第56話 遭遇。

 加藤先輩について来ただけなのに、いつの間にか茜ちゃんと離れてしまった。

 いや…、「行こう」って言った時からずっと加藤先輩しか見ていなかった私が悪いんだよね…。こうなると、茜ちゃんと神里先輩が二人きりになるのかな…?二人は付き合ってるから、そっちの方がいいんだよね…?ダブルデートみたいだけど…。茜ちゃんがいないと、私は先輩の前で緊張するだけだから…声も上手く出なかった。


「おっ!魚たちすごいな…」

「……」

「どうした?美穂ちゃんは魚好きじゃなかったのか?」

「い、いいえ…。ちょっと緊張して…」


 カッコいい先輩と一緒にいるから何を見ても集中できないよ…。

 どうすればいいの…?茜ちゃん…、教えて…。


「なんで?」

「なんでって言われても…、男と二人きりになったことないから…です」

「フン…、そっか?俺でいいなら教えてあげようか?男」

「えっ…!」


 今…、なんって…?


「フッ、ごめん。ごめん…。冗談、美穂ちゃん緊張してるから…心配しなくてもいいよ。せっかく二人きりになったから楽しもう」

「……は、はい…!」


 カッコいい、その笑顔も私のことを考えてくれるのも…中学の頃と同じですごく嬉しかった。いつも遠いところで、人々に囲まれていた先輩が今は私の前にいる。私、先輩のことを少しは知っているかもしれない。あの頃の先輩は本当にモテる人だったけど、一人になればすごく憂鬱になる人だった。


 偶然、体育館の倉庫を掃除したあの日。

 私は倉庫の隅でこっそり寝ている加藤先輩と初めて話をした。最初の一言は「今何時?」ってさりげなく先輩に声をかけられて、私は緊張しながら先輩に時間を教えてあげた。でも、当時の私はその表情に気づいてしまったのだ。加藤先輩のその表情はいつもとは違って「憂鬱」に見えたから、なんで人気者の加藤先輩がそんな顔をするのかな…って…。


 そしてみんなと一緒にいる時は明るい顔に戻る加藤先輩…。

 私は彼のことを心配していたかもしれない。


「美穂ちゃん、こっちよ」

「は、はい!」

「エイだ…。ぺたんこ…」

「……」


 先輩は水族館の魚を見てるのに…、私は先輩の顔から目を離さない…。

 バカみたい、何が欲しいのかすら上手く言えない私がこんなにドキドキしても、先輩は分かってくれないってそれを知ってるくせに…。少しの希望を抱いてしまう。


 いっそあの時…、先輩に襲われたら…。


「ちゃん…?」

「……」

「美穂ちゃん!」

「水族館、やっぱり楽しくないのか…?」

「い、いいえ…。楽しいんです!でも…」

「うん?」

「でも…、ちょっとだけいいえ…!なんでもないです!」


 その顔に私は何も言えなかった。


「あれ?海くん…?」


 その時、後ろからある女性の声が聞こえた。

 でも…私はこの声を知っている。この声は加藤先輩の…元カノ、茜ちゃんが神里先輩のクラスに行く時、たまには私もついて行ったから知っていた。あの先輩はちょっと怖い雰囲気を出している三年生のギャルだった。今日は友達とこの水族館に来たのかな…。どうしよう…、加藤先輩がそばにいるのに…あの先輩が怖くなる。


 目を逸らして加藤先輩の袖を掴むと、あの先輩が私を睨む視線が感じられた。

 隣の友達と一緒に…、それがすごく怖かった…。


「……行こう、美穂ちゃん」

「は、はい」

「へえ…、無視するんだ…。私を振ってあのブスと付き合ってんの?」

「……」


 その一言に加藤先輩が立ち止まる。


「今なんって…?」

「ブスと付き合ってるって言ったよ?まさか、あの海くんがあんなブスと付き合ってるって…私はあんなブスとは格が違うと思うけど?」

「……」


 ブス…。


「聞かなかったことにします。知らない人の悪口は良くないと思います。先輩」

「……どうして…、私はいまだに海くんのことを…」

「知らない、もう別れた人のこと覚えていませんので。ではこれでもう話しかけないでください」

「ちょっと…!海くん、どうして…」


 そんなことは知っていたけど、人に直接言われたら涙が出ちゃう…。

 私は茜ちゃんみたいな可愛い女の子でもないし、メイクも上手くならないし…。可愛い服を着たかったけど、私に似合う服もよく分からないし…、時間をかけても茜ちゃんみたいな可愛い女の子にはなれない。地味な人、それくらいだった。


 中学の頃から今までずっとスポーツが好きだったから、女の子らしいことと距離を置いていた。好きな人がいても、それは理想だけで今日みたいな日が来るとは思わなかった。ずっと好きだったけど、話はかけなかった。加藤先輩は私にとって遠い存在だったから、でも茜ちゃんと神里先輩を見るたび、私も綺麗な人になりたいって…。


 加藤先輩のそばにいてもいい人になりたいって…、そう思ってしまう…。

 あの先輩に悪口を言われている今も、ただ俯いて涙を流すことしかできなかった。


 私はやはり…。


「理由ですか…?そんなことあるわけないですよね?どうせ、先輩は金と顔しか見てないから…」

「……そんなこと…ない!」

「美穂ちゃん、ごめん…。そろそろ柊のところに行こう」

「まだ、私の話が終わってない!海くん!」


 あの先輩の顔を見るのが怖かった。

 でも、そんな私に気遣ってくれたのかな…。笑顔で私の頭を撫でる加藤先輩はすごく優しい声でこう話してくれた。「美穂ちゃんはブスなんかじゃない」って、その話を聞いてから私の涙は止まらなかった…。私は羨ましかった…。ずっと茜ちゃんが羨ましかった…。好きな人に何も言えない立場なんて…本当に嫌よ…。


 私も可愛い女の子になりたかった。

 茜ちゃんみたいな可愛い女の子になりたかった…。


「ごめん…。俺のせいで…あんな目に…、み、美穂ちゃん?」


 遠いところで見つめるだけでいいって、そんなこと嘘だよ。

 実はそばにいたかった…。「あのココアを渡してくれた時からずっと好きでした」って、口から出ないその言葉を飲み込んだ私は涙声でこう話した。


「ごめんなさい…」


 って。

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