第56話 他に生きる道はなかった
「坂下……ここで何している。他の連中も一緒か。あんたら地獄にまで、ペットフードの配達に来てるとは思わなかったな。いたれり尽くせりのサービスだね。こんな処にまで、まさかお客さんがいるのか?」
神原の皮肉にも、ヒゲの坂下は答えなかった。
「ううう」
神原の隣で、佐々木豊がもぞもぞと動いた。
「こいつらは誰なんだ。くそ……頭が割れるようだ」
目覚めた佐々木が言った。
「大丈夫か、佐々木」
「ああ、何が起こった?」
神原浄は、坂下を指差した(正確には、縛られているので指を向けただけだ)。
「こいつらが、おれたちにガスを吸わせたんだ。……それで眠らされた」
「ご挨拶だな。誰なんだ?」
「サカガミの社員だよ。配達だけじゃ食っていけないらしい。誰も名乗らないから、代わりに紹介するよ。ヒゲ面のおっさんは坂下だ。腰が痛いと言ってたくせに、こんな地下まで降りる体力はあるようだ。あそこに背の低い長髪がいるだろう? あれは飯野だ」
「知り合いか?」
「行方不明事件を調べたときに会った」
「おい。あんたら、縄をほどいてくれ」
佐々木の要求にも配達員らは答えなかった。
「この連中は、ここで一体、何をしているんだ?」
「おれの勘では、この町で起こった誘拐事件その他に、この連中が絡んでるってところかな」
佐々木はぎょっとした。
「何でまた、そんなことを?」
「企業に飼われた連中がやることと言ったら、上役の揉め事をもみ消すことって相場が決まってる。こいつら、あの怪物の正体を知ってるんだよ。そして、地下にあんな人殺し(窪田)がいることを黙っていたんだ」
「まさか。そこまで腐った人間もおるまい」
「いるよ、目の前に。……おれたちを、あの化け物の餌にするつもりか、坂下」
「……気の毒だが、その通りだよ」坂下が呟いた。「どんなミステリーでも、目撃者は消されるもんだろ」
「ようやく口を開いたか」
坂下の言葉をきっかけに、配達員全員らが近づいてきた。めいめいがスコップや鉄棒を持っている。坂下の奥には、長髪の飯野がいた。
「かわいそ~にな、刑事さん」飯野は、ゾンの猟銃を構えていた。神原は武器を奪われたことに舌打ちした。
「こんな処まで来るべきじゃなかったんだよ~、バカだな~」あいかわらず語尾を伸ばす喋り方が、神原のカンに触る。
神原は、傍らで気を失ったままの葉月を見た。
「坂下、おれたちがたった三人でここに来たと思うか。このおばさんは刑事だ。つまり、他の警官らもここに駆けつける。すぐに見つかるぞ」
飯野がへらへら笑いながら、葉月と高倉の警察手帳を見せた。
「あんたのぶんの手帳は~無かったぞぉ~」飯野が言った。
坂下がため息をついた。
「そういうことだ。調べたところ、あんた刑事なんかじゃないじゃないか。警察からはクビになったとらしいし、町に帰ってきた途端に留置場に入れられたり、厄介者扱いされてたようじゃないか」
「今ごろ、気づいたか」
坂下は佐々木を見た。
「あんたは娘さんを殺された被害者だが、川辺を汚い格好でウロウロ歩いてる様子をうちの社員に何度か見られてる。警官に捜査がお粗末だのと、絡んでる姿もどこかで見た。おおかた誰からも相手にされているとは思えん」
「……」佐々木が歯を食いしばるのが分かった。
「女刑事さんはおおかた、無理やりここに連れてきたんだろう? 警察に連絡が届いているとは思えんね。うさんくさい男二人と女刑事が町から消えたところで、誰も気にしないさ。人が消えるのは、よくあることだ……それに小さな事件なら、ある程度は社が面倒見る」
「サカガミが、事件をもみ消すってことか? そうやって、あの化け物に餌をやり続けてきたのか?」
坂下がわざとらしく肩をすくめた。
「そうしないと、外に飛び出しちまうだろ? ライオンをサファリパークから逃げ出さないようにするには、餌付けするしかないんだよ」
「ここに来る前に、大勢の骨を見たぞ。証拠がゴロゴロしてる」
「世間には、金を払えば足を開く商売女もいるし、洞窟に住みたがる浮浪者もいるのさ。町を出て行こうとする家出人もいたかな――東京でアイドルになれると思った勘違い女子高生。……つまり、誰も気にしないよ」
ペットフードを運ぶだけでなく、人も運んでいたってことか。あの窪田に殺された浮浪者は、この坂下らが手配したってことなのか。とんだ配達員もいたもんだと神原は思った。
「それにさ……警官だって、清廉潔白じゃない」
「警察を買収してるってことか?」
坂下はふんと鼻を鳴らした。そうかもな、という意味だ。
「あの窪田は?」
「あいつは何も喰わないから、手がかからない。何であんな気持ち悪いやつになっちまったのか分からないんだが、狂暴な獣の調教師として生かしておける。化け物はなぜか、あいつの言うことだけは聞くんだよ」
「不思議だよな~。似たもの同士だからかね~」飯野が言った。
「……いつまでも、こんなこと続けられないぞ」
「ああ、そうだな。そう思うよ。わしらだって人の子だ。誰かが傷つくたびに、胸が痛む。だが、孫が生まれそうだし、この国の年金じゃ満足に食っていけない。さっさと金を貯めて、別の町にとんずらしたいと思い続けながらやってた。こんなことコリゴリだよ」
そうだそうだと頷いた配達員がひとりずつ、暗闇に溶けていく。
「さいなら~ニセ刑事~」飯野がヘラヘラと笑いながら、他の社員のあとを追った。
「……おれたちを撃ち殺して、あの怪物の餌にするのか?」
神原は改めて、坂下に質問した。
「そんなことはしないよ。言ったように、わしらにもまだ人情が残ってる。残り少ない時間で覚えておいて欲しいんだが、おれたちだって最初は嫌々だったんだ。殺人に巻きこまれたい奴なんているわけないだろう?(いや、世の中わしが生まれたときよりも随分おかしくなったし、いるかもな。)わしのように、みんな家族がいるんだ。みんな貧乏だ。食わせなきゃならないんだ。こんな田舎町で、過疎化が進む処で、まともな仕事なんて無いんだよ。この歳で、コンビニで人の弁当を温めたり、寒空に消費者ローンのティッシュ配りをやれと言うのかい? サカガミさんから与えられる特別手当で食いつなぐしか、他に生きる道はなかった。……どうしようもなかったんだよ」
「人情が聞いて呆れるよ。おれたちを、ここに残して消えるつもりか」
「生餌を好むんだよ、あのレヴィってやつは」
そう言って、坂下も神原に背を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます