第54話 生き物はしぶとい
どのくらい経っただろうか。数分か、数十分か。
神原浄は、佐々木豊と葉月道子の肩を叩いて立たせた。
「何だったの、あれは?」女刑事が震えつつ言った。
「町の住民を食い殺した犯人だ」
「あんな動物見たことない。あの隣にいた不気味な男は?」
「窪田シゲオだ。犬の死体をポラロイドに収めていたアパートの住民だよ」
葉月は絶句し、しばらく放心状態となった。そして、一筋の涙をこぼした。悲しみや不安からではなく、抑えていた感情がはじけた感じだ。
「ひどい。あたしをこんな処に連れてくるなんて……」
「すまなかったな。だが、そうしなければ信じてくれなかっただろう?」
「何で、こんな地獄へ連れてきたのよ! 畜生。殺してやる!」
葉月が手錠をしたままの拳で神原を小突き始めた。あらゆる悪口雑言を投げつけてきたが、佐々木がその腕を押さえようとした。
「あんただって警察なら、何とかしなきゃと思うだろう?」神原は言った。
「応援を呼ぶわ。地上に戻って出直すのよ」
「説得できるのか? 地下に得体の知れない怪物がいます――と他の刑事に言うのか。あんたはおれたちの言うことをまるで聞かなかった。捜査本部は信じるかね?」
「命賭けてやってみるわよ!」
「そうか。信じてくれた以上、あんたを地上に戻してもいいが、悪いが一人で帰ってくれ。おれたちはやることがある。帰るときに、川に落ちても文句言うなよ」
「あたしと戻りましょうよ」葉月は頬を濡らしながら言った。
「そうしたいのは山々だがね。おれと佐々木はそもそもあいつらに不意打ちを食らわせるつもりでここに来た。そんな時間はない。おれには助けたい者がいる。高倉警官のことも心配だ。もっとも、あんな風にとっくに殺されてるかも知れんがね」
「私も戻りたいよ」佐々木ががたがた震えながら言った。「何でこんな処へ来てしまったんだろうって、後悔している」
「それなら……」
「だが、引き下がれないんだ。好美の為にも」佐々木の瞳からも大粒の涙が落ちた。「恐ろしい……恐ろしい」
「そういうわけだ」神原は言った。「進むしかないんだ」
「狂ってるわ。頭がおかしいわよ」葉月が言った。「どちらにしろ、手ぶらじゃ戻れない。あたしも行くから、銃を返して」
「おれたちに向けないと約束するか?」
皮肉っぽく微笑んで葉月は頷いた。
神原は、葉月から奪った拳銃を返した。念のため猟銃を向けながら。銃を返した途端に、「Uターンしなさい!」と言い出しかねないと思ったからだ。
「手錠も外して」
やれやれ。
「おれと佐々木は狂っているのかも知れない。だとしたら、猟銃であんたの背中を撃つのにためらうと思うか?」
「そんなこと言わないわよ。信用して」
幸いにも葉月は逆らわず、神原が先行しろと促すのにも文句言わなかった。
「携帯が通じない。進むしかないってことね」
菓子ばかり食べている頼りない女だと思ったが、いざというときに刑事魂が残っていることに感心した。
地下は少しずつ下り坂になっており、三人は自然に地下へ地下へと進んだ。
必要以上にお互いに話しかけなかった。辺りを十分見回し、誰も何もいないのを確かめてから口を開いた。はしごを降りるときは、それぞれが周囲を見張りながらそうした。高倉警官を見つけるまでには、あの怪物にも窪田にも会いたくなかった。
「あの殺された男は、誰だったんだろう?」佐々木がぼそっと言った。
「分からない。見たくないものを無理やり見せられたような感じだったな。この町の人間じゃなさそうだ。どこからか連れてこられたんだ」
「誰が?」
「分からない。考えたくないが、窪田には仲間がいるのかも知れないな」
佐々木はぎょっとした。
「ぞっとするな。あんなゾンビ男に友だちがいるのか。それとも、私たちが知らない他の何か不気味なものがまだまだ眠っているのかも知れないぞ。どちらにせよ、あんな連中が外に出られるわけがない」
「目立つ連中だからな。あのレヴィって怪物が外に出たらとんだ騒ぎだろう。あの怪物が外に出ないのは、それなりの理由があるような気もするが」神原が小声で言った。
「それは?」
「太陽に弱いとか」
「B級モンスター映画程度の弱点ならいいんだがなぁ……」佐々木が苦笑した。「他に考えられることは?」
「やつは何かを守っているんじゃないかな」
「あのゾンビ男のことか?」
「いや、もっと悪質なものだ。想像したくないんだが、やつだって生き物のはずだろう?」
佐々木が眉根を寄せた。「まさか、こどもを生んだりはすまい」
「どうしてそう思うんだ?」
「やつは遺伝子操作で生まれた新種だろう? 同じ種がなければ交配は出来ないはずだ。やつが雄か雌かは分からないが、一匹じゃ増えるのは無理だよ」
「あの怪物の正体を知ってるの?」葉月が言った。
神原は佐々木と導いた推理を話した。あの怪物がサカガミ工場から逃げ出した動物実験の産物で、窪田に命を救われ生き延びた奇形であることを。
「あの大チワワを思い出すわ」葉月がため息をついた。「こうなると思ってたのよ。だけど遺伝子改良された動物はすぐ死ぬと聞いたことがあるわ。あのクローン羊って、実は内臓に欠陥があって短命だったのよ。遺伝子組み換えにはまだまだ研究の余地があって、完璧といわれるにはまだまだ遠いそうよ。からだに必ず何か欠落があり、生命として未熟で、地球の自然生態系に入り込むには不適当と言われてるわ」
「……それを信じたいな。新種だからこそ、何とか増えようとする手段を見つけるような気がしてならない。生き物ってやつは、どんな種類であれしぶとい。やつのはじまりは捨てられたペットだった。だが、半死半生から汚物をすすって生き延びて、化け物になるまで成長したんだ。窪田が救った命はひとつだけだったのだろうか? 同じ境遇の、同じ仲間を育てたとしてもおかしくない。……それにやつは、霊となった人間たちを薄気味悪い触手ではやにえにしていた」
「はやにえ?」佐々木が眉根を寄せた。
「霊って、何のこと?」
神原は、霊が見えることを説明したが、葉月は肩をすくめてすべてを信じようとしなかった。「あたしは霊感はアテにしない」とだけ言った。
「あの怪物は、まさに霊喰いで、魂を補完しないと生きられないんだ」神原は言った。
「生き物として相当未熟なんだ。生きるために必要な生命力を補完する為に霊を喰うんだ」
「どこからそんな考えが浮かんだんだ?」
佐々木が葉月と顔を合わせて眉根を寄せた。霊を信じないという意見では、ふたりは共通している。
「自分の体さ」神原は己の右手を見た。包帯の下からでも怪物の牙の痕が紫色になっているのが分かる。
「おれは死にかけていると言ったろう? 魂が肉体と生きるためのエネルギーがどんどん少なくなっているのを感じる。魂と体のつながりがぼろぼろと崩れていくのを感じるんだ。少しずつ少しずつ細胞が死んでいる」
「気のせいだよ」
「そうだろうか? 化け物やあの窪田にしろ、突然霊が見えるようになったことにしろ、おれがこうなったのは偶然じゃないんだ。まるで運命がそうさせたように、おれはこうなったんじゃないかと思う。窪田を見て、おれは他人のように思えなかった。おれもああなるんじゃないかと思う」
「まさか。あれは……あの男は、確かに異様だった。生きる屍といった形容がふさわしかった。だが、きみがそうなるとは思えない。しっかりと歩いて、生きているじゃないか」
「おれに触ってみろよ」
佐々木は、ためらいながらも神原の手を握った。
「冷たいだろう? それはおれも感じている。いくらこすっても、何をしても温まらないし、指先に感じる痺れがますます強くなっているんだ」
「きみは……何かの病気なんだよ。これが終わったら……病院に行こう。きみは死なない。死なせない。私はそういった運命論とか宿命というのは信じない。好美のことも最悪の偶然が重なっただけだと思っている。神がいて、好美に悲惨を見せていたとしたら、神さえも許せないからだ」
「分かるよ。だが、おれたちは怪物に導かれているんだ」
「……こんなことになるなんて思わなかった」佐々木が弱々しく呟き、今度は神原と葉月に見えないように顔を背けて涙を拭った。
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