76話 夢見て、残酷で…②

「……突然だけどな、先生はやっぱり相変わらずなんもないのか?」

「辻江さん、結構そういう話好きですよね」


 自分から呼び出して、彼が応じてくれるとは思ってもいなかったのだけれど、意外にもすんなりとスケジュールを調節してもらって、いつもの喫茶店で落ち合った。


「……というか今はそれどころじゃないかな。両親のことが落ち着くまで、自分のこととかあまり考える気にならないし。そこそこ満足してるんですよ。今の時代、なかなかパートナーの最後を看取れない夫婦って多いじゃないですか。要介護の度合いが違うからって別の施設に預けられたり、片方だけ施設に入れられたりって。だから、まあボケちゃってるからどうしようもないんだけど、できる限り二人を一緒に住まわせてやりたいって言うか。昔はね、そこそこラブラブだったんですよ。恋愛結婚の申し子って感じで。まあ自己満足なんですが」


 自己満足とそうやって吐いて捨ててしまうには、彼の行動は優しすぎると思う。ご両親がしっかりしていたら、まだ彼は報われていたかもしれないのにと思うと、仕方のない病気だと理解していてもやはり理不尽に思ってしまう気持ちは拭えない。


「……大変だな。いや、さ……なにか手伝えることってないか?」

「どうしたんですか?急に」


 彼からしたらそれは突然だろう。自分でもまあよくこんなこと言い出したもんだと思っているのだ。


「……いや、ただの老婆心だよ、気にしないでくれ。ただ、自分も誰かの面倒を見るのが好きなだけだ」

「じゃなきゃ辻江さんあんなことしないですもんね。迷惑迷惑って言うけれど、そこまで気にしないし。嫌だなって思うことはあったとしても、そんなの一過性の感情だしそんなものよりも優先したいものってありますから。施してやったのに、って後から思うのであればそれは自分の過ちですよ」


 こう話をしているところを見ると、やっぱり彼も随分と大人になったものだと思う。……あの頃の死にたがり屋の視界の狭かった子供ではもうなかった。


「大人になったな」

「ほんと、どうしたんですか?まあ流石になりますよ。もう30超えてるんですよ?人生経験がものを言いますから。百聞は一見に如かずって言うじゃないですか。経験談ってやっぱりバイアスがかかっているものだから当てにならないことだってありますし。引きこもってるなりには外にも出てますからね」

「いいじゃないか、それで」

「……ええ、まあいいのでしょうけれど」


 私が出方を間違えて警戒されているのか、それとも本当に何かあったのか彼は気まずそうな顔をしながらコーヒーを啜る。カップの上にはスティックシュガー2本とポーションミルクの殻がお行儀よく置かれていた。子供舌ばっかりは変わらないらしい。


「やっぱり、普通になりたかったなって思いますよね。……普通、というかそんな立派なものじゃなくていいんです。そこそこの公立大学に行ってそこそこの大企業に勤めるとか、そんなんじゃなくて。田舎でノリと勢いで子供作って結婚するような、毎日家計は火の車だけど、たまの日曜に家族揃って外食するみたいなので十分だって思えるような、そんな生活をしたかったなぁって……姉さんのこと、羨ましいのかな」


 彼の姉は一番最初の旦那との子供を流産して、いま二人目の旦那との間に子供が二人いると聞いていた。その境遇を聞いて自分と重ねてしまったのだけれど、彼と姉はあまり仲が良くないらしい。なんでも、性格が相当きついのだとか。


「お姉さんは相変わらずか?」

「いつまで家を出ないで引きこもってるんだって、顔を合わせるたびに喧嘩になりますからね。姉の言うこともまあ一理あるし、言われるのは仕方ないかなと思うんですがそれにしてもキンキン声で頭が痛くなる……嫌いなんですよ、女の人の高い声。姉さんのせいなんですけど」

「それは……同情するよ」

「でも自分だって癇癪もちみたいなものですからね、姉のこと何も言えない」


 はぁ、と大きくため息をつく。他人の未熟なところを目にする度に、自分の醜悪さにも向き合わなきゃいけなくなる。……そんなことをしなくてもいいようなほど、この世に存在する全ての出来は良くない。


「せめてもう少し優しく言うなりさ、しないから娘にも嫌われるのに」

「姪っ子、かわいい?」


 こいつと話が合うのは、私も彼も子供好きだからだと勝手に思っている。たまに丈夫だったら保育士とかになりたかったと零すのだ。前に一度自宅で子供を預かる仕事でもしてみたらどうだと聞いたことがあったのだが、どうやら資格を取ったところで独身男の時点でほぼ難しいらしい。女の人がうらやましいとその時笑っていたが、本心だったのだろう。


「かわいい、本当に可愛い……できることなら誘拐したいくらい」


 誘拐なんて、随分と大きく出たなと思ったが、それこそ私は彼に何も言えなかった。自分だって言ってしまえば誘拐魔だ。


「姪も甥もどちらかと言うと旦那に似たんですよね。彼はいかにもな普通の人なんですけど。なんで姉さんのような田舎のヤンキー未満と結婚したんだろう」

「そんなもんだよ。偶然会って偶然デキちまったんだろ」


 私だってあの男となんで結婚したのかはよくわからない。最初はただの客だった。毎回毎回指名してくるから、こちらも情が湧いてしまって生でヤったのがまちがいだった。


「情というのは怖いね。何かしらがおかしくても一度抱いちまったらどうしようもない」


 私はヤツに絆されたのだ。絆されて、店の客としてじゃない彼を知らないまま結婚した。それでもどうにかなると思ったけれど、残念ながらあの時はどうにもならなかった。運が悪かったのだ、結局は。


「ずっと一緒にいるとさ、嫌いでも何かしら思うようになるだろ?……それなら一人で生きてしまったほうが楽なんだろうが、中々そうも行かなくてな」

「一人でどうにかしていく才能がある人はきっといいんでしょうね。今は昔と比べていろいろとありますし……けれど、おれのような引っ込み思案はきっついや。……無理やりにでも、辻江さんがいう情をつないでいたほうがいい。それはできれば仕事とか、そんなんじゃなくできる限りフラットな関係で」



「私じゃダメか?」


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