第38話 汚い俺を。−3

 不安の連続、今更加藤に頼んでも何一つ変わらないんだよな…。

 俺は一体何がしたいんだろう…。それすら上手く答えないままで、今はただ雨宮との時間を過ごしているだけだった。嫌じゃないけど、なんか分からないことばかりで、心が複雑になってしまう。さりげなく俺と手を繋ぐ雨宮に俺は何を…望む…?


「今日は…、なんか疲れちゃった…。早く柊くんと二人きりになりたかったよ…」

「そう?会いたかった?俺に?」

「うん…!」


 二人きりの屋上、そしてベンチに座っている俺にこっそり寄りかかる雨宮。

 自然に体をくっつける彼女が微笑む、俺を見ていつも笑ってくれるんだ。俺もけっこう、この時間が気に入ったかもしれない。雨宮はクラスメイトたちと何が違うんだろう…?なぜ、俺は雨宮にだけこんなことを許しているんだろう…。


「柊くん…!」

「うん?」

「今日のお弁当おかずが少ないじゃん…。私が作ったおかずは…?」

「あれ…?まさか、キッチンに置いてきたのか…」


 サラダとのりだけのお昼か…、ぼーっとしてて忘れたかもな…。


「私のおかずあげるから心配しなくてもいいよ!あーんして」

「あーん」

「ちゃんと噛んでね」

「うん…」


 それから雨宮に食べさせてもらって…、なぜか今は頭まで撫でられている。

 でも、雨宮がけっこう楽しそうに見えたから俺もその顔を見て微笑んでいた。ゆっくり過ごすこの時間はいいよ…。雨宮のそばがとても心地よくて、眠気がさす。


 少しだけでもいいから、嫌なことを考えたくなかった。


「あ、そうだ。柊くん…あれ?」


 うとうとしながら後ろの壁に寄りかかる柊、そばからじっとして柊の寝相を見ている茜が顔を赤めていた。持っていたお弁当を床に下ろして、小さい手でその頭を撫でる茜が微笑む顔をして話していた。


「昔もこうやって寝てたよね…、懐かしい…お兄ちゃん」


 意識しないように柊から目を逸らしていたけど、茜の視線が少しずつ柊の唇に向かっていた。すると、寝ていた柊の頭が茜の肩に「ぽん」と寄りかかって、ぼーっとしていた彼女がびっくりしてしまう。


「……しゅう…くん」

「……」

「ね…寝てる…?」


 寝ている柊を自分の膝に寝かせて、静かな一時を過ごしていた。


「好き…柊くん、好き…好き…。私の前にいる…、今私の前にいる…」


 ……


 夢を見ていた。


 それは俺が思い出せない過去を見せてくれるような夢、私の前には二人の女の子がいた。俺たち3人はいつも遊んでいたような気がする。そんな記憶だったと思う、3人で手を繋いで遊び場に行ったり、一緒にご飯を食べたり、映画を見たりした過去の記憶が蘇る。そう、その中には雨宮と似ている女の子もいたんだ…。


「ねえ…!柊くん、私、柊くん大好き!」

「わ、私も柊くんのこと好きだから!私が先なの!」


 あ…、そうだった。雨宮が落とした写真…、そこに写っていたよな…。

 それは幼い頃の俺だったかもしれない。


 少しずつあの時の記憶が思い浮かんでいる…、その写真が俺たち3人が撮った最初で最後の写真だった。


 ———私の顔を思い出せないのは…、なぜ?

 ———柊くんは私と(————————)でしょう?どうして私のことを思い出せないの?

 ———ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ…。


「……」


 なぜ、あの声が聞こえるんだ…。やめて…。

 俺は…、やはり一人じゃダメだったのか…。


「……」


 そして目が覚めた時、俺の前には目を閉じている雨宮がいた。

 頭から感じられるこの感触は膝なのか、ますます近づいてくる雨宮の顔に俺は何も言えなかった。もしかして、寝ている俺に…そっか、そんなことだったのか…。


 まだ俺が起きていることに気づいていない雨宮、体を少し起こして彼女と唇を重ねる。目を閉じてゆっくりと、雨宮の唇を感じる。やっぱりこんなキスは初めてだから慌てるよね…。不自然な動き、俺は片手で雨宮の顔を触ってあげた。これは引いたあの線をちょっとだけ越えてしまったとうな気がした。


 雨宮には手を触れたくなかったのに…、こんなことをやらないとやはり俺が持たないかも…。

 ごめんね…。俺はやはりゴミだったかもしれない…雨宮。


「……っ」


 短いキスの後、こっちを見ている雨宮の唇を人差し指で拭いてあげた。


「な、何…今の…?」

「うん?雨宮がキスしたい顔をしてたから…」

「でも、私はまだ心の準備が…」

「へえ…、じゃあ…俺がそのまま寝てたら俺に何をするつもりだった?雨宮…」

「それは…」

「いいよ…。怒らないから…、言ってみて」

「ちょっと…だけ…、あの…ご、ごめんなさい…。私、先輩にキスをしようと…しました…。でも、でも…こんな大人のキスなんか分からないから…軽くしたかっただけ…それだけです…」

「いや…、別に謝らなくてもいいよ。へえ、雨宮も俺を見てそんなことを考えるんだ…」

「ち、違います…!け、決していやらしいことは…!」


 誰でもいいと思っていた。


 でも、その誰かを俺が決めるのが理不尽だったと思う。俺は…雨宮のことをそんな目で見てはいけないと知っているのに、何をしても一緒にいようとすることとか、俺のことを考えてくれることとか…。それに自慢していたかもしれない…、俺は加藤と違うと思っていたのに…、美香さんなんていなくなっても耐えられると思っていたのに。


 そんなことは「嘘」だった。


 また涙を流す雨宮の頬を優しく触ってあげた。すぐ泣いて、すぐ笑って、すぐ落ち込んで、たまには大胆なことをしたがる雨宮、そんな彼女に俺が特別な人だったら…それでいいと思っていた。


「雨宮」

「はい…」

「俺のこと好きか…?」

「……」


 雨宮は何も言えず、両手で自分の顔を隠したままこくりと頷く。


「じゃあ…顔を見せて」

「……」


 真っ赤になったその顔は言葉で表現できないほど、可愛くて綺麗だった。やぱり雨宮と一緒にいるのがいい、彼女が俺を癒してくれるなら、慰めてくれるならそれでいいと思っていた。


「俺、彼女は初めてだから…今日からよろしくね」

「……」


 そしてあの日から俺は雨宮のことを「茜」って呼ぶことになった。

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