37話 思い込みの自我…①

「あのさ、何脱走とかしてるわけ?」

「……すみませんでした」

「平謝りはいいから、はぁ……ほんと心配したんだけど」


 仕方ないからとその後、警察が準備したビジネスホテルで一晩過ごすことになった。広い部屋でゆったり過ごせるね~なんて言ったのも束の間、朝方になってなぜかナツメ宛に電話が鳴り、アイカが病院からいなくなった、なんて言われたものだから目の前が真っ暗になるほど焦った。何度かけても着信拒否、ようやく向こうから掛かってきて、警察共々一緒に取り囲んだところだ。


「別になんもしてないって。ちょっと人との約束があって」

「誰と!?どこで!?なにしてたの!?」

「……親かよ……」


 今回ばかりはいくら反抗的な態度を取られても、曲げるわけには行かなかった。着信拒否はないだろう、着信拒否は。大抵アイカが異様に帰りが遅いときは、母さんが電話なりメールで連絡を取っていたはずだ。しかも家出とかならまだしも、入院してたところからの脱走。何人に迷惑かけたと思ってるんだ。迷惑かけたくないみたいなことを考えている割には行動がこれなのだ。だから放っておけないんだってば。今回ばかりはナツメも、斎藤さんも、こっちの味方になってくれている。


「行動制限が従来の捜査よりも厳しかったことは認めるよ。キミにだってキミの生活がわかるけれど、なにかあるなら一言言ってね?」

「……はい……」


 言っている内容に関しては優しいのだが、実際迫られると怖い。何も悪いことしてなくてもパトカーを見ると焦ってしまうのに、ちょっと悪いことをしてかつ目の前に捜査官たちが山ほどいるのだ。そりゃ怖い。


「まあ、アイカが見つかってとりあえずひと段落、か」


 ナツメもおれもほっとして、とりあえずおれの部屋にアイカを無理やり連れ込む。元々退院して来たら二人で使ってくれと言われていたので、奥のベッドに転がした。


「というわけで、アイカ。大人しくしててよね」

「わかったから……」


 そう言って上着を脱いで、ベッドに沈んだのでどうやら抵抗する気はなさそうだった。流石に体調もよろしくなかったのか、そのあと2時間ほどは夢の中に居たようだった。



「お前さ、なんのために生きてる?」

「どうしたの、急に」


 自分も横になりながら、携帯で電子書籍を読んでいたら後ろから声をかけられた。ふとそちらを向くと、アイカがベッドに座ったままこっちを見ていた。


「いや……特に、意味はないんだけど」

「たまにそういうこと、考えたりはするけどさ」


 意識したことがないかと言ったら嘘だった。あまりにも体が弱すぎて、人に迷惑をかけてばかりなのに生きている価値があるのかとか、将来ちゃんと働けるのかとか、体調が悪くなるたびにそんなことを勝手に考えては落ち込んで、生きていてはいけないような気になってしまう。


「……やっぱり、オレ頭おかしいんだろうな」

「どうしたの急に、らしくない」


 むしろいつもおれが弱音を吐いていると横からキモイだのウザいだの飛ばしてくるくせに、妙にしおらしくて心配になる。病院でも似たようなことは思ったけれど、どうにもやりにくい。素直なのはいいことなのだが。どう接したらいいのか……昔のようにやればいいのかもしれないが、体がそれを覚えていない。


「やりたいこととか、なりたいものとか、全くないってそんなにおかしい?」

「……どう、だろ……」


 やりたいことって言われたら、今だって電子書籍を読んでたし、食べたいものもある。家に帰れるのであれば、亡くなる前に母さんに直してほしいと言っていたラジオの修理だってしたかった。ただ、なりたいものがあるかと言われると微妙だった。

 幼いころはそれこそ車の設計だったり、開発者のようなものになりたいと漠然と思ってはいたけれど、成長してもさほど丈夫になれなかったし、さほど自分の頭の出来が良くないという現実も見えてきたので最近は最低限生活さえできればあとはなんでもいいと思い込もうとしている。それでも、どこか花のあるような、もしくはやりがいのあるような生活を夢見たくなってしまうのだけど。


「本当にさ、アイカはそういうのないわけ?気づいてないだけかもしれないじゃない」

「……さあ。人間だから腹は減るし、眠い時は眠いけど。志望校も特にないし、大学に行きたいって思うほど学びたいこともないし、かといって仕事もなんでもいいし」

「受験はおれもそんなもんだったよ。結局通えるところってだけで選んじゃった」

「高校選びなんてそんなもんだろ。勉強できれば修正はいくらでもまだ効くし……」

「それならアイカだってそうじゃない。おれより勉強できるんだからさ、あとからやりたいこと見つけてもどうにでもできるでしょ。一つだけでもおれより若いわけだし」


 どこで勉強してきてるのか知らないが、彼はだいぶ頭がよかった。成績一桁台なんて、おれの学年は大抵塾通いの生徒たちが占めていたと思うのだが、どうやらそこに食い込んでいるらしい。この間国語で満点を取ってきたなんて聞いた時は、その読解力を対人能力に生かしてくれといいたくなったくらいだ。文と言葉じゃ使う頭が違うというのは、おれもそうだけれど。


「そんなんじゃねえよ。別に勉強好きじゃないし、頭良いと思ったことは一度もない。むしろバカになるのが怖いから必死になってやってるだけ」

「……それでもできるってのはすごいと思うけど」


 自分からしたら羨ましかった。別に極端に学力が低いわけじゃないけれど、そこそこ真面目に授業を受けてちゃんと出すべき提出物も出しているが、中の上、もしくは上の下といったところだから。ここで病気持ちというハンデを考慮してしまうと、やはり未来なんて限られている。


「怖いんだよ、自分の目は正しく見えているか、音がちゃんと聞こえていて、言葉の意味を理解できているか。ずっと自信がない」

「……」

「本当に酷いときは、一桁の計算すらできなくなる。だから、自分の頭がバグってないか確かめるのに学校の勉強がちょうどいいだけ。あれはちゃんと正解が決まってるから、自分の認識違いとか記憶違いがわかりやすく出る」

「アイカ……」

「怖いんだよ。また服の着方を忘れたり、家の中で迷子になったり、考えてることと全然違うことを口走ったり、普通にふるまえないことがものすごく怖い。確かめるように勉強だけして、将来オレはどうなれば正解?何を好きになればいい?どこに進学して、どこに就職して、どうしたらちゃんと一人の人間になれる?」

「アイカ、ね、少し落ちつこ?」


 様子がどうにもおかしい。伏せていた目線が宙ぶらりんになっているし、声がずっと震えている。


「わかんないんだよ、どうしたらいいのか、なにがしたいのか。ちゃんと普通にふるまえてるか、どうやったら普通の人間と思ってもらえるか、冷静になりたいのに全然なれないし、おかしいってわかってるのに全然うまくやれないし。今だってお前に迷惑かけてるってわかってるのに、止められないし」

「迷惑とか、そんなの気にしないでよ。アイカはちゃんとやれてるよ」

「そういうのがウザいんだよ!」

「……ごめん……」


 いつもそうだ。昔から、なんで彼が泣くのかが理解できない。理解してやれない。自分の気持ちを伝えても彼は納得してくれないし、むしろ苦しめるばかりだ。


「おれだって、別にそんな、生きたい理由なんて大層なもの持ってないよ。こんな弱くてさ、なんもできなくて、生きてていい理由すら見つからない。死んじゃったら周りの人間が悲しむからってそれに甘えてるだけだよ」


 本当におれが死んだら、人が悲しんでくれるかはわからない。ただ、自分は母さんのこともヒマリのことも引きずっているし、だからきっとそうだろうという希望的観測に縋って、生きてていいと思い込みたいだけだ。いい子ぶって、無くしたら惜しい子だと思わせようとしているだけだ。

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