パースウェイダー
僕は取り乱していた。いや、これは、僕ではない、いや、これが僕?
「頭の中で、僕と僕ではない僕が――いや、僕?」
僕の頭の中に処理しきれない情報が渦巻き、僕ではない僕の記憶が流れ込んでくる。今にも僕の精神は崩壊してしまいそうだ。
「さとりちゃん、落ち着いて!」
雪音さんが僕の肩に手を置いて、その顔を近づけてきた。
「わけが、分からない……どうして、どうして――ああ、そうか、愛唯……」
僕は、もう、何もかもが、消えてしまいそうで……なぜだろう、愛唯のことを考えると涙が、止まらない――
「鳳城 さとり、本当の現実を、受け入れろ。お前が、今ここに居る理由を思い出せ。お前が何者なのかを思い出せ」
天野は、そう言いながら僕の額に手をかざした。
「僕は――」
――2047年12月25日、午後10時、E・D・E・Nゲート施設内。
僕はいつものように、E・D・E・Nからログアウトして、ダイブポッド内で目を覚ます。
E・D・E・N への接続は
当然、現実世界を見失ってしまった
あの忌々しい事件、あの事件がきっかけで、僕は忌々しい父親の力を借りて
ポッドを満たしていた溶液が排出されるとともに、ポッドの上部が重々しく開く。微弱な電気信号がこの溶液を伝って脳波にアクセスするとか、有害な電磁波からの緩衝材の役割を果たしているとか、そんなどうでもいいことはいくらか学んできた。
現実世界に戻ってきた僕は、着込んでいるダイブスーツの窮屈な感覚が戻るとともに、いつもの不快感に見舞われる。ああ、またこの感覚、忌々しい。
「鳳城さん! お疲れ様です! そして、おかえりなさい。クリスマスの夜にお仕事だなんて、泣けちゃいますよね! あ、でもでも、私はお仕事とはいえ、鳳城さんとクリスマスの夜を過ごせるなんて感激です。鳳城さんの専属メディックで本当によかったです!
現実世界に戻って早々に、『
伏見 洸、こいつの存在には本当にうんざりする。
前任者は無口で、的確に仕事をこなしてくれる男だった。前任者が本社への異動が決まった際に、メディックの研修を終えたコイツがここに配属された。しかも、この女が僕の担当となった。よりにもよって、こんな足手まといの新人が、だ。僕も説得者パースウェイダー》になって、まだ2年にも満たないが、彼女よりは長くここに居るし、彼女なんかよりも、もっと優秀な人材を専属にしてもらえる程度の貢献はしているつもりだ。
そもそも、プロトタイプのモジュールを埋め込まれた僕の専属が、こんな役立たずになるとか、本当にどうかしている。どうせ、他の奴らは僕に何かあった時の責任を取るのが嫌なんだろうよ。だから、こんな新人を僕の担当に回したんだろう。
ああ、コイツの能天気というか、頭お花畑な性格には、本当にうんざりする。それに輪をかけて、この女、今時、何の変哲もない眼鏡を着用しているだなんて、時代遅れもいいところだ。
――コイツだけじゃなく、ここの奴らは、どいつも、こいつも、みんな、本当に忌々しい。だが、僕はE・D・E・Nへのシンクロ率もダントツだし、成績も今のところトップだ。ゴミ共はせいぜい僕の足元を這いつくばっていればいい。
それにしても、この女、なにか大きな失敗でもしていなくなってくれれば清々するのだが――いや、僕の命にかかわるようなことをされても困る、か。
彼女は、僕のダイブスーツに接続されているいくつかのプラグを、ゆっくりと引き抜き始めた。このダイブスーツは、
「あ、ちょっと痛みますよ」
僕のダイブスーツからプラグを抜き終わると、そう言ってから、最後に僕の後頚部に埋め込まれたインプラントモジュールに繋がっているプラグをゆっくりと引き抜いた。その瞬間、めまいと吐き気を伴う痛み、これにはもう慣れた。
インプラントモジュールは、
僕が黙っていると、伏見は僕の顔をまじまじと覗き込んでくる。
「あ、あの、どこか具合悪かったりしますか? 私の声、聞こえていますか?」
彼女は、僕のことを心配そうにして聞いてくる。
「いや、別に」
僕は即答した。僕は機嫌が悪かった、ただそれだけだ。クリスマスの夜にカップル共が電脳空間に囚われ、わざわざ助けに行く僕の身にもなってくれ。本当に、うんざりする。黙って、自分の仕事に専念しろ。
「そ、そうですか! 良かった……あ、あの、インプラントのプラグ洗浄が終わったら、せっかくなのでお食事でも一緒にいかがですか?」
伏見は僕を誘っている。ああ、これにもうんざりだ。
「いや、興味ない」
「変なこと聞いちゃってすみません、鳳城さんにも予定とかありますもんね……」
「いや、ない」
「え、あ、も、もし私と二人きりが嫌だったりするなら、当直の人たちの予定も聞いて、みんなで行きませんか!?」
「どうぞご自由に。僕は遠慮するよ」
僕は、伏見の誘いを丁寧にお断りした。
「そう……ですか、分かりました。すぐに洗浄を終わらせちゃいますね」
伏見はプラグの洗浄を手早く終わらせ、スーツに纏わりついている溶液を軽く落とす。
「もう、いいか?」
僕はこの忌々しい溶液を洗い流すことで頭がいっぱいだ。
「あ、はい。問題ありません
伏見の返事と同時に、僕はポッドの縁をまたいで、ケーブル類を守るように設置されている階段を下りる。
よろよろと階段を下りていると、慌てて伏見が僕を支えに階段を下りてきた。
「鳳城さん、お気持ちは分かりますが、まだもう少しじっとして脳を休めないと……」
伏見は僕を心配してくれていたのだろうが、なんだか無性に腹が立った僕は、支えてくれていた彼女の腕を振り払い、彼女に舌打ちをしてから、そのままシャワールームへと、よろよろとした足取りのまま向かった。
「――ああ、うんざりだ」
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