第5話 豚

 突然世界が真っ暗になったと思った。

 これまで、灯火によって照らされていた世界が暗転。

 だが、突如瞼が熱くも感じた。

 この光は何だ? レパルトがそんな感覚とともに目を開けた。

 するとそこには、悪夢かと疑いたくなるほどの地獄が広がっていた。


「な……なんなの、これ……」


 崩壊した居住区。発掘した穴が崩れて土砂や岩の下敷きになって身動きの取れない者たち。

 下敷きを免れたものの、岩の破片や瓦礫に打ち付けられて血だらけになって倒れている者たちや、下敷きになっている仲間や家族を必死に掘り起こそうとしているものや、パニックで泣いている子供や女たちも居る。

 それは、レパルトの生きてきた十四年間で一度も無かった大惨事の光景だった。


「ふん、ヴァンパイア共に飼い殺しにされ、光も未来も無い、堕ちた人間共……哀れなものだ」


 誰かの声が聞こえた。

 同時に、多くの気配、足音、十や二十どころではない圧倒的な数。

 壁に大きく開けられた穴、眩く目も眩むような光を背にした異形の集団。

 その光を、外の太陽の光だとは、この時点では地下世界の誰もが知らなかった。

 だが、それよりも今は、この目の前に現れた異形の集団。


「なな、なんなんだよ、あいつら……」


 情けない声がレパルトから漏れるも、それは仕方がなかった。

 なぜなら現れた異形の集団は、自分たち人間とも、これまで出会ってきたヴァンパイアたちとも全てが異質。


「……ぶ……ぶた?」


 それは、時折地上からの物資で地下世界に運ばれる、肉類の一つ、豚。

 その豚が、二本の足で歩き、身を硬質な防具で覆い、鋭い刃先を光らせた武器を携えて、地下世界に現れたのだった。


「なん、なにが、どうなって……」


 気付けば辺りには似たような二足歩行の豚たちが続々と姿を現し、問答無用でも人の首を刎ね、潰し、そして蹴り飛ばす。

 そして、それだけではなく……


「ぐわ、わあああ、助けてくれええ、ぐべっ!?」

「いやぁぁぁ!!」

「あぐっ、が、あがああああ! やべえてえええ!!!」

「いや、きたな、ん、ぶたなんて、いや、いやああああ、いやああああ!」


 何が起こっているのか、その光景を目の当たりにしてもすぐには理解できなかった。


「げははは、いいね~、人間の女ってのは!」

「ギャハハハハハ、こいつとこいつ、持って帰るか~! あ、男とババアは殺していいや!」

「ほらほら、泣いてんじゃねえよ! お前は俺の嫁にしてやるからよ、ぐへへへ!」


 醜悪な豚たちが、泣き叫び嫌がる女たちを捕まえて……


「やだぁぁ!! たすけてよー、おかーさん! おとーさん! なんでぇぇぇ!? なんで私がこんな目、離して――」

「ぐわはははは、ワリーワリー、お嬢ちゃんが可愛すぎてよ~ほ・ら、優しくしてやっから」

「え……え……ひっ!」

「ほら、服を―――――」

「いやああああ! ゆるしてええ! もう、あ、あ゛!?」


 殺し、蹂躙する異形の者たち。



「ふふん。聞けえい、ミジメな奴隷共! 我が名は、偉大なるオーク族の『魔王アギュー』様が配下、チャシュー魔王国の大将軍である『猪突猛将軍ハッガイ』様の副将! 『バークシャ』なりッ!」



 それは、地上世界に生息する、人間とは異なる種族である、魔族という種の一つであるオーク族。

 一人一人が人間より一回りを越える大きさと、肉厚な体を持っている。

 中でも一人、浅黒い体毛と、他のオークと違って鋭い角を持ち、その逞しい腕には巨大な矛を携えた、異質のオークが居た。

 そのオークの名は、バークシャと名乗った。


「この天下において、我ら至高のオーク族をさしおいて、自らを覇王国と名乗る愚かなるヴァンパイアの国、アルテリアを我らの手で……壊滅させたッ!」


 突然の惨事。突然現れた異形の存在。そして何の前触れもなく宣言された衝撃の言葉。

 全てが自分たちの脳の許容範囲を越えてしまい、人間たちは誰もが言葉の一つも発することはできなかった。

 すると、その時だった。


「ふっ、ざ、けるなぁ! まだ、終わっておらぬ! わらわたちはまだ、負けてはおらぬっ!」


 誰もがその現実を受け入れることなんて出来なかった。

 神のように崇め、崇拝した、偉大なる皇女、ブリシェール。

 その銀色の美しかった髪が乱れ、その身に纏っている漆黒の戦乙女の鎧がひび割れ、本来美しく真っ白い絹のロングスカートも破れかかっている。

 その白く細い手足には、手枷を嵌められ、バークシャに捕虜として引きづられていた。


「ひひ、ひ、姫様アアアアアアアア!」

「ッ、な、なんで、なんでこんなことに!」

「あ、あ、な、なんて、ことを……」


 その光景、その悲劇に、老若男女問わず、死を免れた人間たちは涙を流してその場でへたり込んだ。


「ほう、よく調教されている。異形のヴァンパイアを相手に人間が涙を流すとはな。最早人間でもない、種族の誇りを失った、ただの奴隷か……」


 人間たちの悲しみ、流す涙の姿に、バークシャや武装したオーク兵たちは皮肉めいた笑みを浮かべていた。

 その状況下、囚われているブリシェールは今にも噛みつかんとばかりに叫んだ。


「黙れ、この卑怯者共め! 何が、戦の勝利だ! 父上や兄上たちが率いる本軍と、正々堂々と地上で万の軍同士の聖戦を行うと思いきや……手薄になった本国を別働隊で襲撃等……武器も持たぬ市民たちを襲い、火を点け、人質に……ッ、この醜いブタ共めが! 誇りがないのは貴様らではないか!」


 そう、戦の全容、それは単純なぶつかり合いではなかった。

 進軍してきたオーク軍を迎え撃つため、アルテリア覇王国もまた大軍を率いて迎え撃った。

 しかし、その際に手薄となった王都を、精鋭の部隊で強襲して陥落させたのである。

 留守の守り手としてブリシェールや最低限の兵がいたものの、オーク軍の精鋭部隊の力は、アルテリアにとっては想像以上のものであった。


「わめくな! どのみち、精鋭とはいえ、万にも及ばぬ我が隊にアッサリ陥落する程度の虚弱共が何を言うか!」

「な、にいっ!」

「ブリシェール姫……何百歳かは知らぬが、ただの小娘よ。ワシは貴様のように不老不死でない。歳は六十。戦歴は四十年だ。しかし! その四十年間の戦によって積み重ねられたワシの歴史は、貴様の無意味な数百年よりも果てしなく濃密なものである!」


 バークシャはブリシェールの首を強く掴んだ。

 それはまるで、世間知らずの小娘を叱り付けているように見えた。

 そして……


「そして戦において重要なのは勝つこと。殺し、そして相手の心をも殺す。それをおいて優先すべきもの等ない!」

「ぐっ、つっ、は、離さぬか……この無礼者! 離さぬか!」

「ふっ、本当なら貴様と貴様の『妹』、二人とも生け捕りにして、辱め、地上で我が国の本軍と交戦中の貴様の父や兄弟に晒し、絶望させる予定だったが……片方減らしても良いのだぞ?」


 その瞬間、ブリシェールは地下世界の人間たちが今まで見たことが無いほど強張った表情を浮かべた。


「ま、まさか、貴様ッ!」

「おい、セレスティン姫をここへ!」


 バークシャの口から語られたもう一人の姫の名前。

 これ以上の悪夢があるのかと、人間たちは誰もが絶望した。


「く、お、お姉さま、す……すみません……」

「セレス!」


 それは地下世界の人間たちも初めて見る、名前だけしか聞いたことが無い姫。


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