365.姫様の微笑み〜教皇side

「……随分と……恥知らずな……」

「まあまあ?

本能による、本能の為の、ある種の純文学ですのに」


 我に返り、公女の現状に眉根が寄る。

若さ故の過ちにしても、これは酷い。

父親が誰かわからない、などとは……爛れ過ぎだ。


 純文学とは、何の事だ。

ただただ本能的に行動した結果、腹が膨れるような事態を招いただけだろうに。


「ね?」


 そっと手にしていた本を閉じ、腹を擦りながら呼びかける様にすら、もはや嫌悪感しか抱けない。

母性など見えない。

女という性に支配された、下衆な女だ。


 私自身が魅了の魔力と、この顔を持って産まれたせいだろう。

昔から男女関係なく下卑た眼差しを私に向け、こちらの嫌悪などお構いなしに触れて来る者が多かった。


 その類の眼差しは全く感じないものの、公女の言葉に対しての落胆が酷い。


 姫様に救われた四大公爵家の子孫が、こんな下等種を生み出すとは……。


 気高い孤高の姫様に、どことなく重ねてしまっていたからだろう。

激しい怒りを感じてしまう。

うっかり本心を、口にしてしまうくらいには。


 けれど、と思い直して怒りを抑える。


 これから公女にする事へ、幾らか感じていた申し訳無さが霧散したのは、悪くない。

これならその藍色の瞳をくり抜いても、良心は痛まない。


「失礼しました。

ところで公女は何故ご自分がここに転移されたか、おわかりですか?」

「いいえ、全く?」


 気を取り直し、失言だったと取れるように、一言謝罪してから、穏やかに微笑んで尋ねる。

するとあちらも涼しい笑みを返してきた。


「そうですか。

奥へと続く扉を開けますから、どうぞご一緒においで下さい。

ああ、警戒されなくても大丈夫ですよ。

手伝っていただきたい事ができただけで、それが終わればすぐに邸の方へお送りしますから」


 穏やかさを保ったまま、ここで警戒して面倒な事にならないよう、そっと公女に手を差し伸べる。

とはいえこんな状況なのに、この少女は全く警戒した様子かない。

危機管理意識が、あまりに低くないだろうか。


「わかりましたわ」


 ほら、何も警戒せずに私の手を取って立ち上がった。


 こうして隣に立つと、実際の体格は随分と小柄で、華奢だと驚く。

対面していた時はもっと大きく感じていたのに。


「こんな時に……」


 そして胸の内にモヤモヤとした、形容し難い不快感を覚えて、小さく呟いてしまう。


 そんな小さな事柄にすらも、姫様を感じてしまうなんて。


 姫様もそうだった。

小さな頃からまともに食事を取らせて貰えず、あの王族達から時に虐待を受けながら、長年に渡り都合良く魔法も栄誉も搾取され、都合よくこき使われていた。

そのせいか飢えた平民のように、小柄で華奢だった。


 にも関わらず、一見すれば体格は年相応か、むしろ大きく感じさせた。


 それは膨大な魔力を隠していても、強者故の存在感で、見る者を無意識にそう勘違いさせていたからだ。


 まさか……。


 ふと思い当たり、触れた手から自身の魔力を流す。


「ふ……」


 そうして、思わず苦笑する。

やはりこの公女からは、一般的、いや、むしろそれ以下の魔力しか感じられない。


 何を期待してしまったのか……。


 その時だ。

不意に添えてくるだけだった手に、幾らか力が入った。


「公女?

ああ、不快に思われましたか?

少し思い出し笑いをしてしまっただけで……」

「あなた……」

「はい?」


 何かに驚いたように、私の顔をまじまじと見つめてきた藍色に、戸惑う。


 ここで対面してから今に至るまで、顔を合わせていたはず。

なのに初めて視線を交えたような感覚に陥るのは、何故なのか。


「……そう、そうなのね。

ふふふ、色々と勘違いしていたのね。

でも良かったわ」


 ドクリ、と心臓が跳ねた。


 これまでの表情とは全く違う、年相応の柔らかで、どこか安心したような微笑み。

この藍色の瞳のせいだから、そう見えたのか?


 まるで姫様が時折、あの守られるだけだった少女に向けていた……。


 思わず空いた手をその頬に添え、食い入るように見つめてしまう。


 公女もまた、特に抵抗する事なく見つめ返す。


「随分と良い雰囲気ね」


 ややもした頃、不躾な声に邪魔された。

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