10話 東の地へ
ヒズルたちが、カラクレオ村に滞在して八十二夜目。
その日は
まだ雪は積もっているが、太陽が出ている時間は長くなった。
雪原の雪が溶けたら、渡り鳥が戻って来るだろう。
今年は、すでに五頭の子羊が産まれた。
雪が溶けたら、放牧も始まる。
雪割草が顔を覗かせる日も近い。
人々は村の広場に丸太を立て、少し離してに十二本の杭を打つ。
丸太の先端に結び付けたロープの端を杭に結ぶ。
斜めに張られたロープは色とりどりの布で飾られ、風になびく様は美しい。
七つの雪人形を作り、焼き立ての丸パンとワインを捧げる。
そのワインは後で羊たちの額に塗り、豊穣と多産を願う。
パンは、祭りで結婚式を挙げるカップルが分け合う。
今年は、三組の夫婦が女神に愛を誓った。
そのうちの一組は、スウェンと村長の長女だ。
僧侶は蝋燭を捧げた燭台を掲げ、
彼らの家のかまどから、決して炎が絶えぬことを。
挙式の後、人々は柱の杭の外側で踊る。
バシュラールは竪琴を弾き、ヒズルは笛を吹き、ラージャは鈴を鳴らす。
マリーレインの澄んだ歌声が響き渡る。
――妖精よ、今日は花の詩を捧げましょう。
――
――白の林檎と桃色林檎。
――白林檎の木には、白い花。
――桃色林檎の木には、桃色の花が咲くのです。
――白い花は若さを運び、桃色の花は愛を運びます、
――妖精よ、花を摘んだら謳っておくれ。
――歓びが永遠に満ち溢れるように、と。
――ティラリッラ、ティラルッラ……
人々は蜂蜜入りのビスケットを食べ、ワインと温めたミルクを飲む。
馬たちも、柱の周りを歩かせる。
日が暮れ始めると、杭を抜いて柱を倒す。
柱を立てていた場所に薪を積む。
去年の柱だった薪だ。
そこに火を放ち、杭を飾っていた布切れを放る。
火が燃え尽きたら、祝祭は終わりだ――。
「素晴らしい祭りになった。君たちのおかげだよ」
村長は、バシュラールたちに何度も礼を言った。
「あと十夜もしたら,村を発ってしまうんだね。ずっと居ても良いんだよ」
「ありがたいお話ですが……前にもお話した通り、僕たちはヒズルの故郷に向かっているんです」
「でも、それはイド砂漠の向こうだろう? そこに行った者は居ないという噂だ」
バシュラールの返事に、スウェンは顔を曇らせた。
「去年まで雇っていた羊飼いが言ってた。砂漠の向こうは廃墟しかない、と」
「……そうかも知れません」
ヒズルが答え、ふと横を見る。
炎は小さくなり、消えかけた火の回りで子供たちが歌っている。
マリーレインが教えた歌を。
「でも、死んだお母さんに誓いました。故郷を一目でも見ると」
「……君は、もう大人の仲間入りをする年頃だ」
村長は言い、ヒズルの肩に手を当てる。
「君たちの幸運を祈るよ。いつでもいい。君たちの曲と歌をまた聞かせてくれ」
「はい!」
ヒズルは大きく頷いた。
火が消えるぞ、と新郎の一人が叫んだ。
人々は、
――女神よ、また二百夜を越えた日にお渡りを。
――あなたの袖から零れた雪は、
――清らな水となりましょう。
――大地の精霊の糧となりましょう。
――精霊の巻いた種は、我らに恵みを与えましょう。
――女神よ、また我らに冬を越す力をお与えください。
――ティリリ、ティララ、ルララ……
詠唱が空に昇る。
瞬き初めた星が、それを受け止める。
ヒズルはコーと手を繋ぎ、謳った。
反対側の手は、ラージャと交わる。
ラージャの瞳は、消えゆく炎に注がれている。
炎に見送られ、
来年、この地に還って来る――。
その十二夜の後――ヒズルたちは村を後にした。
堅パン、チーズ、干し肉、干しイチジクも分けて貰った。
村人たちは、総出で見送ってくれた。
インガもリーナも、チャザも泣いた。
コーは、村はずれまで追って来た。
コーが見えなくなり、風の音色が変わった時――マリーレインはスイレンの背から降りた。
結い上げていた三つ編みが解け、茶の色が白に戻る。
赤いドレスと黒いクロークが変化し、薄紫色のワンピースとジャーキンに変わる。
バシュラールも、元の姿を取り戻す。
ラージャは「けっ、化け物が」と呟き、一行から距離を置こうとする。
が、その手をヒズルは掴んだ。
「一緒に行こう」
「ふん、
「うん、それがいいよね」
ヒズルは微笑んだ。
ラージャの胸には、二つのペンダントが揺れている。
ユーウェンの形見と、チャザが彫った
チャザから託された刻印はバシュラールからヒズルに、そしてラージャに渡った。
炎の魔導師こそが持つに相応しい、とバシュラールが言ったから。
「行こう……スイレン」
ヒズルは愛馬の手綱を取る。
食料袋を下げたスイレンは、軽快に歩を進める。
目指すは、イド砂漠の向こう――東の地だ。
† 次章に続く †
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