<秘密> 5

翌日、俺は朝から落ち着かなかった。


二時間目と三時間目の間の二十分間の休み時間に、

俺は六年一組の教室へ足を運んだ。


教室のドアの前に隠れて

それとなく中の様子を窺っていると、

突然ドアが開いて中から少女が飛び出してきた。


「キャッッ!」 

ストレートのロングヘアーが俺の頬を軽く撫でた。

不意を突かれて動けなかった俺を

少女は身を翻して避けた。

「そんなところに立ってたら危ないでしょ!」

俺が謝罪の言葉を口にする暇もなく

彼女は走り去った。

呆然とする俺の鼻腔を刺激したのは、

オスマンサスの香りだった。

僅かな罪悪感が俺の胸をチクリと刺した。

「愛ぃ~、待ってよ~」

すぐ後から数人の少女達が現れて、

ほろ苦い思い出の香りを連れ去っていった。



昼休みに俺はもう一度、

今度はベランダから六年一組の教室を覗いた。

室内ではいくつかの女の子のグループが

それぞれ楽しそうに会話をしていた。

こうして余所の教室を見ると、

俺達のクラスは

比較的まとまりがいいことがわかった。

今日も皆でドッジボールをしている。


室内をぐるりと見渡したが、

一色の姿は見当たらなかった。

その時、少女の一人と目が合った。

少女は俺と目が合うと、

会話から抜けてこちらに歩いてきた。

何も悪いことはしていないが、

俺は窓から離れて来た道を引き返した。


「ねえ、あなた三組の転校生でしょ?」

その声に俺は仕方なく振り返った。

長い黒髪の少女が立っていた。

「あなたさっきの休み時間の時も

 私達の教室を覗いてたでしょ?」


少女はあの時、

俺とぶつかりそうになった子だった。

たしか「愛」と呼ばれていた少女だ。

あの時は一瞬で気付かなかったが

こうして改めて見ると、

黒く長い髪と、

気が強そうな目が奥川に似ていると思った。

そして彼女も奥川に引けをとらぬ美人だった。

そういえば運動会のリレーで

奥川と競っていた少女の姿を思い出した。

二人の美女が走るその姿に

男達は大人も子供も皆、

目を輝かせていた。


「ねえ、聞いてる?」

彼女の声で俺は現実に引き戻された。

俺はその問いに答える代わりに大きく頷いた。

「それで?

 私達のクラスに何か用?」

「さっきぶつかりそうになった時の

 謝罪をしてなかったからさ」

俺は本来の目的を悟られないように

咄嗟に誤魔化した。

彼女はその言葉に目を丸くした。

そしてすぐに笑い出した。

「あはは。

 私に謝るために来たんだ?

 変な人ね」

「変な人」という言葉が

ふたたび俺の心をチクリと刺した。


「どうかした?」

「い、いや、

 それより今日の一色先生って

 いつもと様子が違ったけど何かあったのか?」

俺はそれとなく探りを入れた。

「拓ちゃんの様子?

 別にいつもと同じと思うけど?」

そして彼女は首を傾げた。

「そうかな?

 俺には何か心配事でもあるように見えたけどな」

一色が犯人であれば

あの手紙を読んで平常心ではいられないはずだ。

「変な人ね。

 どうして他のクラスのあなたが

 拓ちゃんの様子を気にするの?」

俺はその質問には答えなかった。

彼女の目には一色は普段通りに映った。

一色が動揺を悟られまいとして

演技をしていた場合、

それを子供に見抜けるかどうかは

疑問の余地が残る。

しかし演技は誰かに見せるためのモノで、

一色が子供達に演技をする必要があるのか

と問われれば否である。

ということは一色は犯人ではないのか。

しかし彼女の言葉だけで判断するのは危険だった。


「それなら、

 クラスで何か変わったことはなかったか?」

もしかしたら机の上の封筒を一色が見つける前に、

子供達の誰かが手に取った

という可能性も考えられなくはない。

それなら一色は手紙を読んでいないので

普段と変わらないのも頷ける。

その子は好奇心で中身を見た。

そしてその内容の故、

一色に言い出せず子供達だけで盛り上がった。

「ますますおかしなことを言うのね。

 全然っ。

 私達のクラスはいつも通り平和で

 変わったことなんてありません。

 何もなさ過ぎて退屈なくらいだわ」

彼女の言葉に俺は肩を落とした。

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