67話 それは嘘っぱちのようで

「じゃあ僕のいう通りにしてきてね?」

「……わかった」


 そう言って薬を渡す。キィちゃんは随分と慣れたのか、手に取った後僕の渡した地図の家にまっすぐ向かったようだった。


 これは幸せのお薬、そう言って渡しているが結局のところただの毒物だ。実家で栽培している花から簡単に調合することができる。つくづく僕はいい両親を持ったものだ。

 いわばこれは実験だ。人間がいつまできれいごとを吐けるか、そういう実験。

 弱者には二種類いる。「これは病気だから仕方ない」と擁護してもらえる弱者と、自己責任として嬲られ続ける弱者。どちらに属することになるかを決めるのは、国の制度と何より世論だ。掲げている建前上、国は生活の保障という形でどんな人間でも最低限の生命保持が認められているけれど、金さえあれば人間生きられるわけじゃない。……いいや、金なんかで保証するから彼らはどんどんと肩身が狭くなっていくのだ。ねたまれて、嫌味を言われて、生活費を手に入れる代わりに彼らは立場を失っていく。そこで上手く世間の潮目に戻っていけるならまだいいものの、そうでなかった人々は永遠に社会と断絶されたままだ。

 僕からしたら、僕のような人間に引っかかってしまうことこそまさに弱者の分類だった。考える余裕もなく、ただただ僕という神様を信奉することで思考停止することで安心感を得ようとする。でも僕を信奉している人間の中には、社会的に強者と扱われるような、大きな企業でそこそこのお金をもらっていいところに住んで、綺麗な奥さんと可愛らしいお子さんに囲まれているような人間だっている。それなのに、僕のようなものに惹かれて心酔している。

 人間はみんな、弱い上に、永遠に満たされないものなのだ。水を大量に飲んだところでいつかは喉が乾くように、僕たちは安心感と快楽を定期的に摂取し続けなければ生きていけない。どんなにお金があったって、どんなに仕事ができたって、人間は自分から不幸になりたがるのだ。不幸にならないと快楽や安心感を始めとした「幸福」を得られないから。

 その点、宗教というのは幸福の安定的な供給所だ。信じていれば安心感を得られるし、苦しみだって乗り越えられる。人間が”人ではない”ものに惹かれる心理は、絶対的な安心感を得るためだろう。人は自分の期待を裏切るから、そして自分自身が裏切ることを知っているから、人間は人間に絶対の安心を持つことができない。だから神などという存在をでっち上げて、人間じゃないから信用するのだ。動物を飼ったり、架空の物語を読み書きしたり、神話なんかを信じたり、それらは全部安心感を得たいからだろう。まれに裏切られた!などと騒ぐのは、結局のところ相手を”人ではないもの”だと思い込んでいるからに過ぎない。……というわけで職業神様をしている以上僕は彼らを裏切るわけには行かないのだが、要は彼らに裏切られたと思われないように振舞えばいいことだ。あとは彼らが自分で都合よく解釈してくれるだろうから僕はそれっぽく微笑んでやればいい。ああ、なんて楽なお仕事だろうか。

 あとは僕を信じているものたちが、僕のもとでしか安心感を得られないようになってしまえばいい。少しずつ、着実に、心の居場所をここだけにしていく。福祉というものが生活の保障であるならば僕という存在は精神の保障だ。

 これは一種の試し行為だ。自分が安心するために人を殺すことができるか。別に殺されてしまう人たちに恨みなんてないのだけれど、社会からも疎まれて彼らが生きていくのは難しすぎる。なら、もういっそ死んでしまったほうが楽だろう?それに、ちょうどよくヘイトも買いやすい。絶妙にまだ思考能力があるけれど流されてしまいたいと思っている人間たちにとって、倒してもいい敵を定義してあげることは、最後の一歩を踏み出させるにはとても最短のルートだった。ほうら、もう逃げられない。

 ただ、これだけのことをやらせるのだ。褒美はちゃんと準備してやらないといけない。自分がやったことが本当に”良かった”ことなのだと思わせてあげないといけない。


「最近あの男はどう?」

「……あの男って?」

「勉強見てもらってるあの人」

「ああ、ユキちゃん?いつも通りだよ?」


 あれからあの男のことはユウト本人から聞き出した。福祉事務所のケースワーカーで、偶然知り合ってから彼に勉強を教えてもらっているとのこと。どうにもその男は子供の頃育児放棄と虐待をくらっていたらしく、ユウトの境遇を他人事と思えなかったのだろう。お優しいことだ。


「……そっか」


 いつも通りとはな。まあ人の死くらいで揺らぐタマだったら、ケースワーカー なんてやってないだろう。もうとっくの昔にぶっ壊れているのだ、じゃないとあんな仕事やってられないことは想像に難くない。かわいそうに、自分自身は誰にも助けられなかったのに、その助けてくれなかった側の人間を支援する仕事をしているとは随分と皮肉なものだ。


「ユウトは今日もみんなを幸せにしてあげてね」

「うん」


 彼にも鳥兜を渡す。偶然飲ませた人間が救急車に乗って運ばれていくところを見てしまったらしく、これは本当に幸せのお薬?と聞かれたので、この薬は飲んだ人がこの世の苦しみから解放される薬なんだよと説明しておいた。一人で寂しく死を待つだけの罪人たちの罪を無くして、天国に連れていく薬。説明としては何も間違っていないだろう。僕自身、この活動においてまともな教義なんて持っていないのだけれど、意外にも物事はうまく進んだ。



 新しく入信した出版社勤めの人間から聞いた住所を頼りに、目的地に向かう。昔の作りの一般住宅、庭が広くて、一部は手入れされていなかったが、玄関周りは整えられていた。呼び鈴を鳴らすと、20後半くらいに見える青年が出てきた。


「こんにちは」

「……どちらさま?」

「来暮先生……いや、浅間翼さん、ですよね?」


 彼は驚いた目をして、その後一呼吸置いた後こちらを警戒したような表情になった。そりゃそうだろう、表向きにはされていないのだ。

 住所を聞き出した人間はあまりにも口が緩かった。ちょっと酒の席を用意したら、ここに住んでいて、物腰が穏やかで、幼い頃から病気がちで……と一般には公にされていない先生の情報をぺらぺらと喋り出した。その話を聞いて、何となく人物像が浮かんでいた。


「なんのことでしょうか?」

「とぼけないでくださいよ。別に言いふらしたくて確認しにきたわけじゃないんです」

「……」

「ただのファンですよ。あなたの書いてる作品、全部読んでますから」

「……悪いけど、おれはそういうの全部断ってるんだ。読んでもらえるのは嬉しいけど、それ以上のことはおれはなにもできない」


 ああ、やっぱり書いてるのはこの人だったんだ。出てきた瞬間彼だろうとは思ったけれど。だって平日の真昼間から家にいる成人男性なんて珍しいから。線が細くて、髪が長くて……ああ想像した通りの人間だった。


「……ライター業もやってるんですよね?一つ頼まれてくれませんか?」

「そういうことは、頼みたい名義のメールアドレスから連絡もらっていいですか?おれは対面での仕事一切請け負っていないので」


 気弱そうに見えるくせに、随分とキッパリとした物言いだった。言いくるめられるかなと思ったけれど案外手こずりそうだ。


「そんなつれないこと言わないでくださいよ。僕は本当にあなたに頼みたくて、ここまできたんですから。地元の高校に通ってたことは知ってましたがまさか同じ市内に住んでるとは思ってなかったな」


 こちらがすこしでも心を開こうといろいろ話を振っても、その鉄仮面は全く崩れる予感がしない。あのような物語を書くくらいだから、普通に話をして通じる相手とは思っていなかったけれど。

 彼の書く物語が好きなのは事実だ。彼の物語は人間のドロドロとしたところをこれでもかというほど執拗に攻めてくる。だからこそ苦手に思う人も多いのは事実だろうけれど、僕にとってはそれが心地よかった。こんな文章、自分と同じものを抱えている人間にしか書けない。人間としての彼にも興味があったし、彼なら自分の思いに賛同してくれると思ったのだ。


「……おれの文章が好きとか、随分と悪趣味ですね」

「それを書いた本人がいいますか」

「おれは、あんな物語を面白いと思ってしまうような人間、嫌いですよ」


 さっきの「読んでもらえるのは嬉しい」という言葉が妙に棒読みだったのはそういうことか。


「ほんと、不思議な人だ」


 ファンを相手にして平然とこんなことを言う。作家としてはアウトだろうが、やはりこの人は面白い。というよりもあんなものを書いておいて読んでくれてありがとうと微笑まれたら、むしろ正気か疑うが。


「僕、この世界を変えたいんです。それにはあなたの文章が必要だ」

「……」

「嫌いでしょう?こんな世の中。毎日苦悩している人間ばかりが大変だ。そんな世界を変えたいんですよ」


 幸せの定義さえ変えてしまえば、簡単に幸せになれるのだ。だから、僕が定義を示す。示してやる。


「子供だな」

「まあ、ちゃんと聞いてくださいよ」

「キミがいいたいことはどうせ今権利を持っている人たちからそれらを剥奪することだろ?」

「なんだ話が早いじゃないですか。さすがああいう話を書いているだけあって」

「到底認められないな。それは結局分断を産むだけだ、むしろわかってやろうとしているだろう?」


 思ったよりも理解が早すぎる。流石に自分の倍近く生きている人間だった。こちらのいいたいことも、やりたいこともわかっている。


「……」

「おれは今の世界が好きなんだよ。キミとは違ってね」

「到底人好きが書いた文章とは思えないものを発表しておいてそれを言うんですか」


 どうせそれは強がりだろう。社会に迎合するしかなかった人間の、くだらないプライドの強がりだ。闘う力がなかったから、社会に負けたから、それを納得するための強がりだ。負けたんじゃない、折れてやったんだって。


「……これだから嫌なんだよなぁ、ファンと接するのって」

「その辺のあなたのファンと一緒にしないでくださいよ」

「一緒だよ。おれは極々普通の人間、キミが思ってるような人間じゃない」


 冷ややかな目で僕を見下ろす。違う、僕はそんなんじゃない。あなたなら、あなたの言葉があれば、僕たちはもっと”幸せ”になれるのに。


「普通の人間だったら、こんな時間から家にいないと思うんですけど」

「……はぁ、本当に、これだから嫌なんだよなぁ。単におれは思想のスピーカーになるために文字は書けない」

「ライター業もしてくるせに?」

「きみに媚びる価値を感じない。おれの文章は求めてくれる人間のためになんて絶対に書いてやらない」

「……」

「キミはおれのことを社会に見捨てられたかわいそうな人だとても思っているのだろうけれどね、真逆だよ」

「じゃあ、なんだって」

「おれにとってそれは、大事な大事な宝物だ」


 人間は相いれない。薄く笑う彼を見て、心底馬鹿にされているのだと理解する。……多少僕は甘く見積もりすぎていたのかもしれない。




 彼の書く物語が好きだった。

 地元の高校から出た学生の文学大賞。


【死にたいと願って心臓移植のドナーになることを決意する少年】

【心臓を摘出されて少年は死んだというのに、移植先の人間として再び人生を送りなおすことになる】


 最初は純粋にキャッチコピーに惹かれたのだ。毒々しい表紙のイラスト、人生をやり直す話。


『他人の体になったら、思ったよりオレは他人になってしまったようだ』

『確固たる自分なんて思っているものは、結局思い込みに過ぎないじゃないか』

『人はそれぞれ違うと頑なに言い続ける割には、キミはそれを理解してもないよね。結局キミが楽したいだけなのに、どうしてそう綺麗ごとが言えるんだい?厄介だな』


 そう、僕はきっと彼の作った物語のせいで”こう”なってしまったのだ。彼の言葉によって細やかにそして構造的に明かされる人間の心情、そのせいで自分は人の心をどう動かすか、なんてものに興味を持ってしまったのだから。


「……彼なら……彼の生み出す文章なら、世界を変えられそうなものなのに」

 どうしてそれをよしとしないのだろうか、なんだか悔しかった。何が宝物だ、こんな世界のどこがだよ。なんで力を振るわないんだよ。どうして、幸せになろうとしないんだよ。

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