可哀想な人

 ――2047年12月25日、午後11時10分、乗車。


 このタクシーは、最近流行りの無人タクシーだ。車内の電子板を操作して、場所を伝えるだけだ。

 タクシーに乗り込んだ僕らは、それぞれの目的地を入力する――つもりだった。

「あ、さとりくん、この後、私に付き合ってもらってもいいですか?」

「なんで?」

 僕は藍里を睨みつけた。

「なんでもです!」

 藍里は、そんな僕の睨みに動じず、自分の目的地だけ入力して、僕の手を電子板から振り払った。

「ちっ、めんどくさ……」

「そう言わないでください。ご飯、食べてないんでしょう?」

「ああ、まあ……Diveダイブするときも、できるだけ空腹が望ましいわけだし」

 シンクロ率を上げるために、体の働きは最小限に抑えるべきだと言われている。そんなもの、誤差だろ、と、僕は思うのだが。余談だが、Diveダイブ中にシンクロ率が低い状態が続くと、脳が現実と仮想の区別を付けられなくなり、生命維持に支障をきたす。パニック状態に陥って精神が崩壊してしまったり、脳に重度の障害が残ってしまったり、最悪、死に至ることだってある。そんな、最悪の事態を避けるために、メディックがDiverダイバーの状態を常にチェックしているわけだ。Diverダイバーたちにとって、メディックは、いわば、命綱といえる存在なのだ。

「新東京の繁華街に美味しい中華のお店が――」

「そんな得体の知らない店で食べたいとは思わないね」

 僕は、即答で藍里の提案を撥ねつけた。なぜなら、新東京は多国籍化の影響が色濃く、既に日本であって日本ではない。表向きは立派な飲食店でも、蓋を開けてみれば裏社会と繋がっているマフィア絡みの店だった、なんてこともままある。

「あ、うん……それならお寿司とかどうかな?」

「あのさ、はっきり言うけど、僕は新東京になんて行きたくないんだよ!」

 僕は、藍里の愚鈍な発言にイライラしていた。その危機感のない言葉の数々には心底あきれる。愛唯だったなら――

「そっか……どうしよう――あ、それなら、私の家で、私の手料理のほうがいいかも、ですね?」

「ああ、そう。もう、なんでもいい、好きにしたら」

 僕は心底どうでもよかった。それで空腹が満たされるのなら、なんだっていい、どうでもいい。これ以上、藍里との無駄な会話を続ける気はない。

「う、うん――じゃあ、こうして……っと」

 藍里は目の前にある端末で目的地を変更したようだ。

 僕は藍里の嬉しそうな笑顔を横目に、クリスマスの飾りつけに、原色系の下品なネオンが輝く看板で埋め尽くされた相も変わらない街並みを、不機嫌になりながらも車の窓から眺め続けていた――


 藍里の住んでいるマンションに着くと、藍里の部屋に案内され、料理ができあがるまでの間、リビングで待っているように言われた。

 こんないい場所に住めるなんて、説得者パースウェイダーと違って、広報の仕事はわりといい給料をもらえているらしい。まったく、羨ましい限りだ。

 僕は重厚なソファに腰を掛け、リビングに備え付けられている映像投影型スクリーンのリモコンに触れる。

 大き目のキューブから投影された映像は、今日の主要ニュースのようだ。大体が新型E・D・E・Nの話題で持ち切りであり、新型E・D・E・Nが大衆にいかに期待されているのかがよく分かる。これもあの忌々しい父親の手柄だというのだろう。本当に忌々しい――うんざりする。


「ねえねえ、お母様、来られなくて残念だったね~。私、お会いしたかったなぁ……『なぎさ』さんに」

 フォーマルなドレスから部屋着に着替えた藍里は、ソファに座っている僕の後ろから、僕の肩にその両手を手を置きながら、そんなことを言う。

 藍里はプライベートになるといつもこんな風に馴れ馴れしくしてくる。そもそも、藍里が広報の仕事をするきっかけになったのも僕の母親『鳳城 渚ほうじょう なぎさ』に気に入られて、コネ入社で広報部に配属されたのが発端だ。

 確か、藍里が中学生くらいの頃はまだE・D・E・Nの社会見学が定期的に行われていて、たまたま帰国していたうちの母親と話す機会があったんだとか。そこで、中学生だった藍里に、『将来、うちで働きなさいな』と、母親がたまたま話しかけたところ、『はい!』と潔く了承したんだとか。そんな藍里の持ち前の明るさやひたむきさに心打たれ、本当に採用試験に応募してきたらコネを使ってあげようと思ったらしい。いや、本当の話かどうかは分からないけども。そもそも、藍里であれば、コネなんてなくても今の地位に到達するくらい容易いことだろう。正直、そんなどうでもいい話を、僕は半信半疑でしか聞いていなかった。だから、真相は知らない。本当のことだろうが、冗談だろうが、そんなことはどうでもいい。

「ああ、そう。別に、僕は会いたくもない。どうでもいい」

 僕は、そんなどうでもいい話を、早く終わらせたかった。そもそも、僕と藍里が出会ったのも、そのきっかけは母親だったな。


 藍里と僕の出会いは、偶然にも通う高校が同じで、藍里が僕と同じ高校に通っていることを知った母親が、どうしても藍里に会って話をしてみたいと懇願したことがきっかけだった。案外、その時点で藍里は既に母親から気に入られていたのかもしれない。

 それから、僕の母親と意気投合した藍里は、僕たちと一緒にランチやディナーを共にすることも多かった。旅行なんかにも藍里を同行させたりしていた。

 僕らが高校を卒業するころに、母親は海外に滞在することが多くなってきて、父親は研究に没頭、挙句の果てに愛唯があんなことになって――藍里は、僕のことを憐れむかのように、おそらく同情心かなんかだろうが、それからの僕と一緒にいる機会が増えていった。ま、どうせ、それも僕の母親に対するポイント稼ぎか何かのつもりだったのだろう。今でも、その名残からなのか、藍里はこうして、いつも僕の世話を焼こうとする。正直、こういうのにはうんざりだと感じる反面、利用できるものは利用するに越したことはないとも考えている。

「そんなことないでしょ? さとりくん、根は優しい子なんだって、お母様言っていたもの」

 藍里の言葉に、僕は寒気を覚えた。根は優しいだって? いいや、僕の根は、あの一件で完全に枯れ果てた。

「僕は、父親も、母さんのことも、どうでもいいし、二人のことを酷く恨んでいるよ。そもそも僕がこんな風になったのだって――」

「卯月 愛唯さん――」

 藍里が、僕の言葉を遮った。愛唯の、愛唯の名を出すな。

「黙れ。それ以上言うな」

「ご、ごめんなさい。でも、あの事件は――」

「うるさいって言ってるんだよ! 聞こえないのか? 黙れよ!」

 僕は限界だった。本当にイライラする。なんなんだ、どいつも、こいつも。

「あ、あの、ごめんなさい。そんなつもりは……」

「興覚め。帰る」

 興覚めした僕は、藍里の家の玄関へと向かう。

「さとりくん、ごめんなさい」

 僕の後ろから藍里がそっと僕に腕を回し、そのまま抱きしめてくる。

「はぁ――で、どうしたいの?」

 僕は呆れながらも聞く。

「ご飯、すぐに用意するので、それだけでも、食べて行ってください……」

 藍里は言う。

「ちっ……はいはい、そうしますね。めんどくさ」

 舌打ちしながら、僕はリビングに戻り、ドスンとソファに腰を掛ける。クソ、忌々しい。

「さとりくん、貴方は、卯月 愛唯の呪縛から逃れられないでいるのよね……彼女は、とっくに貴方の鎖を解いているというのに……可哀想な人――」

 キッチンから藍里が、僕に聞こえるか聞こえないかの声で、そう呟いていた。ああ、そうだよ、悪いか? ああ、本当に、どいつも、こいつも、忌々しい。


 ――忌々しい。


 忌々しい? 忌々しいのは、僕の、態度じゃないか!! こんなの、こんな僕はもう、うんざりだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る