9話 君と、語り合う日のために

 祠の中が、スーッと暗くなった。

 風の音が、急に険しくなった。

 

 ヒズルとラージャは、顔を見合わせる。

 温かさは変わらないが、はっきり見えていた互いの姿が薄闇にかすむ。

 何かを感じたラージャは祠から出て――すぐ戻って来た。

 頭に付いた雪の粒を払い、叫ぶ。


「馬ぞりのようだ! 下に来てる! お前の馬も見えるぞ!」

「バシュラールが助けに来てくれたんだ! 村の人もいるんだよ!」


 喜ぶヒズルだったが――ラージャはいつもの皮肉屋に寝返る。

「……ふん、仕方ねえな。オレひとりなら、ウサギを捕まえて食って帰れるんだが。意気地なしのクソ虫が居るからな」


「……ラージャは強いな」

 ヒズルは『魔導書ベティアリ』を袋に収めて背負う。

 ラージャは村に帰ると言った。

 言葉遣いはどうあれ、二人で帰ると言ってくれた。

 それが、たまらなく嬉しい。

 

 ヒズルは、祠から顔を出してみる。

 月も星も見えず、見渡す限りの雪原も夜の海に没している。

 

 祠の中だけが、別世界だ。

 入り口には扉はなく、三方を囲っただけに等しい。

 なのに温かく、外の寒風は睫毛ほども差さない。

 やはり、ここに住まう精霊の加護なのだろうか。

 石壇に据えられた碑石を見ると、ラージャは応えてくれた。

 

「祠が明るすぎると、村の奴が怪しむだろ? 必要以上の力を示せば、それは人間の争いの火種になる。だから、祠の精霊は明かりを閉じた」

 

 その言葉に……暗澹あんたんたる思いに沈む。

 村の人々は温和だ。

 信心深くて、足ることを知る人々だ。

 だが精霊の大きな力を知ったら、いつか世界の醜い半身と出会うだろう。

 それは、幸福に繋がらない……。


 


「二人とも無事か!?」

 スウェンは、火岩石かがんせきを納めた灯台を手に現れた。

 帽子やクロークには、小さな雪の塊が付いている。

 子供たちを見つけると、赤らんだ顔に安堵の笑みが浮かんだ。

 後から現れたバシュラールも、口元を緩める。

 

 スウェンは、床に灯台を置いた。

 薄い細長い銅板で作ったカゴに火岩石かがんせきを納めて発火させると、蝋燭のように周囲を照らす。

 強風の中でも、その明るさは保たれる。

 村の人々が考え出した特製のランプだ。



「怪我はないか? でも……ここは温かいな。火岩石かがんせきの力かな…?」

 訊ねるスウェンに、ヒズルは元気よく答えた。

「はい。発火石の火花が床に散ったら、温かくなったんです」

「そうか……火の女神さまと精霊が守って下さったのかも知れない。みんな心配してるよ。早く元気な姿を見せてあげよう」


「……村を出て……悪かった……」

 ラージャは俯いたまま、上半身を少し下げる。

 

 初めて聞く彼の声に、スウェンは目を丸くしたが――穏やかに答えてくれた。

「君たちが無事で何よりだ。今夜はここで過ごして、明け方に出発しよう」


「そうだな。僕とスウェンが、交代で馬の様子を見に行く」

 バシュラールは、濡れた前髪を掻き上げた――。

 


 

 吹き荒ぶ風の中――

 仄かな灯りの中、四人は身を寄せ合って過ごす。

 鹿の干し肉と、羊のチーズの塊。

 スウェンは、それをナイフで切り分ける。

 ヒズルは『命』にいつも以上に感謝し、それを口にした。

 古き精霊に抱かれた彼らは――太陽を待つ。

 


 

 夜明け前に、風は静まった。

 転寝していたヒズルは目覚める。

 バシュラールとスウェンの姿はなく、ラージャが憮然と外を眺めている。

 空には、星の残光が見えた。

 夜の女神は去り、夜明けの女神がドレスの裾を広げたのだ。


 ヒズルは目を擦り、ラージャの足元に進み出た。

 ラージャは舌打ちして呟く。

「けっ、オレをガキ扱いしやがて」

「二人は……?」

「出立の準備だとよ。オレたちは馬ぞり。死神野郎はお前の馬に乗るってよ」

「一緒だね」

 

 ヒズルは微笑んだ。

 村に着くのは昼頃だろうか。

 村の人々に心配をかけたことは心苦しい。

 けれど、ラージャのことを少し理解できた。

 

 彼から語られた物語は。痛ましい。

 それは『魔導書ベティアリ』に記されただろう。

 世界の、魔導師の少年の、ひとつの記憶として。


 大きくなったら、その思い出を語れるだろうか。

 いくつかの冬を越えた日に――。


 ヒズルは目を瞑り、その日を思い描いた。

 外から、バシュラールの声が聞こえた。

 帰ろう、と誰かが言った。

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