第60話 狩りを求めていた

「……ううう、恨みはないんだけどね、坂下さん。配達員をやってた頃は、ずいぶんと世話になった。でも、あんたがリーダー面していばっているのが、時どき気に喰わなかったし、タバコ代やらを徴収するのもセコくて嫌だったな……地下に移ってからは、しょっちゅうレヴィの悪口を言うのも好きになれなかったんだよね」

 窪田がそう言うと、坂下は懐からスイッチの付いた箱――遠隔操作でボンベの中身を噴出できる器械を取り出した。

「バケモノどもめ!」

 坂下が器械のスイッチを押した途端、噴出音がトンネル内に轟き空気の匂いが変わった。白いガスが辺りの視野を埋めた。

(ここで眠らされてはたまらない。)

 神原浄は、口を閉じ、あえて暗闇側に駆けた。少なくともボンベの姿が無かったし、怪物の死角とも思えたのだ。

 怪物はクロロホルムの匂いに気づいて、坂下から距離を置いた。その間に窪田がボンベに飛びつき、斧で穴を開けたり、廃水のなかにボンベを放ったりした。

 クロロホルムをトンネル内に充満させるには、あまりにも量が少なかった。

 窪田は怪物に近づくと、長い胴を叩いた。

 反撃だという合図だ。

「窪田、やめてくれ!」

 坂下の懇願もむなしく、怪物は勢いを取り戻した。

「いろいろ尽くしてやったのに!」

 怪物は、ガスが途切れた場所に立っていた坂下の首にかぶりつくと、そのままぼきりと折った。そのまま、ぶんぶんと体ごと振り回した。ぶちんと千切れた坂下の胴体は天井にぶつかり、配管に引っかかった。大量の血がスプリンクラーのように飛び散り、地面に音を立てた。

 怪物は鮮血のシャワーがたまらないと言った感じで喉を潤すと、天井に下がった体に飛びついた。じゃれ合うように死体と数秒遊んだ後に宙へ放ると、そのまま全身を飲み込んだ。骨が折れる音がホームに反響する。

 ばきばきぼきぼき。

 怪物が満足そうに息を吐いた。

「……クビヌキ通りか」

 神原は逃げつつ呟いた。

 怪物の体が青白く光っていた。ずずずっと何かがすすられる音がした。坂下の魂を喰らって、その輝きはまぶしいほどだ。霊を喰うたびに生命力にあふれ、吐き出す息さえも燃える炎を思わせた。

 霊喰いの目が爛々と光る。

 ……が、怪物の食欲はまだ満たされず、新たな獲物を求めていた。

 狩りを求めていた。

 追いつめる快感を求めていた。

 怪物は自分のゲームをプレイしたがっていた。

 そのターゲットに、怪物は闇に逃げた神原を選んだ。咆哮を上げて、逃げる男を追った。神原は駆けつつ、手にある猟銃の重みを確かめた。命のよすががそれにかかっていた。空になった薬きょうを捨て、新たな弾丸を装填した。

 洞窟の隙間に逃げ込み、振り向きざま怪物に向かって発射した。弾丸は命中こそしなかったが、怪物の足をかすめた。怪物は巨体の大半を地面に引きずり進むもののよろめき、尖った岸壁に全身をぶつけた。予期しなかった痛みに吠え、血を頭に上らせた。全身から青い炎をまさに怒りのように噴き出した。

 神原は怪物にとって改めて憎らしい存在となり、痛めつけて殺し、引き裂きたい相手となった。

 神原はさらに駆け、残った弾丸を数えた。三発。

 見覚えのある場所に辿り着いた。

 地下ホームだ。

 レール上を必死に駆け抜けた。枕木に足を取られないように気をつけて。トロッコを踏み台に、ホームへ駆け上がった。そして、この地下ホームへは最初に怪物に遭遇し、泥水に流されて辿り着いたことを思い出した。

 行き止まりなのだ。逃げ道はない。

 霊喰いが背に迫る。

 だが、坂下が言った地上への道が目の前にあった。縄梯子が天井から下がっていた。天井裏があるようだ。神原は縄梯子に飛びついた。

 ぐらぐらと不安定な縄梯子は登りにくい。だが、神原は全身を使って必死に登った。怪物が黒く巨大な砲弾となって飛びついてきた。牙がかすめる瞬間、神原は天井裏に這い上がった。怪物は壁に激突し、痛みに悔しがる声を発した。

「体がデカすぎて、勢い余っちまうのか。バカな獣め!」

 神原は猟銃を構え、床下に向けて撃つべきか迷ったが、……やめた。怪物が縄梯子を登ってこられるはずがないし、まだ通路が先に続いている。弾丸も節約しなければ。ここぞという時に撃たねばならない。

 腰をかがめないと進めない狭さだったが、神原はそのまま進んだ。ここなら怪物は来れない。やがて通路がY字になった。地上へ続く梯子と奥の暗黒へ続く道だ。

 ……魂が地上への道を渇望した。

 このまま地上へ脱出すれば、もう怪物と遭遇することはない。安心して、後は警察やその他にこの件を任せることが出来るだろう。さすがの葉月道子も、怪物を掃討するために動いてくれるはずだ。

 神原は、二度とサカガミに関わりたくない。

 この町を出て、二度と戻らなくてもいいだろう。

 そして、酒がある。

 ……だが、神原は手に異質な感触を覚えた。辺り一面を這いずる触手だ。こんな処まで伸びているのか。

 地面に蠢く触手を見て、神原はユズルを思い出した。かれの為に、ここにいる。初めて出会ってから、おそらく半日かそこらしか過ごしていない少年霊の為に、命を投げ出す意味があるのか――改めて迷った。

 触手に囚われた霊たちの姿が浮かんだ。

 ユズルだけでなく、不気味な触手に囚われているのは、この町で過去に死んだ者――行方不明のまま発見されず霊となった気の毒な被害者たちなのだ。地上に抜け出して、かれらを忘れることが出来るだろうか。そのまま生きられるだろうか。

 霊と名のつくものを無視して生きられるだろうか。

 霊が見えるようになったゆえに、無視することが出来るとは思えなかった。

 いまは、霊を見る感覚が消えるとも思えなかった。

 あんなに疎ましかった霊に対して、憐憫や哀れみといった感情が沸くなんて信じられない……。

 子供の頃に耐えた苦悩が、ふと甦った。

 あの頃は、霊を見るたびに苦しみ、死にたいと思った。

 ――今はどうだ?

 少年時代に感じた〝つらさ〟は、大人になった今では平気だと言う人もいるかも知れない。神原はそう思えなかった。つらいのは一緒だ。今後もそう思うだろう。大人になろうがつらさは一緒だ。

 そして、かれらを無視して生きることを選べば、さらに苦悩が待っているだろう。

 辛さを乗り越えて立ち上がるときなのだ。

 これは誰かが決めた宿命なのだ。

 水口老人が言ったように、誰かがやらねばならなかったもので、それを自分がやるのだ。誰かが、自分に鉛のような重荷を載せたらしい。

(それが神さまか仏さまだとか言うなら、引っ叩いてやりたかったが。)

 水口老人は、おれの体が死にかけていると言った。

 宿命がおれを追い立てる為に、体を死に浸したのだろうか……。昨日まで、まさか霊を喰う怪物や、半壊のゾンビ男と遭遇するとは思えなかった。まさか、自分の生まれ故郷の地下に地獄があるとは。

 おれは今、文字通り死の淵を彷徨っているのだ。

 くそったれめ!

 神原は呟き、地上への道に背を向けた。

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