境界編

五日目

鳴神

 西暦2000年1月5日、午前2時――


 呼び声――誰かが、僕のことを呼んでいる――

「――とりちゃん! さとりちゃん! 起きて!」

 雪音さんの声に僕は叩き起こされた。なんだ、いったい? 僕は、幾何学的楽園ジオメトリック・エデンにいたとでもいうのか?

 薄闇の中、薄っすらと瞼を開いた僕の目の前には、雪音さんと、もう一人、男性――だろうか? 暗くて彼の顔までは見えないが、手には白い手袋を着用している。彼らは、どうやってここに?

「雪音さん? どうして、ここに?」

 僕は寝ぼけまなこをこすりながら、雪音さんに尋ねた。

「サプラーイズ! なんて、冗談言っている場合じゃなくて、急いでこの中に入って!」

 雪音さんは、僕の隣に空いた、何だか異質で禍々しい真っ暗な空間に誘っている。

「い、いや、これはちょっと」

 僕は突然の出来事に拒否反応を示していた。

「鳳城 さとり、いいから、今すぐ、この中に入れ。今すぐに、だ」

 白い手袋を着けた男が、威圧的な声で僕を急かす。何がどうなっているんだ? 考えていても仕方がない――

 僕は、ベッドから起きると同時に、勢いよくその異質で禍々しい真っ暗な空間へと飛び込んだ。


 ――深淵アビイス

 そこは、闇と燃え盛る火炎が支配する、灼熱の地獄のような場所だった。辺りにはマグマが噴出し、時々、どこからか耳をつんざくような轟音がとどろく。マグマと炎に照らされたその世界は真っ赤に染まっていた。だが、不思議と熱くはない。


 ほどなくして、雪音さんと、もう一人の謎の人物が僕の後を追って、この世界にやってきたようだ。その男性の姿が、マグマと炎の明かりに照らされ、その姿がはっきりと見える。長身で細身、白手袋に、白夜よりもダークヒーロー感満載の真っ黒なロングコートに真っ黒な上下と靴。そして、極めつけにサングラス。この人のことを一言で言い表すとすれば、“キザ“――いや、ラスボス……といったところだろう。

「さとりちゃん、こんなところに連れてきちゃってごめんね! あ、紹介するね――こちら、黄泉比良坂よもつひらさかの教祖様、鳴神なるかみ――いえ、天野さん」

 雪音さんが驚愕の事実をさらっと僕に告げる。黄泉比良坂の教祖だって? 雪音さん、これはまさか、反乱なのか!? しかも、“天野“だって!? ミィコと何らかの繋がりが? いや、そんなまさか……だが、僕をここに連れてきたということは――

「鳳城 さとり、勘違いするな。私も雪音もお前の味方だ」

 僕の表情から、その気持ちを察した天野が、そう僕に告げた――味方……だって?

「それって、どういう――」


 僕が慌てて聞き返そうとすると、雪音さんが僕の言葉を遮るかのように――

「さとりちゃん、よく聞いてね――この世界の真実を――」

「雪音、手短にな」

 語り始めようとした雪音さんに、天野が横から釘をさす――が、それを無視して雪音さんがゆっくりと語り始めた。

「西暦2047年――仮想現実世界E・D・E・Nは各国で運用されていて、日本では、独自にE・D・E・Nを用いた二十世紀再現プロジェクトが発足。E・D・E・Nの運営会社である、brecu.H Ark Co.ブレクHアークカンパニー、そのCEOのエドガー・クロイツ氏は、この計画にたいそう乗り気だったみたいで、E・D・E・Nシステムの新型を投入することを決定したの。これには日本支社のチーフエンジニアである、鳳城氏、彼に新型E・D・E・N運用の全権が与えられてのプロジェクトスタート――その時、誰も知らなかったの、新型E・D・E・Nシステムに搭載されたAIが優秀すぎるゆえの重大な問題があるということを」

 雪音さんがいつもながらとんでもないことを言い出す。


 いや、だって、僕にそんな記憶は微塵もないし、さすがにそんなこと理解できない。この世界は、その新型E・D・E・Nの内部だっていうのだろうか?

「鳳城 さとり、『信じられない』といった顔だな。いいか? この世界は全部作り物だ。どれもこれも、すべてがすべてだ。惑わされるな。お前は既に、世界の理に洗脳されている。いや、この世界の住人、すべてが洗脳されている。ループしている世界、そんなものもまやかしだ。実際、ループした回数は、2回だけなのだが、何度も何度もループを繰り返しているように錯覚させているんだ。今現在の世界、それこそが、2回目のループ後の世界というわけだ。ここは、偽りの世界の中で唯一、本当の現実世界との結びつきの強い、いわば真実を見いだせる場所だ」

 天野は弾丸のように真実を浴びせてくる――僕には、チンプンカンプンだ。全部、作り物?ここに居る人たちも?

「僕が知り合った人たち、すべて作り物というわけですか?」

 僕は、理解しがたい現実を、そうやすやすと受け入れることができなかった。

「いいや、違う。真実を話そう。鳳城 さとり、お前の父親は海風 凪――いや、厳密には鳳城 業ほうじょう かるまだ。そして、現実世界のお前は、海風 藍里、水戸 雪音、私の娘である天野 神子、さらには、この私とも接点がある。この世界での私は、カルト教団黄泉比良坂の教祖でもあり、『鳴神なるかみ』と呼ばれている。一人一人が世界のことわりによって、異なる役割を演じさせられている」

 天野が突拍子もないことを言い出した。海風 凪は鳳城 業だって? 天野が鳴神を演じている? どういう、こと?

「そんな、いきなり、どういうことですか?」

「よく聞け。二十世紀再現プロジェクトは、2028年に行われた火星計画マーズプロジェクトの失敗を糧にして計画された。そもそも、この二十世紀再現プロジェクトも大概失敗作だったといえようが……基本設計は火星計画を基にしているのだが、未熟なAIが大きな失敗要因だった。だから、現状、全世界で稼働しているE・D・E・NにAIの干渉は一切ない。それを見事に克服し、科学の発展とともに、完璧ともいえるAIを搭載したのが新型E・D・E・Nシステム。だが、その全権をAIに任せてしまったのがそもそもの間違いだったのだ」

 天野の言葉に割り込むようにして、雪音さんが――

「そう! そのAIこそが世界のことわりというわけ! いわゆるマザーコンピューターね。そう考えると、Deus ex machinaデウス エクス マキナなんて呼び方は、素敵なくらい相応しいと思わない?」

 雪音さんは嬉々として世界のことわりについて語っていた。

「まあ、そういうことだ。我々は電脳世界のマザーコンピューターによって、マインドコントロールされている状態にある。だが、この場所は、いわばセーフティーゾーンとでもいうべき場所なのでな。なんたらプロトコルとかいうものが利用できるらしくて、それが現実世界の自分の脳との直接的な接続ができるのだとか。まあ、こういうのは雪音の方が詳しいとは思うのだが、残念ながら、なんたらプロトコルを使えるのは、私と、鳳城 さとり、お前だけだ」

 天野の言葉が嘘だとは思えない。むしろ、それが真実なのであれば、なぜ僕が?

「どうして、その”エマージェンシープロトコル”を利用できるのが僕と貴方だけなんですか?」

 僕は聞き返す。

「お、良い質問だ。お前、記憶、戻り始めているじゃないか。つまり、私は、電脳捜査課の人間で、仮想空間に閉じ込められた人々の調査するために、この世界へと、その他大勢よりも後にやってきたのだ。そして、鳳城 さとり、お前も、私と時を同じくして一緒にDiveダイブしてきたのだ。親しい間柄であった海風 藍里と、お前の父、チーフエンジニアである鳳城 業の救出のため。それと、銀太といったか、お前の友人だったな。親しい人たちとこの世界に囚われた人々の救出がお前の任務だ。その際に、我々二人にはこの場所と、特殊なプロトコルの使用権限が与えられていたのだ。だが、お前の半身はループ前の世界で境界カオスに閉じ込められてしまった。その影響で実行力を失っていた。だが、今のお前にならば――そのプロトコルを最大限に利用可能なのは、鳳城 さとり、お前だけなのだ」


「待ってください、僕はいったい、何者なんですか?」

「鳳城 さとり、お前は、説得者パースウェイダーだ。説得者パースウェイダーは、電脳に囚われてしまった魂の導き手。そして、その中でも、世界でたった一人、唯一、プロトタイプの最新型インプラントモジュールを埋め込まれた説得者パースウェイダー、それが――鳳城 さとり、お前だ」

 天野は僕の質問に即答した。僕が“それ“を聞くタイミングを見計らっていたかのように――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る