第48話 闇の鍾乳洞
「佐々木、立ってくれ。出口を探そう」
佐々木豊は汚れた袖で頬を拭うと、神原浄に引きずられるように立ち上がった。そして、あてもなくしばらく二人はプラットホームをうろつき回った。
「窪田と怪物が現れた道を辿れば、外に出られるかも知れない」
「元来た道を辿りたくないな」
「他にも道はあるはずさ。それを探そう……とはいえ、それはどこだろう?」
「この男だけが知っている通路があるんだろう」
神原は、窪田シゲオを壁に押し付けた。
「おい、窪田。出口があるなら教えてくれ」
「で、出口なんてない」
「手荒なことはしたくない。外に通じる道があるはずだ」神原の声にもいらだちが混じっていた。
「ぼ、ぼくの知ったことか。どどど、どうせ、おまえらレヴィの餌になるんだ。じたばたしたって無駄だ」
その時、神原は窪田がちらりとトンネルの奥を見たのを見逃さなかった。元刑事らしく人の嘘が見抜けるのだ――こんなゾンビみたいな顔の男からも。
「……線路の奥へ進んでみよう」
神原は線路の片隅に、ゴミに埋もれた扉を見つけた。よく見ると、地面が踏み固められている。ここをひんぱんに通った跡と思われた。窪田が使っていたものらしく、ゴミを除けるとすぐに開いた。
「行けそうだ」
「外に続いているかな?」
「分からない」
「連れて行かれたお巡りさんをどうする?」佐々木が言った。
「あの警官、高倉はおれたちが化け物に見つかるのから助けてくれたが、……戻れない」
「見殺しにするのか」
「……」
神原は、窪田を立たせて言った。「あとで道案内してもらおう、あの警官の処へ」
「い、嫌だ」窪田がまたもがき始めた。
「地上へ出たら、すぐさま医者と救援を呼ぶ。高倉を助けるのは、残念ながらそのときだ。そして、事件の犯人としてこの男を突き出す」神原が、暴れる窪田を押さえつけて言った。
「ぼ、ぼくが殺したんじゃない! レヴィだっ」
「おまえは斧を使って、被害者の傷口を切断した。あの怪物をかくまって捜査をかく乱した以上、立派な共犯だ」神原は言った。
「……それに飼い主は、ペットの行動に責任を持つべきだろ」
神原と佐々木はしばらく狭い通路を進んだ。岩や瓦礫だらけでなかなか前に進めない。大岩をひとつ越えるのにずいぶん時間がかかり、越えるたびにくたくたになった。
……だが、やがて広い空間に辿り着いた。
湿気を多く含んだ奇妙な場所だ。天へ向かって突き出た岩が並んでいる。日の光が差さないのに、なぜかあちこちにぼんやりと光が見える。
「偶然が重なって出来た鍾乳洞だ」佐々木の顔が燐光に浮かんでいる。
「まさか、こんな町の地下に?」
「ありえないことじゃないよ。土中の微生物が、有機物を分解し二酸化炭素を大量に吐き出し、地下水の溜まった場所に沿って、石灰岩の化学侵食が起これば洞窟が出来る。この町の地下の岩盤は厚いと言われてきた。こんな場所は日本中にいくつもあるはずだ」
「……本当に物知りだな」
敬服するよ、と皮肉混じりに神原は言った。
「光っているのは?」
「それは分からないが、発光する岩石か微生物がいるのだろう」
神秘的な雰囲気に、場違いなものが見えた。黒く巨大な塊。なめらかな鉄で出来ており、その円筒はまるで巨大なカプセルを思わせたが、その大半が壁に埋もれていた。
「何だこりゃ、爆弾か」
神原はおそるおそるその塊を撫でた。氷のように冷たい。
「太平洋戦争時に、米軍が落としたものらしい。不発弾だな」佐々木が言った。
「驚いたな。町の地下にまだこんなものが残っているなんて」
「ああ。たまに建設現場で見つかって、自衛隊が処理するために大騒ぎになるな。不発だったとはいえ、信管が残っている以上、爆発する危険があるんだ」
「すごくでかい」
「不発弾の大きさによって、避難半径は当然変わる。これは……500キロ爆弾かな。仮に爆発すると、半径数十メートル以内の家が総くずれとなる」
「くわばらくわばら」
太平洋戦争の頃からここにあるのだろうか。鍾乳洞内には、金を掘る為に地下に潜った人間たちが残した木枠が張り巡らされていたが、その材木がクッションとなって爆弾を守っていたようだった。
「眠れる子を起こすべきじゃないな。さっさと通り過ぎよう」
そう言った神原の肩を佐々木が叩いて、違う方向を指さした。
「あれを上れないかな」
崩れた天井の一部だった。天井の梁が倒れて、階段を形成していた。すぐそばを勢いよく川が流れており、危険に見えたが、鍾乳洞を越えられそうだ。
「心なしか、何か音が聞こえる」
「本当だ。遠くでトラックのようなものが走っている音が聞こえる。――と、いうことは地上が近いかも」
神原と佐々木は、崩れた梁に向かって歩き出した。
「馬鹿め、逃がすもんか!」
突然、窪田が神原に襲いかかってきた。こっそりと拾ったレールの犬釘でロープに切れ目を入れていたらしい。一瞬のうちに関節を外して縛めから脱出すると、その石を神原に打ちつけた。油断した神原は、それをもろに食らって倒れた。
それに気づいた佐々木が窪田に向かった。しかし、窪田はもう片方に鉄棒を用意しており、それを佐々木の手に打ちつけた。佐々木が手首の傷に呻いた。
神原と佐々木が痛みに呻いているうちに、窪田はふたりから離れた。
「レヴィ、助けてくれ!」
その声に応えるように、いきなり闇が襲いかかってきた。
時期を狙っていたのか、いつの間にか怪物が忍び寄っていたのだ。怪物は岩場の陰から長い首を伸ばして窪田を噛んだ(優しくデリケートな仕草だった)。
窪田を口に挟んだまま、怪物は神原と佐々木を突き飛ばした。怪物の目的が飼い主を救う為だけなのが幸いだった。本気なら、二人とも一瞬で死んでいたはずだ。
とはいえ、神原の腕には激痛が走った。
飛び出た乱杭歯が右腕を引き裂いたのだ。
「ま、待て!」
怪物は静止を聞くはずもなく、窪田を従えて川に飛び込んだ。神原は、高倉から借りた拳銃を構えたが、遅かった。髪の毛の固まりが排水溝に飲まれるようにすぐ見えなくなった。
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