1-010. 胃が痛くなる仕事

 約束の一週間が経過し、再び月曜の朝となった。


 ネフラを伴って約束の場所へ向かうと、すでに橋の上には情報屋の姿があった。

 今回は道化師ジェスターの装いではなく、初めからテールコートの姿をしている。

 ゴブリンの仮面はつけたままだ。


「今日は豚の膀胱ぼうこうは配らないのか」

「仕事で来ましたから」


 そう言うなり、ゴブリン仮面はきびすを返して橋を渡って行ってしまう。


「おい。どこへ行くんだ」

「誰が聞き耳を立てているかわかりませんので」


 確かにこんな場所でできる話じゃないな。

 どこか都合のいい場所に案内してくれるならと、俺はゴブリン仮面を追った。


「そんな仮面つけたまま入れる場所なのか?」

「ご心配には及びません」





 ◇





 ゴブリン仮面に連れてこられた場所は、絢爛豪華なコーフィーハウスだった。

 店の軒先に着くなり、俺達はすぐに個室へと案内された。

 今はどこからともなく漂ってくる香ばしい匂いを味わいながら、注文した飲み物を待っている。


「コーフィーの専門店なんてものがあるとはな」

「西方から移民も増えていますからね。コーフィーはこれから王都に浸透していくと思いますよ」

「それも裏情報か?」

「いいえ。私の勘です」


 コーフィーの匂いを嗅ぐと、執務室に呼び出されてギルドマスターから解雇通告の話をされたことを思い出す。

 ……あの人、ちゃんと資金繰りを頑張ってくれているんだろうか。


「失礼いたします」


 個室に入ってきたのは、浅黒い肌のウェイトレスだった。

 彼女の持つトレイの上にはコーフィーカップが三つ乗せられている。


「アヴァリス産のコーフィー豆を焙煎ばいせんした当店特製エルロワンヒールでございます」


 彼女は手慣れた様子で、順々にテーブルの上へとカップを置いていく。

 カップからふわっと香り立つ匂いを嗅いで、俺は何とはなしに気が休まる心地がした。


「御用がございましたら、こちらの呼び鈴を鳴らしてくださいませ」


 ウェイトレスは呼び鈴をテーブルの隅に置くと、一礼して個室を出ていった。

 正直なところ、怖いくらいに礼儀正しい。


「良家の執事やメイドみたいなウェイトレスだな」

「裕福層向けの店ですから。商談や政談に使われることも珍しくありません」


 俺の対面に座っているゴブリン仮面がカップを手に取ったので、俺も釣られるようにしてカップを取る。


「失礼」


 ゴブリン仮面は仮面を少しずらして、口元にカップを運んでいく。

 飲む時くらい仮面を外せばいいだろうに……。


 俺もカップを手に取り、コーフィーを口に含む。

 ギルドマスターには悪いが、あんたが淹れたものより美味しいよ。


「苦い」


 その声は俺の隣からぼそっと聞こえた。

 見れば、ネフラがカップを手にしたまま苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 まだまだ味覚は子供かな?


「さて。そろそろ仕事の話と参りましょう。ジルコ様もお忙しい身ですし」

「その言い方……俺が先週何をしてたかもリサーチ済みなのか?」

「ええ。ギルドと裁判所を往復していたそうで」

「その通りだよ。今日も午後に召喚されてんだ。手早く済まそうぜ」

「御意に」


 ゴブリン仮面は羊皮紙の束を取り出し、俺の前に差し出した。

 ざっと目を通した限り、羊皮紙の一枚一枚に〈ジンカイト〉の冒険者達の情報が記載されているようだ。


くだんの十名について調べましたが、何名かは国外の活動が多く調査に苦心しました」

「一週間でこれだけ情報収集できれば上出来だよ」

「直近の動向と金銭授受。あとは接触した人物について可能な限り調べています」

「そいつはありがたい」

「一枚目から説明しますが――」





 ◇





 ゴブリン仮面の素行調査は確かなものだった。

 ごく一部の冒険者については特に問題は見られなかったが、俺が警戒していた連中については十分な解雇事由が得られたのではないかと思う。

 と言うか、調査報告を読んで血の気が引いた。

 

「噂にたがわぬ曲者揃い。ジルコ様に同情いたします」

「そりゃどうも……」


 情報屋に同情されるほどかよ。

 どいつもこいつも、俺の知らないところでめちゃくちゃしやがって!

 表沙汰にできないような報告もあるし、下手すると〈ジンカイト〉自体に責任追及されかねない。


「追加で調査が必要な際は、またお訪ねください」

「できれば避けたいがな」


 俺は足元のリュックから革袋を取り出して、テーブルの上に置いた。

 この袋の中には、俺が苦心してかき集めた依頼料が入っている。


「改めさせていただきます」


 ゴブリン仮面は袋を手繰り寄せると、中の硬貨を数え始めた。

 テーブルの上に重ねられていく色とりどりの硬貨を眺めながら、俺は明日からの食事や寝床をどうするか考える。

 ……ギルドの宿直室にでも寝泊りするか。


「大金貨17枚。小金貨7枚。銀貨5枚。銅貨3枚。約束の30000グロウ、確かに頂戴ちょうだいしました」


 硬貨の入った袋を手提げ鞄へと収めて、ゴブリン仮面は呼び鈴を鳴らして席を立った。


「それでは私はこれにて」

「ああ。ありがとう」


 そのままドアから出ていくものと思っていたが、何を思ったか彼はドアの前で立ち止まった。


「どうした?」

「先日、英雄不要論の話をしましたが――」


 ゴブリン仮面は途中で言葉を切って沈黙した。

 俺には、その後の言葉を言い淀んでいるように感じられた。


「――その提唱者は王宮にも顔の利く貴族との噂。しかも、ドラゴグとも懇意にしている人物のようで」


 ドラゴグは俺達の国エル・ロワの隣にある大国だ。

 今では大陸主要国家のひとつで、エル・ロワとも同盟関係にある。

 しかし、どうして今そんな話を俺にするんだ?


「何の話だかわからないんだが……」

「軍縮が進む今、エル・ロワにとって冒険者ギルドは貴重な戦力のはずなのです。それが大手ギルドを中心に衰退の一途をたどっている」

「その貴族が王都のギルドに圧力かけてるって言うのか。ドラゴグのために?」

「裏を取ったわけではありません。しかし魔王邪魔者が消えた今、歴史が繰り返すのもまた必然かと」


 きな臭い話だな。

 だが、今の俺には国がどうとかを考えている余裕なんてない。


「ごちそうさまでした」


 そう言い残して、ゴブリン仮面は個室から出ていった。


「変な奴だ。なぁ?」

「え。なに?」


 隣のネフラに声をかけると、いつの間にやら彼女は本を開いていた。

 ミスリルカバーのでかい本ではなく写本の方だ。

 この子は話に飽きると人前でもかまわず本を読みだす悪い癖がある。


 ネフラらしいな、と苦笑いしつつ冷めきったコーフィーを口にする。

 その時、俺はハッと気づいたことがあった。


「あいつ、ごちそうさまって言ったよな」

「たぶん」

「コーフィー代は誰が払うんだ?」

「エルロワンヒール1杯63グロウ。三人合わせると、締めて189グロウ」


 ご丁寧に、ネフラが店を出るために必要な金額を教えてくれる。

 そこそこ高級なワインが買える額だな……。

 まさかあいつに依頼するたび、ここに連れてこられるのか?


「くそっ。今日は晩飯は抜きだ」


 俺は奥歯を噛みながら、財布から小金貨1枚と銅貨9枚を取り出した。





 ◇





 必要な情報は揃った。

 あとは俺のやり方で解雇通告を進めていくだけ。


 仲間と衝突するのは覚悟の上。殺されかねない危険も承知の上。

 そうじゃなければ、〈ジンカイト〉のギルドマスターなんて務まらない。

 だけど、俺だって殺されたくはないから、みんなに穏便に辞めてもらうための努力は惜しまない。

 ギルドのためにも。俺自身のためにも。

 引き受けた以上、必ずこの使命クエストを果たしてやる!


 ……ああ、だけど。

 胃が痛くなってきたのは、気のせいだろうか。

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