第38話 小さな愛の星
彼女はSNSをやっているだろうか。やっていれば行動のヒントが見つかるといいのだが。淡い期待を込めながらインスタグラムで汐入深月の名前を検索にかけてみる。するといくつかヒットがあり、そのうちプロフィールに『民営水族館「小さな水の星」副館長』とあるアカウントが天海の求める深月のものであろう。タップして投稿を見てみるが、水族館のことばかりでプライベートのものは旅行に行ったという内容ばかりであった。
次はツイッターで検索してみる。今時の若い女性はツイッターなどやっていないだろうと半ば諦め気味だったが見事ヒット。しかもそれなりにツイート数が多い。今日は何を食べた、どんな音楽を聞いたなど、かなり日常のツイートも多い。
天海はベッドの上に寝転がると、彼女のツイートを遡った。しばらくスマホの画面をスワイプしていると、あるツイートが目に止まった。
『お休みの日にいつも来るお店!』
その文章と共に海鮮丼の写真が添付されている。手前の箸袋には『海鮮 姫魚』という文字。すぐにその店の名前を検索すると、どうやら御前崎市にあることがわかった。海鮮丼や寿司といった海の幸をリーズナブルな値段で楽しめる本格料理屋らしい。それに加えて、明日は月曜日。『小さな水の星』の休館日だ。つまりはチャンスだ。
翌日、朝早くにホテルを出た天海は『海鮮 姫魚』に向かった。いつ深月が現れても良いよう、道路を挟んで向かいにあるファストフード店に入り窓際の席に座った。怪しまれないようコーヒーを注文して、ノートパソコンを机の上に出していたが気づけば正午を回っていた。新たに昼食としてセットを注文し、深月が現れるのを待ったがその時が訪れたのは夕暮れ時だった。痛む尻を抑えながら、天海は腰を上げてファストフード店を退店する。その足で『海鮮 魚姫』に入った。
「いらっしゃいませ! 一名様ですか? お好きな席へどうぞ!」
と、若い女性店員が元気な声を掛けてくる。
天海は店の中を見渡してみた。木目の壁と天井で日本家屋のような雰囲気がある。暖色の照明が木の模様を鮮やかに照らしており、和風特有の重々しさを良い意味で減らしている。横に並んだカウンターテーブルの先には、畳が敷かれた四人用のテーブルフロアがいくつか用意されていた。
海の香りが充満している店の中。黒いワンピース姿の深月は一人でカウンターテーブルに座っており、すぐに見つけることができた。
お好きな席へどうぞと言われたので、天海はさも当然のように深月の隣に座る。当たり前だが、彼女は文字通り口を開けて驚いていた。
「ん、どうした?」
「いや、こっちのセリフ。どうして私の隣に?」
「綺麗なお姉さんが一人で寂しそうにしてるなあと思って」
と、渾身の表情を深月に見せつけてみるが、イマイチ効いていないようだった。
「私、自分の顔が可愛いって自覚してるタイプの女だから。そんなありきたりな言葉じゃ落ちないわよ」
「ワンピース似合ってる。黒は女を美しく見せるよね」
「それ某パン屋の婦人のセリフ。勝手にパクっちゃダメ」
「そいつは手厳しいな」
深月がメニューに目を戻したので、天海も同じものを覗き込む。
「実はこの店ってか、この街に来るの初めてでさ。オススメ何?」
「そうねー。初めてならやっぱり定番の魚姫海鮮丼かしら。寿司系もいいけど、海鮮丼がここの看板メニューだもの。大盛りにしても問題ないわ」
「いいね。じゃあそれにしよう。君は?」
「君じゃないわよ。深月って呼んで」
「深月ちゃんは何を頼むの?」
「うーん。……私も同じので大盛りにしようかしら」
海鮮丼は思ってた以上に美味しかった。期待していなかったわけではないが、美味いと言っても値段相応の味だろうと思っていた。しかし大盛りになることでボリュームは当然増すし、それにより白米がたっぷりの醤油に染みている。また、その醤油も『海鮮 魚姫』のオリジナルなようで塩辛さと甘さが良い塩梅だった。魚も無論、脂が乗っていて最高の一言に尽きる。
「そして気づけば私の家に上がり込んで、朝を迎えていたってわけね」
「よく言うぜ。自分からおいでって言ったんだろ」
「昨日は気が滅入ってたのよ……。そんな時に推しの天海啓治が現れたらそりゃあ落ちるでしょうよ」
「え、待って。初めから俺の正体わかってたってこと? どうして黙ってたの」
「そっちの方が面白そうだったから。あ、てかサイン頂戴ね」
「サインくらいお安い御用だけどさ。いやあ、まじか。やるなあ」
深月はテレビの横にある小さな本棚から天海が以前出版した新書を取り出し、水性ペンと一緒に渡してきた。天海はそれらを受け取り、一ページ目にサインを書いてから返す。
「ありがとう。今度は私の話になるけど、昨日の朝にMML襲撃ってニュースを見たとき、絶対お母さんたちの仕業だって思って。本当に何してくれてんだろって考えてた時に啓治君が現れた」
「MML襲撃?」
天海が知らない話だった。
「昨日、ニュースでやってたじゃない」
「あー、俺昨日は朝からずっと外にいたから。ニュース見てなくて。ということは、さっきのニュースは網野らを犯人扱いしているということなのか?」
網野に至ってそれはありえないと思った。穏やかな性格の網野だ。何かの間違いに違いない。それに釣井も大波田も関わっているとなると、かなり大きな何かに巻き込まれている可能性がある。それこそ麻理らの目論見に。
「網野? さっきの指名手配の子?」
「ああ。俺の後輩なんだ。殺人なんてできるような奴じゃない」
「きっと裕貴に色々情報をいじられているんだわ」
「待ってくれ。また新キャラだ。誰だそれは」
「浦田裕貴。私たちの従兄弟。海王会会長。そして公安警察官」
続けて海王会の説明も簡単にしてくれた。人魚撲滅とMML解体を名目に浦田と麻里が組織したもの。しかし真の目的は玲の人魚化を止めるということだった。そこで船越が言っていた玲という人物の正体がわかり、情報のピースが繋がっていく。
深月は天海の手を取り、じっと彼を見つめる。その目は少し潤んでおり、もう戯けた様子はなかった。
「私、このタイミングで啓治君と出会えたのは本当に運命だと思う。家族の問題から逃げるな、向き合う時が来たんだぞって神様から言われた気がした。そう、全ては私たち家族の問題が引き起こしたもの。あなたにも全てを話すし、啓治君の後輩たちも助けたい」
「……ありがとう」
手を離した深月はその手を天海の背中に回してきた。その温もりから彼女たちが抱えている家族のわだかまりの大きさが伝わってくる気がした。初めは彼女の行動に驚いたが、それに気がついた天海もゆっくりと彼女の背中に自分の腕を回す。
本当は深月を手玉に取った後、実家に上がり込んで父親の書斎などから麻里やセイレーン社に関わる情報を盗み出すつもりだった。しかし思いもよらぬ形で深月からの協力を得ることができた。既にグレーだが犯罪に手を染める必要がなくなり、正直心の底から安堵している。
この安心感の理由はそれだけじゃない気もしていたが、それは思い上がりだと自分に言い聞かせた。
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