3-020. かりそめ
教皇領を発つ日。
俺はまだ空が白んでいる早朝に目を覚ました。
豪華なベッドに寝ていたと言うのに、すこぶる寝起きが悪い。
昨晩の大浴場で、ネフラと話した賊の黒幕について考えていて、ちゃんと寝付けなかったのだ。
『狙われたのは、ジルコくんだよ』
ネフラのその一言がきっかけだった。
今まで漠然としていた不安が明瞭なものとなってしまった。
「しかし、なんでまた俺が……」
不安がひとりでに口から出てしまう。
考えてみれば妙な話だ。
俺がギルドを立て直そうとしていることを、どうして貴族に知られたのか?
慎重を期してギルド管理局にも悟られないように動いてきたのに。
ネフラは当然として、解雇通告を進めていることを
……そう言えば、ギルドマスターはお得意様への挨拶回りをしている最中だったな。
お得意様というのは
もっと具体的に言うならば、資金を援助してくれる貴族。
……待てよ?
まさか。まさかだよな。
ギルドマスターが挨拶回りの際、俺が次期ギルドマスターとしてギルド再生のために動いていることを伝えていたりなんかして……?
もしも
あるいは黒幕に通じている貴族がいたら。
……今、考えるのはやめておこう。
「ん? あれは――」
着替えながらちょうど思考停止したところで、ガラス窓の外に見える通りでクロードの後ろ姿を見つけた。
人気のない薄暗い街路を一人歩いている。
「――クロードのやつ、こんな朝早くどこへ?」
窓を開けてクロードの背中を追うと、彼が聖堂宮へ続く通りに入っていくのが見えた。
窓枠に寄りかかりながら、俺は何気なしにその後ろ姿を見送る。
「そう言えばあいつ、教皇様に帰る前に教会を訪ねなさいって言われてたっけ」
あの通りの先に教会でもあるのだろうか。
しかし何もこんな早朝に徒歩で出向くこともあるまいに……。
その時、俺の部屋のドアが乱暴にノックされた。
無作法なノックの仕方で、廊下にいる人間が誰かすぐにわかった。
「ジルコ! 出てきなさい、ジルコ!!」
……やっぱりだよ。
「朝からでかい声出すなよ。はしたない」
俺がドアを開けると、廊下にはプリプリ怒っているフローラの姿があった。
「何怒っているんだよ」
「これが怒らずにいられますか!」
ドン、とフローラが床を強く踏みつけた。
そのせいか、一瞬、建物がぐらりと揺れたような気がした。
「おいおい! 穴あける気か!?」
「加減しましたから、あきませんわよっ!」
他人にストレスをかける天才だな、フローラは。
だが、おかげでさっきまでの不安が吹っ飛んでしまった。
「で、俺に何の用?」
「クロードにこの宝石を渡しておくのですわっ!」
そう言うと、フローラから拳を突き出された。
拳が胸に当たって吐きそうになったが、なんとか堪えた俺は彼女の拳が開いた時に青色の宝石を受け取った。
「……けほっ。これ、ブルーサファイヤじゃないか」
「リッソコーラ様から、クロードへの
「? なんでそれを俺に渡すんだ」
「部屋から出てこないのですから、仕方ないじゃありませんか!」
「そりゃそうだよ。さっき――」
「床に置いておいてください、なんて! せっかくリッソコーラ様がお選びになった高価なサファイヤを廊下に野ざらしになんてできますか!!」
……ん?
フローラがおかしなことを言っているような気がするのは、俺が寝ぼけているからじゃないよな。
俺は廊下に首を出して、隣の部屋のドアを見た。
クロードの部屋は俺のひとつ隣なのだ。
「乙女が殿方のお部屋の扉を開くことはできませんので! あなたが代わりに渡しておいてくださいまし!!」
「え? お前、昨日俺の部屋のドアを開いたじゃないか」
「不心得者は! 人間じゃ!! ありませんからっ!!」
俺を怒鳴りつけると、フローラは廊下をズカズカと歩いていった。
途中、足を止めると俺に振り返る。
「……これから朝の集会がありますの。あなた、参加します?」
「いや。しない」
「死ねっ!!」
最後に
おかげで、もうすっかり目が覚めた。
「あの女、嵐のように現れて嵐のように去っていくな」
俺はブルーサファイヤの見事な透明度を観察しながら、ふらふらとクロードの部屋へと向かった。
そして、なにげなしにドアをノックしてみた。
すると――
「誰ですか?」
――クロードの声がした。
「え……。なんで?」
ついさっきクロードが外を歩いているのを窓から見たというのに。
なぜ部屋からクロードの声がするんだ?
「あ、あー……。フローラから宝石を預かったんだけど」
「ドアの前に置いておいてください。後で回収します」
「いや、そういうわけにも……」
「お願いします。昨夜は遅くまで日誌をつけていて寝足りないのですよ」
日誌をつけていて寝足りないだって?
クロードにしては可愛いことを言うものだ。
「わかったよ」
「すみませんね」
俺はブルーサファイヤをドアの前に置こうとしたが、途中で思い直した。
フローラの言う通り、こんな高価な宝石をドアの前に置きっぱなしにできるわけがない。
紛失した時、真っ先に俺が責任を問われることになってしまう。
「おいクロード。やっぱり受け取ってくれ!」
「誰ですか?」
「俺だよ! こんな高価な宝石を雑に扱うなんて、罰が当たるぞ!?」
「もう一度言ってください」
……なんだこいつ!
俺をからかっているのか?
「フローラからお前に宝石を渡せって言われてるんだよ! あとであいつにどやされるのは俺なんだから、受け取ってくれよ!」
「ドアの前に置いておいてください。後で回収します」
「さっきも聞いたよ!」
「お願いします。昨夜は遅くまで日誌をつけていて寝足りないのですよ」
「……んん!?」
おかしいぞ。何かおかしい。
この声の主はクロード……なのか?
「おいクロード。……フローラから宝石を預かったんだけど」
「ドアの前に置いておいてください。後で回収します」
「さっきも聞いたよ」
「お願いします。昨夜は遅くまで日誌をつけていて寝足りないのですよ」
「……!!」
今の会話を
俺は即座にドアを蹴破り、クロードの部屋へと飛び込んだ。
施錠の金具が部屋の中を飛び散っていく。
だが、部屋の中にはクロードの姿はない。
荷物も一切見当たらない。
代わりに――
「もう一度言ってください」
――部屋の真ん中に、クロードの首から上を模した土の彫像が立っていた。
その土台の下には、細かな模様が浮かぶ魔法陣が地味に煌めいている。
「……やってくれたな、クロード」
「もう一度言ってください」
その彫像はクロードの顔そっくりに
「気持ち悪いもの置いていきやがって!」
「もう一度言ってください」
あまりの気色悪さに、俺は彫像の土台を蹴り壊した。
彫像はバランスを失って床へと崩れ落ち、土色をしたクロードの顔が粉々に砕け散る。
それらがただの土くれに戻ると、床に描かれていた魔法陣も消え去った。
「嫌な予感がする……!」
俺が廊下に出ると、奥にある部屋から眠そうなネフラが顔を出した。
「ジルコくん? どうしたの、何の騒ぎ?」
「ついてこい!」
俺は
ネフラの声が背中に届いた気がしたが、俺は止まることなく階段を跳ねるように下っていき、一階へと着地する。
「じ、ジルコ様!? 一体何事で……」
エントランスホールに居合わせた宿のスタッフが驚いた顔で俺を見る。
「あとで弁償する!」
俺はスタッフにそれだけ伝えて、エントランスから外へと飛び出した。
そして、そのまま街路をクロードの歩き去った方角へと走る。
「クロード! 何をする気だっ!?」
直感が働いた。
クロードは聖堂宮で何かをやらかす気だと。
そして、それは俺が止めねばならないことだと。
空はまだ白んでいた。
人気のない通りを、俺はただひたすら走っていく。
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