7話 慟哭

 

 カラクレオ村の大人たちは、慌ただしく村長の家を出入りしていた。

 コーの父親のラティオとインガの兄スウェンが白い息と共に、駆け込んで来る。

「村長。雪原に足跡を見つけた。『火の岩場』の方角に続いてた」

「じゃあ、やっぱりそちらに」

 村長夫人は、温めたワインを二人に差し出す。



「申し訳ありません、申し訳ありません……」

 マリーレインは顔を覆って号泣する。

 老境に差し掛かった僧侶は、バシュラールに訊く。

「馬で探しましょう。二人が『火岩石かがんせき』を持っているのは間違いないのですね?」

「数が足りないんです。ラージャが興味を持っていたので、持ち出したかと」

 バシュラールは、沈痛な面持ちで頭を下げる。


「それならば、火さえ起こせれば少しでも温まれる。火を起こす手段をヒズルくんは持っていますか?」

「はい。『発火石』を常に持たせています」

 

 

 しかし、村長の表情は厳しい。

 数個の『火岩石かがんせき』では、吹き荒れる寒風から身を守るのは難しい。

 体温を奪われれば、死に至る。

 『火の岩場』は、広大な雪原を横切った先にある。

 途中、風よけになる場所はない。

 


「馬ぞりの準備を。毛皮や食料も積んで」

 村長は指示を出したが、風音は強まっている。

 今夜は吹雪くだろう。

 日暮れも早く、月も星も見えなければ方角を見失う。

 順調に前進しても、岩場に辿り着くのは夜半課(午前零時)近くだ。

 だが、そこに二人が居るとは――限らない。



「……村長様。ヒズルとラージャのために、御迷惑をかけるのは……」

 バシュラールは制しようとしたが、スウェンは首を振る。

「何を言ってるんだ。『火の岩場』に向かう。俺が御者台に座るぞ!」


 ――彼が言い終える前に、数人の男たちは外に走り出た。

 馬をそりに繋ぐためだ。

 村長の娘たちも、干し肉とチーズを布で包む。



「僕も行きます!」

 バシュラールの言葉に村長は大きく頷き、毛皮のクロークを渡してくれた。

「温かいスープを用意して待っているよ。四人分のな」



「どうか……お願いします……」

 マリーレインは頭を深く下げ、インガとリーナも目を擦る。

 チャザは、手のひらに乗せた木彫りをバシュラールに見せた。

「僕が彫った『炎の女神ブリグレト』の御守りです。持って行って下さい」


「……ありがとう」

 バシュラールは御守りを受け取る。

 二重円の内側に、正方形二つを組み合わせた八芒紋様が浮かんでいる。

 ベルトに付けた小袋にそれを納め、毛皮のクロークを羽織る。

 人として、二人の救出に向かわねばならない。

 

 

 


 

 

 ――死神アンクウたちが降臨するのをラージャは見た。

 ――紫と白が閃き、茶髪女の手首が切り離されるのを見た。

 ――切り離された手首から血がほとばしる。

 ――茶髪女の悲鳴が立つ。

 

 ――次の瞬間には、ヒズルを抱いた『死神アンクウの女』が目前に屈んでいた。

 ――翻る白いマントには、暗紅色の汚濁が連なっている。



「てめえら!」

 長身男は逆上したが、茶髪女は金切声で叫ぶ。

「逃げて、勝てないっ!!」

「……覚えてろ!」



 ――男の周囲の大気が歪む。

 放出された魔導をラージャは浴びた。

 耳の奥が鳴り、視界が揺れる。

 不覚にも魔導を吸い、肺を冷気が直撃する。

 肺が一瞬膨らみ、破れるかと思ったほどだ。


 数回呼吸し、肺の無事を確認し、『死神アンクウの女』の背後を見る。

 見るまでもなかったが……魔導師の男と女はいない。

 転移術で逃走したのだ。



「ラージャ……!」

 ヒズルは這い寄り、ラージャは縋り付く彼を抱く。

 

 『死神アンクウの女』は祠から出て立ち上がった。

 マントが揺れ、汚濁は露となって宙を跳ね、地に落ちる。

 下に纏う細身のドレスも白く、それ以外の色は瞳の翠のみ。

 その背後に佇むは、紫のクロークを纏う紫紺の瞳の青年だ。

 



 

「……イセルテ!」

 ヒズルは我を取り戻した。

 旧知の者に救われたことに涙腺がひらく。

 

「心配は要らない。深夜には馬ぞりが到着する」

 イセルテは、人ならぬ滑らかな所作で立ち上がる。

 

 彼らは、無駄なことはしない。

 為すべきを終えて、白い髪を羽根の如く広げる。

 二体は同時に、無に溶け込むように姿を消した。

 岩と土に残るのは、僅かな赤黒い濁点のみだ。

 


 

 ――脅威は去っても、少年たちは無言で身を寄せ合っていた。

 陽は沈み、夜の女神の衣が空に満ちる。

 けれど祠の中は温かく、仄かに明るい。

 ラージャの魔導の力か、ヒズルの『魔導書ベスティアリ』に秘められた力に共鳴したのかも知れない。

 

 人が建てた祠。

 人は祈り、女神は恵みの炎を授けた。

 その中で、少年たちは『生』を確かめ合ったが――



「……ちくしょう!」

 ラージャは叫んだ。

 地に両こぶしを付き、あらん限りの声をぶつける。

「……ちくしょう……ちくしょう! くそったれ!」


「ラージャ……」

 ヒズルは、背負う袋に触れた。

 書物の感触に、救いを認めて。

 

 ラージャの怒りの宛ては分からない。

 襲って来た魔導師たち。

 兄弟子を殺した死神アンクウたち。

 棒立ちして動けなかった自分。

 敵に手も足も出なかった彼自身。


 ――分かっていることは、ただひとつ。

 ラージャは勇敢で、そんな彼が好きだ。

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