348 私の名前は――②

 老紳士はジェーンの腹部に陣取っていた。両手は頭上に持ち上げられ、動かない。引っ張ってみると金属の耳障りな音がする。


「あなたのために戻った覚えはありません」


 ジェーンは冷ややかに言いながら、目をすばやく周囲に向けた。ここは園長室の一階だ。簡易ベッドに腕を括りつけられ、転がされている。


「つまり養子ではなく、私を妻にして子をはらませ、人間の国を再建する腹づもりですね」

「さすがはロジャー様。ご明察です。話が早くて助かります」


 粘着質な笑みを浮かべ、ロンは手を伸ばしてくる。


「触れるな」


 ジェーンは凛と声を張り、よこしまな手を跳ねつけた。怒気を含んだ眼光で貫くと、ロンはひるみ目を泳がせる。


「私が大人しく肌を許すとでも?」

「ふふ……。ない、でしょうね」

「では槍に貫かれる前に、身勝手な野心を捨てなさい。ロナウド」

「身勝手? 私からの贈り物を受け取っても、そう強気でいられますかな?」


 ロンの手がジェーンの胸をわし掴みにした。そちらに気を取られたジェーンの首に、刺すような痛みが襲う。


「う……っ!」


 歯を食い縛りながら視線を飛ばすと、ロンの手から注射器が転がり落ちた。カツンッと床を打つ音が小さく響く。

 ロンは身をかがめ、戦慄わななくジェーンの首筋に舌を這わせた。注射を打たれたそこだけが奇妙に鈍い。


「ご安心ください。この毒は魔力の流れを乱すだけ。人体に影響はありません。しかし効果は絶大です。たとえロジャー様であっても、数日間はまともに魔法が使えませんよ。ほら、槍を創造してみなさい」


 ロンは愉悦の笑みで見下ろし、ジェーンの胸をすくい上げるように触れた。そして心臓を挟むようにもみ込む。

 好き勝手にもてあそばれてどんなに怒りを覚えても、ジェーンは魔力の手応えを感じられなかった。槍やハンマーやナイフがロンを撃退する想像をすればするほど、首から熱が広がり手足にしびれが走る。

 もどかしさと嫌悪でジェーンは身をよじった。


「この毒は二度接種してはじめて効力を発揮するんですよ。シナモンアップルティーはお口に合いましたかな? ふふふ。あなた様はもう私のお人形だ」


 昼食に出された飲み物に毒が仕込まれていたのか。そう気づいてももう遅かった。

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