で押さえた。あのレヴィと呼ばれた怪物は、霊を喰い殺していた。霊は、霊を傷つけられるのだ。神原にも、窪田の息の根を止められるのも道理なはずだ。
窪田はのたうち、苦しみ、虫のように暴れた。だが、神原は窪田を締め続けた。文字通り、息の根を止めようとした。
一度死んだものを窒息させられるのかは疑問だが、霊も生きているときの常識に捉われているようだ。
生きているときの摂理に従う。
神原は窪田から目を離さなかった。手の力を緩めなかった。窪田シゲオの境遇を思えば、サカガミの犠牲になった気の毒なやつだが、怪物を使って人を殺め続けたことは許せなかった。ふと友人だった佐々木豊の顔が浮かんだ。かれも死んだことで、娘に出逢うことが出来た。今ごろ、天国で仲良くしているだろう。
だが、窪田を天国へ送るつもりはなかった。もっとドス黒い、訪れて後悔するような場所へ追いやりたかった。
「……ぐぐぐ」
窪田が暴れるちからが弱くなってきた。
やがて窪田の目から光が無くなり、大きくぶるっと痙攣すると……そのまま動かなくなった。
口からは黒い涎が垂れ、地面に糸を引いて落ちた。同時に口から、ずるりと巨大なナメクジのようなものが這い出てきた。
あの地下にいた触手の名残りだ。力なくぷるぷる震えている。
寄生しないと生きられないので、窪田という宿主を失って、急速に弱りつつあるのだ。神原の方に近づいてきた……性懲りもなく、神原に取り憑こうというのか。
そうはいかないと、神原はその塊を蹴りつけた。
さすがに気色悪いので、神原は石を拾おうとしたが、霊となった体では物体を動かせない(ポルターガイスト=騒がし霊のように、物を動かせるようになるのは、何らかの訓練が必要そうだ)。
仕方ないので、そのまま足で踏み潰した。触手の塊はしばらくは抵抗を見せて、ぶるぶる震えたが、やがて動かなくなった。
それでも神原は、それを蹴りつけ、何度も踏み潰した。
二度と、どこかに現れないよう駆逐しようと思った。
ぐちゃぐちゃになるまで、しつこく潰した。
……終わった。
これでよし。
そう思った途端、窪田シゲオだった〝もの〟が立ち上がった。
神原はさすがにぎょっとした。
――いや、そう見えただけで、実際は窪田の姿が霧と混じるように浮かんだのだ。幽霊にもなりきれず、魂としても残りカスで、それに名称は無かった。
そして、それは風に流されるまま消えた。
どこへ行くのか……。
知ったことじゃないと神原は思った。
悪に対する最大の制裁は、誰にも相手にされないことなのだ。
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