MML編

プロローグ

 天気は曇りに変わった。月明かりはないが、問題はない。ようやく船を出せるようになっただけありがたい。


 海は連日の大雨で少し荒れたままだが、しばらく漁ができていなかったのだ。このくらい我慢しなければ収入がなくなってしまう。


「よし船を出すぞ!」


 漁船・赤鱬丸せきだまるは船長のその声で港を出た。いつもより船が揺れる。天候と時間のせいで温度が下がった海水の飛沫が船の上まで飛んでくるほどだった。


 およそ四キロ先の沖合のポイントまで移動し、船の端に並んだ十人以上の男たちが網を手に取る。水揚げの開始だ。


「よいしょー!」

「よいさー!」


 しゃがれ声が飛び交う中、皆慣れた手つきで網を引き上げる。


 次第に魚が肉眼で見えてくるようになった。しかし船長は魚の様子を見て何か違和感を覚えたようだった。


「数が少ない?」


 嵐のせい? いや、それにしても極端に少ない気がする。船長はこの道四十年のベテラン。今までに経験のない違和感に困惑を隠せなかった。


 そしてその困惑は、怒りと恐怖が入り混じった感情へと繋がる。


「何だ?」


 初めにそれを見つけたものが、思わず網から手を離す。


「おい、離すな!」


 仲間の注意をする男も、彼が指差す先を見て絶句した。


 海水が透明ではない。不透明の赤。誰がどう見ても血だった。魚から出たものとは考えにくい以上な量の血。


 その赤い海水から大きな尾ビレが姿を見せる。


 船長の脳内で、ここ数年巷を騒がせている怪物の情報と目の前の状況が一致した。


「早く網を揚げろ」


 と、近くの男たちに船長は指示する。


 突如変わった海洋への認識。それは頭の隅に入れておく程度のものだった。どれだけテレビで報道されようと、自分の目で見ない限り信じられるようなものじゃなかった。


 でも、今、自分たちの船がその信じられないものに遭遇している。


 光を反射して輝く鱗。尾ビレからしなやかな曲線を追っていくと、明らかに魚ではない部位になる。鱗との境目はレースのようなヒレで覆われ、そこから先は人の肌のそれである。ヘソがあり、くびれがあり、膨らんだ乳には人間と同じ乳首がある。真っ白な肌の上半身をさらに上へ見ていくと整った綺麗な顔と、この世に存在するものとは思えない美しさを放つ金色の長髪。


「MMLに連絡しろ」

「はい!」


 確かに生で見ると、この美貌に目を奪われる者が多くいることにも頷ける。


 しかし漁師にとっては、捕らえた魚を食い荒らす害悪でしかない。この化け物の口にも魚の血と思われるものが付いている。通りで魚の数が以上に少ないわけだ。


 下半身の魚の部分は怪我をしているのか、一部から血が出ている。この大量の血の正体はこいつから溢れ出したもののようだ。そのせいかかなり弱っている。暴れる可能性は低いだろう。このまま港に戻ってMMLに引き渡す。


 本当なら今ここで殺してしまいたいのだが、発見したらMMLへ提供しなければならない。それがこの国の新しい決まりだ。


「この……クソ人魚が」

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