第三十六夜『アビゲイル、アビゲイル-Sister’s Love-』

2022/06/15「現世」「フクロウ」「見えない幼女」ジャンルは「ホラー」


 私は生まれてこの方、孤独と言う物を感じた事が無い。

「おきて、アビゲイル。あさよ、おねえちゃんでしょ?」

「分かった、起きるわよ。おはようアビゲイル」

 気を抜くと、私の視界にはぼんやりと一人の幼い女の子の姿と声が浮かぶ。私と同じ様な亜麻色の髪、私と似たような雰囲気の顔の造形、アルバムで見た私の着ていた子供服。私はこの幼い女の子を自意識の様な存在の幻覚と定義し、自意識と認識した故アビゲイルと呼んでいる。彼女もそれに異を唱える様子が無く、アビゲイルと言う呼び名を受け入れている。

「えらい、えらい。さすがはおねえちゃん!」

 小さいアビゲイルが私に、まるで親きょうだいの様な事を言う。見た所、四歳そこらの幼女に言われる言葉ではない。

 私は私と弟と両親との四人家族だ。居間で朝食を摂っていると、弟のデイビッドが起きて来た。

「おはよう、姉さん」

 一般的に二番目の子は利己的だったり、立ち回りが上手いと言われているが、我が弟はそんな事は無い。むしろ目上の人に甘え上手な印象だ。まあ、世間一般の法則だの何だのは正しいとは限らないと言う訳だ。私も上の子だが、特にしっかり者の積もりも無い。

「ほら、ねむらないの。しゃんとしないさい!」

 食卓で意識を失いかけると、小さいアビゲイルが出て来て私を叱った。いかん危ない、昨日の課題が中々終わらなくて睡眠不足が祟ったか。

(ありがとうアビゲイル)

 小さいアビゲイルに心の中でお礼を言うと、彼女は胸を張って満足げなポーズをした。見た目年齢同様扱いやすい。

 私は朝食を食べ終え、死ぬ思いで完成させた課題を持って学校へ向かった。


「ほら、いねむりしないの。おねえちゃんでしょ!」

「こら、おきなさい。おねえちゃん、おこるよ!」

「だいじょうぶ? ちゃんとやすんでる?」

「ほら、はやくしないとせんせいがこくばんけしちゃうよ! せんせいのはなしきいてる?」

 昨日徹夜気味だったせいか、気を失いかける事が多くて困る。小アビゲイルもフルスロットルで、ポンポンと出現しては消えている。午前中の授業だけでグロッキー、昼休みになる頃には疲労困憊しきっていた。

 しかし、必死に詰め込むように書いた課題だけあって手ごたえは充分、学内トップも夢ではない出来。まさしくジャイアントキリング、さながらダビデ王だ!

 そう考えると、眠気がどっと出て来て、私は睡魔にされるがままになった。


 小さいアビゲイルが駐車場をふらふらと歩いていた。アビゲイルは言うまでも無く私の事だ。しかし私はいつも自分の肉体から小さいアビゲイルを見ている。理由は知らないが、恐らくアルバムで見た自分の幼い頃を見るのと同じ感覚なのだろう。

 小さいアビゲイルがふらふらと遊んでいると、車が急に走って来て彼女を轢いた。車に轢かれてタイヤに頭を潰されて死んでしまった。私はそれを何も出来ずに見ていた。

 私がその一連の出来事を傍観していると、小さいアビゲイルが逆再生する形で元の形に戻り、車は引き、小さいアビゲイルが立ちあがってこちらを見て、泣きながら走って来た。

「ごめんね、アビゲイル! アビゲイル、ごめん!」

 私は訳が分からないまま、小さなアビゲイルに抱き着かれた。小さなアビゲイルは私のに強く抱き着き、小さい子供とは思えない静かな啜り泣きをしつつ、私にひたすら謝っていた。

「ごめんね、アビゲイル、ほんとうにダメなわたし! おねえちゃんなのに……ほんとうにごめんなさい!」

「大丈夫、あなたはアビゲイルなんでしょう? ほら、アビゲイルは、私はここで五体満足でいる。私は車に轢かれたりしないから安心して」

 私は小さいアビゲイルにそう言い聞かせたが、彼女は私の言葉を否定して啜り泣きを続けた。

「ちがうの、アビゲイル、そうじゃないの。ほんとうにごめんなさい、わたしはおねえちゃんなのに……ごめんなさい、ゆるして!」

 私は訳が分からないまま小さなアビゲイルに抱き着かれ続けた。


 今日の授業が半ドンで良かった。いや、半ドンだからラストスパートをかけた訳だが。

 私は寝ぼけ眼で学校を後にする、今は早く家に帰って熱いシャワーを浴びたい。

 車が向こうから猛スピードで走って来た。

「うわ、危なっ!」

 危うく轢かれる所だったが、そうそう自動車事故なんて物は起きない。夢は現実ではない、車に轢かれて死んだアビゲイルなんて居ない。

 それより今は家に帰って熱いシャワーと柔らかいベッドだ。


 半ドンで帰って来た家の中には誰も居なかった。熱いシャワーを浴び、柔らかいベッドに飛び込もうと思ったが、熱いシャワーで目が覚めたのか、私の興味は先程の夢に向いていた。

 なんて事は無い、自分が幼い頃の写真をふと見たくなったのだ。私は両親の寝室に入り込み、家族アルバムを引っ張り出す。

 写真で見る幼い日の私は、何と言うか、私のイメージと違った。勿論髪の色は同じだし、顔の造形と言うのは一生を通してそこまで極端に変わらない。しかし、写真に写った幼い私は、夢に出る小さなアビゲイルとは大きく違った。はっきり言って記憶違いと言うには怪しいレベルで、似ているがまるで違うのだ。

 私は私の外見をああだと思っていたが、それは大間違いなのか? それともあの小さいアビゲイルは私が記憶を美化した物なのだろうか? もしくは、あれはアビゲイルを騙る別人なのか? 肝心の小さいアビゲイルは、目が冴えている私の前には現れる事が無かった。

 別に勘違いや記憶違いなら別にいい。しかし、あの自分の分身だと思っていた存在が自分でも何でも無い存在かも知れないと思うと、表現し辛い恐怖の様な不安の様な感情が湧き上がって来た。あの私が心細かったり、眠かったりすると励まして来た幼女は一体何者なのだ? あの幼女が私でないならば、私は孤独を感じないのではなく、生まれてこの方ずっと騙されて来たのではないのか?

「ようやくきがついた?」

 私が不安を覚えて目を瞑ると、普段通り目の前にそいつが現れた。

「お前は誰だ? お前は私じゃないのか?」

「かわいそうなアビゲイル、おかあさんとおとうさんもひどいことするね。いいえ、ほんとうにひどいことをしたのはわたしだけど。ほんとうにごめんなさいね」

 そいつは、私に対して憐みの色を見せつつ、普段通りに笑顔で接した。これ、本当に笑顔か? よくよく考えると小さい子供の顔なんて、口を開けていたらそれだけで笑顔に見えるのではないのか?

「質問に答えろ、お前は誰だ?」

「わたしはわたし、アビゲイル。わかった?」

 そう言うとそいつは、笑顔を浮かべたまま突然空中に浮かび、その小さい手で私の額に触れようとして来た。

「さ、触るな!」

「どうしたの、アビゲイル? そっか、やっぱりわたしがゆうれいだからいやなの?」

 これではっきりした。こいつは私の見ている幻覚かも知れないが、それと同時に車に轢かれた亡霊なのだ。アビゲイルを名乗り、私をどうにかする気だ。先ほどだって、授業で居眠りしかける度に出てくる癖に、車に轢かれかけた時は何もしなかったではないか!

「ひどいかお、おねえちゃん、かなしいな。ほら、あたまをなでてだきしめてあげる。きなさい?」

 再びそいつは笑顔を浮かべたまま宙を浮いて近づいて来た。ダメだ、睡眠不足と疲労のせいか恐怖のせいか体が言う事を聞かない!

 そいつは私の頭に手を伸ばし、そして、


 私は生まれてこの方、生まれ変わりと言う物を信じた事が無い。両親には悪いが、私は誰かの生まれ変わりでもないし、もっと言うと誰かの代わりとして扱われるのもゴメンだ。

「おきて、アビゲイル。あさよ、おかあさんでしょ?」

「分かった、起きるわよ。おはようアビゲイル」

 私の視界にはぼんやりと一人の幼い女の子の姿と声が浮かんでいた。私と同じ様な亜麻色の髪、私と似たような雰囲気の顔の造形、アルバムで見た私の着ていた子供服。そいつは私が起きた事を確認すると、感心したように声を続けた。

「えらい、えらい。さすがはおかあさん! おばさんは、はながたかい!」

 私の目の前で推定四歳児の幽霊は胸を張って満足げなポーズを取った。

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