75話 夢見て、残酷で…①
「あら、ナナ。珍しい本なんて読んで」
「キィの部屋にあったの。付き合ってる彼氏が読書好きで借りたんだって。で、とりあえず読み終わったからってなぜかあたしの元に回ってきた」
「……あ」
それはよく見知った人物の書いた本だった。私もあの青い表紙の本だけは読んだことはあったけれど、それ以外のものは全くと言っていいほど知らない。
「どうしたの?」
「いや……同じ著者の本、一冊読んだことがあったからさ」
「よく覚えてるね。あんま有名じゃないでしょこの人」
確かに、ある程度好んで本を読むような人間じゃないと知らないような作家だと本人も言っていた。特に有名な長編シリーズを書いているわけでもないし、映画になったことがあるわけでもない。実際私も彼の名前を聞いたのは、初めて会ったあの時だった。
「面白い?」
「まだ序盤だけど。興味あるなら先ママ読みなよ」
そう言って本を渡される。あんたがキィから借りたんだろ、と言いたくなったけれど、彼女は誰かに読ませられれば何でもいいらしい。
「……じゃあ、借りようかね」
彼の書いた本が読みたい、というよりかは彼のことを知りたかった。本の奥付に書いてある初版の日付は、今から約15年前を指していた。……彼が高校の時に書いたという本はこれだろうか、タイトルで検索をかけたところビンゴだったらしい。
【終焉は選べない】
主人公が自害のために心臓移植のドナーに名乗り出るところから物語は始まった。
『こんな死にたがりの僕でも、誰かの役に立てるかもしれないと言うのなら……そんな願い事という名前の建前が欲しかったのかもしれない。そうすれば、自死すらも美しいものとして見えるかもしれないじゃないか』
『母はもちろん反対した。父は僕に興味もないようだった。それにほんの少しだけ絶望したけれど、父親は17になった僕に、もう自分のことなのだから自分で決めろ、と告げた。……人を大切にする、というのはどちらが正しいのだろう。いや、正しいも間違いもないのだが、二律背反の問を出された時、僕たちはどちらかを間違いとして切り捨てなければならないじゃないか』
……ふと、出会ったばかりの頃の彼のことを思い出した。いつも何かに困っていそうな顔をして、そんなことを考えていたのかもしれない。そうだと決めつけられるのは彼も嫌だろうが。
こんなことばかり考えていたら、生きるのも苦しかろう。何人も目の前で同年代の子供を亡くして、その親御さんも見てきたような人間だから、簡単に生きることを捨てることもできなかろうに。
「そういうことか」
彼は、この物語の主人公のように、自分の命を誰かにあげたかったのかもしれない。……それはきっと、前一度言っていた自分を殺そうとしてきた彼女に対して。生きたいと思うような人間にこそ命はあるべきだと。そして、その願いがいかに独善的で、夢物語かを一番知っていたのはきっと彼なのだろう。
答えなんて出ないのだ。そうそう簡単に。どうしたらいいのかなんて結局その時の気分次第だ。選んでしまった方しか、もう自分の足元に道はない。
「来暮……ねぇ」
暮れが来て欲しかったのか、それとも暮れに来て欲しかったのか。
彼の考えていることは、やっぱり私には難しかった。……頭の作りが根本的に違うのだろう。人間の遺伝子なんてそうそう大きく変わらないはずだというのに、この世界は恐ろしいほど多様に出来上がっていた。彼のそれは、先天性なものか、後天性なものかは知らないが。
私は、考えることから逃げてきたのだろうか。
いいや、考えることどころか、全てから逃げたからいまこんなことをしているのだ。
本当は、家族が欲しかった。子供が欲しかった。あの時、元旦那に潰されてしまったあの子を産んでやりたかった。けれど、もう怖くなってしまった。いくら大切に腹の中にしまっておいても、人間の体は丈夫だが柔いのだ。もう、私は自分の腹に別の命を入れてやるのが怖くなってしまった。いくら大切にしても、あんな簡単に潰されてしまうのだから。
女の子だったという。性別がようやく分かるくらいにはあの子は大きくなっていた。もしかしたら、痛いとかそんな感覚ももう持っていたかもしれなかった。生まれてきたら、あんなクソ野郎に指一本触れさせずに、大切に抱き上げてやりたかったのに。あなたを、一人の人間として愛してやりたかったのに。
結局今の生活は、あの子に対する罪滅ぼしなのだ。生まれてこれなかった愛する我が子の代わりに、境遇に恵まれなかった子供たちを勝手に住まわせて、勝手に親ごっこをやっている。あの子にしてやりたかったことをやりたいから、こうやって女の子ばかり集めて生活しているのだ。……これは、ただ私が人に求められたくて、自分勝手にやっているだけの最低な行為だ。
けれど、それでも彼女たちは私を慕うのだ。きっと中には親元にいたほうがいい学校に行けて、いいところで働けたような子だっているまいに。結局ここに住まわせるために水の仕事をやらせている、彼女たちのことなんて一切考えていないクズを、まるで母親のように慕わないでくれよ。
「かあちゃんのところにいるほうが、私らしくいられるから」
それは、本当にそうか?今のあり方を、勝手に自分らしいと思い込んでいるだけじゃないか?苦しみから逃げるために、自己暗示をかけているだけじゃないか?
そう疑問に持ちながらも、私はそれを直に問うてやることは一度もなかった。それをしてしまったら、自分が嫌われると思ったから。本当に最低だけれど、それですら私はこの子たちに情を抱かれている。
……お前も自分の感情を最低と言いたいのか?それでもな、それすらを受け入れられるくらいこの世界の何処かには居場所が、自分の世界ができるかもしれないのだ。
それがもしかしたら、残酷なのかもしれないけれど。
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