2-009. ジャスファという女
侯爵邸を発った後、俺とネフラはジャスファの隠れ家や彼女の行きそうな場所を当たってみた。
しかし、彼女の足取りを掴むことはできなかった。
仕方なくその日は貸衣装屋に借りた服を返して解散となった。
貸衣装屋では、ネフラがドレスを返すのを渋っていたことが印象的だった。
そして翌朝。
起きて早々、衝撃的な事件がふたつ起こった。
ひとつは、ギルドの宿直室で目を覚ましたら、いつの間にか俺の隣にゾイサイトが寝ていたことだ。
最初は夢かと思ったが、現実だと気づいて死ぬほど驚いた。
あそこまで総毛だったのはひさしぶりだ……。
もうひとつは、気分を変えるために階下へと降りた際、誰もいない酒場で目が覚めるような出会いがあったことだ。
◇
「ジャスファ!」
窓から注ぐ太陽光に照らされながら、いつも通りの服装に戻ったジャスファが酒場の真ん中に立っていた。
「よう。サブマスターさん」
「あ、ああ……。おはよう」
「宿にいなかったからギルドに来てみたが、お前ここで寝泊りしてんのか?」
「……宿はもう引き払ったんだ。今は宿直室で寝起きしてる」
「ハッ! あのクマ野郎と添い寝でもしてんのか? キモッ!」
……寝起きの地獄を思い出させるな。
しかし、昨日の今日でまさか向こうから姿を現すとは。
「昨日のドレスは……その、似合っていたよ」
「はぁ!? ぶっ殺すぞてめぇっ!!」
突然、ジャスファが顔を真っ赤にして恫喝してきた。
……まぁ、あんな姿を知り合いに見られるのは想定外だよな。
「昨日、あたしを張ってたろ?」
「なんのことだか……」
「お前があそこに居る理由は他に考えられないんだよっ!」
また大きな口を開けて声を荒げる。
ルリじゃないが、本当にお前は慎みを覚えた方がいいぞ。
「少し前もあたしや子分どもをつけまわしてる妙な奴がいたが、あれもてめぇの差し金か?」
……ゴブリン仮面の調査のことだな。
さすが腐っても〈ジンカイト〉の
あいつの隠形術にも気づいていたか。
ジャスファがずいずいと俺に詰め寄ってくる。
胸元の開いた革の鎧は、早朝には目の毒だ。
「仲間を監視するたぁ、どういう了見だ!?」
監視がバレれば、当然こうなるか……。
ついに面と向かって言う時がきたようだ。
幸か不幸か、今この場には俺とジャスファの二人しかいない。
一対一で腹を割って話すにはちょうどいい。
「ジャスファ」
「あぁ?」
「貴族の園遊会で窃盗なんて真似は許されない。発覚していたら、お前もギルドもとんでもないことになっていたんだぞ!」
「窃盗だぁ? あたしが
やっぱりそうきたか。
昔も王国兵と揉めた時、証拠はあるのかの一点張りで煙に巻いていたな。
心苦しいが、ここは俺もハッタリで行かせてもらう!
「コイーズ侯爵のところの衛兵は優秀だな。お前がご令嬢から金目の物を拝借するのをしっかり見ていたぞ」
「つまんねぇ嘘つくなよ。それが本当なら、あたしはとっくにお縄だろうが」
「お前は腐っても〈ジンカイト〉の冒険者だ。侯爵が俺に使いをよこしたのさ。内々に処理したいってな」
「……」
ジャスファは怪しんでいるようだが、割と
もうひとつダメ押ししてみるか。
「あの日、俺を侯爵邸に招いたのはピドナ婆さんだ。お前がやっていることを知って、俺に止めてほしかったんだと」
「なんだって? ピドナ婆さんが……」
ピドナ婆さんは出来た人間だから、俺やネフラだけでなく、ジャスファのような始末に負えないやつも甲斐甲斐しく世話をしていた。
血も涙もなさそうなジャスファと言えども、ピドナ婆さんには思うところがあるはずだ。
「……ちっ」
ジャスファが目を逸らして舌打ちする。
この態度には見覚えがあるぞ。
計画が上手くいかなかった際、諦めの気持ちに傾いた時の仕草だ。
「侯爵が出した条件は、お前に《ジンカイト》を辞してもらうことだ。ギルドに迷惑をかけず、お前自身も捕まることはない」
「ちっ。あたしみてぇな人間はギルドのお荷物か」
すまん、ジャスファ。
このまま俺の話を信じて、折れてくれ……!
「ん? ちょっと待てよ。あたしはピドナ婆さんが侯爵のとこで働いてるのは知ってたが、一度も顔を合わせてねぇぞ」
「えっ」
「そもそもあんな恰好してたのに、ピドナ婆さんがあたしだと気づくのもおかしいじゃねぇか!」
「あー。いや、そうかな?」
「てめぇジルコ! あたしを騙しやがったなっ!!」
バレた!
言い訳を言う間もなく、ジャスファが俺の胸倉を掴みあげる。
余計なこと言って墓穴を掘ったか……。
「よ、よそ様の物を盗むのはダメだって、父親に教わらなかったのか!?」
「うるせぇ! あたしの知ったことかよ。あたしは、あたしのやりたいようにやる!!」
……もう、めちゃくちゃだ。
こうなったら理屈なんて知ったことか!
どうやってもこいつに解雇を認めさせてやる!!
「そんな身勝手な奴をギルドに置いておくことはできない。いいかよく聞けジャスファ――」
ジャスファの体を突き飛ばし、俺は彼女に人差し指を突きつけて言ってやった。
「――お前は
ギルドマスター、ついに言ってやったぜ。
一発ガツッとな!
直後、俺は――
「なんでてめぇにそんなこと言われなきゃならねーんだ!!」
――ジャスファの鉄拳を頬に食らった。
このじゃじゃ馬が……っ。
「そもそもサブマスターのてめぇに、一方的に冒険者を辞めさせる権限なんてねぇだろうが!」
確かにサブマスターの権限は驚くほど弱い。
権限が弱いくせに、仕事と言ったら役所の対応に
だが、今の俺はギルドマスター代理の扱いとなっていて、マスターと同じ権限を有しているのだ。
「俺はギルドマスターの後任として認められている! だからお前に宣言した解雇通告は有効だ!!」
「はあぁ? あいつがいつ後任に認めたってんだよ。嘘ばっかりつきやがって!」
ああ、そうか。
そう言えばジャスファは、あの人が次期ギルドマスターを指名した場にいなかったんだった。
「お前がルリと揉めた日、ギルドマスターから正式に名指しされたんだ。その場に居たルリやクリスタ達が証人になってくれる!」
「む……」
怯んだな、ジャスファ。
いくら横暴なお前でも、
ひとつ溜め息をついたジャスファは、急に態度を改めて俺に近づいてきた。
「なぁジルコぉ。そんながちゃがちゃ言わず穏便に済ませようぜぇ~。なんなら一発ヤらせてやるよ」
こいつ、なんてふしだらな……。
「お前なぁ!」
説教してやろうと思った瞬間、ジャスファが腕に絡みつき、
……大きい。
「あたしを傍に置いておいたほうが、ギルドのためにも絶対に得だぜぇ? なぁ、ジルコってばぁ」
艶のある猫なで声……。
腕に当たる豊満な胸……。
心を揺さぶるとろんとした顔……。
くそっ。
神様ってのがいるのなら、なんでこんな性格の捻じれた奴にこんな可憐な容姿を与えたんだ……!
「ひ、卑怯だぞ」
「お前がそれを言うのかぁ?」
ジャスファが俺の首へと手を回す。
「うわっ!」
――ジャスファはギョッとして俺から身を離した。
「お前、何してんだよ……」
ジャスファの誘惑に耐えるため、俺は下唇を噛み切ったのだ。
血は流れたが、理性を取り戻すことはできた。
「俺はギルドを守る責任がある。お前の思い通りにはならない!」
「つまんねぇ男」
ジャスファからは、数秒前までの可憐な雰囲気が嘘のように消えていた。
俺が言ってもこの女は聞きやしない。
ならばこいつをこの場で拘束して、ギルドマスターに突き出すしかない。
それが一番手っ取り早く事が済む。
「お前にはしばらくギルドに――」
ジャスファは俺の言葉を待たずに、テーブルに置かれた空き瓶を掴んで投げつけてきた。
かろうじて躱したものの、俺が視線を戻した時にはジャスファの姿はなかった。
「なんて逃げ足!」
その時、酒場と繋がる廊下の奥から、ガラスの割れる音が聞こえてきた。
窓を割って外に逃げられたか……。
彼女の俊足なら、いくら俺でももう追いつけないな。
同じ失敗を繰り返したことに苛立った俺は、つい感情任せにテーブルを叩いてしまった。
その時――
「ジルコさん? ……どうかしたの」
厨房からひょこっとアンが出てきた。
居たのか、この子。
「なんでもない。アンは今日も早いな」
「えへへ。今日もシチューを煮込もうと思って早く出てきたんだ」
アンが照れたように笑う。
「今日はまだネフラは来てない?」
「ん。ああ、そうだな」
俺が応答すると、アンが猫なで声をあげて近寄ってくる。
「ジルコさぁん。私、来月誕生日なんですよぉ~。お祝いのプレゼント、欲しいなぁ~?」
……プレゼントをせがむのはいいが、その言い方はやめてくれ。
「私もとうとう18歳! もうすっかり大人の女になっちゃって」
しかし、ジャスファを逃がしたのは痛いな。
もう俺に接触してくることもないだろうし……。
「ドワーフの女は強く逞しく美しく、が心得なんですよ!」
王都の外にも隠れ家があるなら、外へ逃げ出すことも考えられる。
あいつの取り巻きなら準備も速やかだろう。
「ジルコさぁ~ん。プレゼント贈ってくれますよねぇ?」
「ああ」
「本当!? やったっ!」
「えっ。あっ……」
……しまった。
考え事をしていて適当に相槌を打ってしまった。
「楽しみに待ってますねっ」
アンは嬉しそうにその場で一回りすると、鼻歌混じりにスキップしながら厨房へと戻って行った。
どうしよう。問題がひとつ増えてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます