第70話 手掛かり。−2

 日が暮れた後、そのいやらしい感覚に惑わされたまま寝床を作っていた。

 雨宮さんの話通りなら「小林茜」と言う女の子を俺は知っている。それは幼い頃、俺と一緒に遊んでいた女の子の名前だった。俺がこの名前を知っている理由は多分何度も喧嘩していた茜の家から彼女を助けるためだったと思う…。


「茜…」

「うん?」


 風呂から上がった茜がパジャマ姿でこっちを見つめる。


「えっ…?どうした?茜」

「先、私の名前呼んだよね?」

「そうだった…?」

「うん。そうだった!それより床に作ってるのは何…?」

「寝床…だけど?今日は一緒じゃダメっぽい、雨宮さんが…」


 めっちゃ怒ってる顔をして枕を持ち上げた茜は、そのまま俺の頭に振り下ろした。


「約束と違う!一緒!ベッド!」

「声!声!」

「知らないよ!いつもそうやって誤魔化して…!それが柊くんの悪い癖だよ!」

「分かった…。分かったから…!」


 モノを入れる寸前まで行ったあの日から、茜の独占欲が強くなってしまった。

 それもあるけど、今の茜は「昔」の話をほとんど言ってくれなかった。前は自分のことを思い出せなかった俺にガッカリしていたけど、今はそばにいるだけで満足するのか…?何も言わず、ただ一緒に過ごすこの時間だけを考えているように見えた。


「本当に…?」

「うん…」

「本当に…?」

「うん…」


 そうやって俺が茜に怒られている時、部屋の中をこっそり覗いていた雨宮さんがニコニコしている。


「二人とも仲がいいよね?」

「お、お母さん?」

「一緒に寝るのは構わないけど…、あの…あれ…ちゃんとしてね!」

「お、お母さん!そんなことしないよ!」

「あら、そう?」


 やっぱり雨宮さんか…、茜より強いな…。

 そして二人の姿に笑みを浮かべると、めっちゃ怒ってる顔で俺を睨む茜だった。


「柊くん、何を笑う!」

「じゃあ、二人ともおやすみ」

「は、はい!」

「お母さんはもう来ないで!」


 と、言ってから電気を消す茜と今同じベッドで寝ている。

 薄暗い部屋の中であくびが出るほど、俺は精神的に疲れていた。でも、先の話で忘れていた記憶を思い出す。それは茜と過ごした幼い頃の記憶、だが…足りない。そこには俺と茜二人しかいなかった。大事なのは俺と茜、そして僅かに覚えているあの子のことだったから…、体の向きを変えて壁の方を見つめる。


「柊くん…寝てる?」

「まだ、寝てない…」

「じゃあ…なんでそっち向いてるの?」

「え…、ちょっと考えたいことがあって…」


 静かな部屋でベッドが軋む音が聞こえた。

 背中に頭をつけてぎゅっと…、ペットでもないのにいつもこうやってくっつく茜がとても可愛かった。やはり寝る前まで構ってほしい…ってアピールをしているよね。その甘え方には敵わない…、だから俺を抱きしめる茜の手を握って、すぐ体の向きを変えた。こっちを見ていた茜がびっくとするけど、それに構わず笑顔を作ってあげた。


「……今日はごめんね。いきなりうちに呼んで…」

「ちょっとびっくりしたけど、平気。大丈夫よ」

「へへ…、お母さんね?一人で住んでるから…、今日は休み日だから来たって」

「へえ…」

「いつも仕事で忙しいお母さんだったから…、会いたくなって…、そして柊くんのことも自慢したくて…」

「そうだったんだ」

「なんか…迷惑かけちゃってごめんね」

「気にしないからいいよ」


 小さい声で話している茜を抱きしめてあげた。


「付き合う前まで彼氏がいる女の子はどんな感じかな…って思ってたけど、すごく気持ちいい…」

「そう?」

「うん…。柊くんがいてくれて、お母さんの顔が前より明るくなったよ」

「あ、そうだ…。俺さ、昔茜と一緒に遊んでたことを思い出した」

「えっ、ウッソ…。思い出したの…?本当?」

「うん…。先、小林って…雨宮さんが言ってくれたよね?」

「うん」

「昔、茜が初めて泣き顔でうちのベルを押した時…あの時を思い出した…。小林さん、怖かったよな…」


 幼い頃の俺たちにスマホなんかなかったから、俺は隣の家から聞こえる小林さんの声に集中した。小林さんが家に帰ってくると、いつも茜に暴言を吐いて乱暴を働く。そう…、俺はあの時の茜を助けてあげたかったんだ…。だから、いつもそばに置いて俺と一緒にいる時間だけは安心して欲しくて…、「お兄ちゃん」って呼んでもいいって答えたんだ。


「うん…。なんで…早く思い出せなかったの…?」

「なんだろう…。俺にもよく分からない、でも…目の前にいる茜があの時の茜だったから、ちゃんと覚えている」

「……バカ」

「お兄ちゃんと呼んでくれたよね?」

「……た、たまに呼んだだけ…!たまに!」

「そう?」

「じゃあ…、あの時の記憶は全部思い出したの?」

「一番大事なところはまだ思い出せないけど、茜と一緒に過ごした時間ならちゃんと覚えている」

「それでいいよ…。私のことだけ、ちゃんと覚えて…柊くん」


 もう夜の11時なのに、スイッチが入っちゃった茜が俺にキスをする。

 茜って…、こんなに…積極的だったっけ…?


「ご褒美、あげる」

「えっ…?いいよ…時間遅いし!ぬ、脱ぐな…!茜ちょっと!」

「……お兄ちゃん」


 ……!

 俺の体に乗る茜の姿から見えていた。


「なんちゃって…」


 あの子の姿が…。


 ———気持ちいい(———)をしよう。お兄ちゃん…。


 また重なる二人の姿…。

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