335.国法の他に〜ミハイルside
「チッ」
早朝、麗らかな陽気の中で、学園のある空き教室で机に向かう。
卒業研究発表の俺の受け持ち部分のデータを清書する為だ。
既に卒業に必要な科目の履修はほぼ終えているし、発表前は自習スタイルとなるのが、正直ありがたい。
しかし我ながら今日は、随分とミスが多い。
昨日の今日だ。
未消化の感情を消化しきれていない。
自覚しているものの、ついつい、舌打ちしてしまう。
あの混沌とした、妹の破廉恥な気配が何故か察せられる、あの場。
何かが飛び火しそうな空気から逃げるかのように、レジルスと後にしたものの、結局あの女の足取りは掴めていない。
バジリスク。
逃走に関して言えば、ある種の厄介さを持つ魔獣だ。
あれは水上を走る。
その上あの場所は、海に近かった。
寂れた場所だけに、周りからの証言は少なかったが、どうやらあの女を鷲掴みにしたバジリスクは、海上へ出たらしい。
そう判断して、すぐさまロブール家当主である父に、邸から連絡を入れた。
部屋は通信用魔法具を置いてある一室で、レジルスも側にいる。
転移を頼んだ関係からだ。
俺も早く転移魔法をマスターしたいが、コツを掴めないと、消費する魔力が膨大で、近場に転移するだけでも、魔力を枯渇させかねない。
その上、時空の狭間に引っかかれば、体がズタズタに引き裂かれたり、ねじ切れたりしかねない。
どうやら例の箱庭で、転移をマスターしたらしい我が国の第1王子は、とんでもない魔法の才があったようだ。
行きも帰りも、俺を連れて転移してなお、普通に立って会話していた。
帰りはうちの邸から馬車を出したが。
『父上、急ぎお祖父様に連絡を取って下さい』
『必要ない。
それならあちらで対処するだろう』
『しかしあの女、いえ、ロブール夫人にはお祖母様への明確な殺意がありました。
初級とはいえ、魔法が使えるようになり、魔獣も操っていたように見えました。
危険です』
当然、すぐに連絡を入れるものと思っていれば、予想外の言葉に驚く。
『先代夫人は、心配いらない。
危害を加えようと手を出せば、返り討ちに遭うだけの事』
食い下がるものの、その後は用が済んだとばかりに、一方的に通信を切られた。
昔から父は、先代達にも関心がなかった。
しかしそれとこれとは違うんじゃないのか?!
祖母は元伯爵家の出で、魔力や魔法は生家の爵位の人間程度のものだ。
いくら初級の魔法でも、不意打ちを食らったり、それこそ危険度C程度の魔獣に襲われれば、命の危機に陥りかねない。
それが、返り討ち?!
祖父が側にいれば、それもあるかもしれない。
なのに父の話し方は、相手が誰であっても問題なしと聞こえてしまう。
もう1度連絡しようと魔法具に手を伸ばす。
しかしその手はレジルスに掴まれた。
「魔法師団長は、理由もなくあんな事は言わない。
そなたもそれはわかっているだろう」
「確かに理由がないとは思っていないが、もし万が一、祖母に何かあれば……」
レジルスの言う理由に、祖母以外の事も含まれているような、一種の勘のような何かが閃く。
「父が……あの女と、正式に?」
父は何らかの沙汰を、今はロブール夫人としての立場を持つあの女に下すと言っていた。
とはいえ四大公爵家は、国王の名の下に、国法に則った婚姻を結ぶ。
その際、誓約書に夫妻の署名と、先代当主、そして国王が証人の署名を書く。
もし離縁する際には、状況により双方の同意は省く事が可能だ。
ところが証人の署名に関してだけは、死亡した場合を除き、どちらかの署名が必ず必要となった。
それが国法における、四大公爵家当主の離縁の仕方となる。
ただ教会の認可を受けた場合は、少し異なる。
国法のような強制力はないものの、破婚の手続き__教会での夫婦登録の抹消を行わないと、いつまでも夫婦扱いとなってしまう。
王族や四大公爵家は教会と距離を取ろうとするものの、教会を使用し、平民達にも大々的に婚姻を公表し、祝福される事を望むなら、どうしても登録が必要となる。
国教ではないが、領地に何か災害があれば土地の浄化が絡む。
それもあって、無碍には出来ない。
その場合、国法による離縁の成立後、その証書を持って当人の片方か、その直系の子が直接教会へ赴き、破婚手続きをするのがルールだ。
ロブール家当主夫妻は、国法の他に、教会の登録もしてある。
あの女の生家が伯父の駆け落ちを理由に、ロブール家との婚姻をより強固にして欲しいと申し出て、当時は現役当主だった祖父が、父に促したと聞く。
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