第60話 苦渋の決断



 僅かの間に訳も分からないまま、たった一体の野生生物により2名が命を落とされた。

 

 ダン!!


 そこから動いたのは伊織だ。走り出しながらACHヘルを外し、赤虎模様ラプトルの頭部付近に左のサイドスローで勢いよく投げつける。

 

 赤ラプトルは、それを軽く指で脇に弾くが、これは一瞬視界を遮る為の牽制。


 タタタ!!


 ACHヘルが弾かれるのと同時に、透かさず5.56mm弾を頭部に撃ちこむ。

赤虎ラプトルは、首を僅かに横に傾け、多少かすったものの傷を与えるには至らない。


「さすがに、そう簡単には攻撃は喰らわないってことですか」


 赤虎ラプトルは、唯一の脅威と感じた伊織を警戒していた。その動向を窺っていたのもあってか、流石は歴戦個体、しっかりと確実に対処してきた。


 タタタ!!タタタ!!


「援護をするわよ!!」


 透かさずキャロルも動き出し、赤虎ラプトルにスリーバースト2連を撃ちこむが、それにも反応。瞬時に右方向へ高速横っ飛びで跳躍し躱される。


 タタタ!!ブシュブシュブシュ!!


『!!』


 その跳躍から着地点を予測していた伊織が、赤虎ラプトルの胸辺りに5.56mm弾を命中させる。


「フン! 戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだよ!ってか、当たってもどうと言う事は無いってことですか!?」


 伊織は、どこぞの赤いなんちゃらの名言を引用しつつも、その屈強強靭な身体には銃弾は効かず、僅かに皮膚表面をえぐった程度の頑強さに苦言を吐く。


 そのレッド彗星のラプトルは、一瞬驚きを見せたものの、然もないと言った表情。着弾を受けた箇所を一瞥し、再び前方を向く。


『!!??』


 だが、そこにいきなり伊織が現れた。目を見開き驚くなんちゃら彗星。


 ズアッ!!


『ブェッ!!!』


「チャンスは最大限に活かす! それが私の主義だ! 余所見はいけませんねぇ!!」


 伊織は、赤個体へと走り向かう最中さなかに急激に加速。瞬時にその目前に移動。その逆手に持つカランビットナイフで、真下から頭部を切り裂きに掛かったが、顔を斜めに反らし寸でで躱される。だが、首元を裂く事に成功し、鮮血が飛び散る。


 再び赤い人の言葉を引用、赤虎ラプトルの悪手をたしなめる伊織。

 だが、銃弾すら掠り傷程度の頑丈な皮膚と肉を、ナイフでなぜ切り裂く事ができたのか?


 それは、人工製造のナイフでは無い。先ほど仕留めた、緑モヒカンラプトルの鉤爪。


 伊織はその肉の剥ぎ取りの最中、こっそり手際よく、その爪を根本から切り取り、グリップ部分にグレーのダクトテープを巻き、簡易的に手製のカランビットナイフを制作していたのだ。

 その切れ味は、今ので折り紙保障付き。その最新へ進化した恐竜生物のエグい殺傷能力の高さも理解した。


 だが、その一撃も悪手だったのか、赤虎ラプトルの逆鱗に触れたようだ。激しい怒りに打ち震え、ブチ切れ、凶悪狂暴、獰猛な表情を露わにした。その縦の瞳孔は爛々と赤く禍々しい強い光を放っている。


「「「ひっ!!」」」


 生き残っているドールチームの他の3人も、その恐るべき表情に激しい怖気がそそり立つ。


「……クソヤバイ顔してますね。今の攻撃は中途半端過ぎましたね…もっと」


 シュン!!ガキン!!


「くっ!!!」


 伊織が苦言を言いきる前に、その強烈な鉤爪一閃が振られる。寸前に反応し手製カランビットで防御したが、大きく身体が弾き飛ばされる。


「なんたる膂力!……この魔力! まさかこいつも【身体強化フィジカルフォース】を!!」


 伊織はバランスを崩すことなく、くるりとバク宙で着地。足のわだちを作りながら辛うじて踏ん張ったが、目前にはすでに赤虎ラプトルが追ってきていた。


 ──竜尾閃りゅうびせん


 ブン!!ドオン!!

「くっ!!」


 そこから赤虎ラプトルの高速横回転。繰り出されたのは、死神の大鎌が如き尻尾の一振り一閃。伊織はもろにそれを受け、激しく転がり吹き飛ばされる。


「ぐぐっ!これは『武』の動き…身体強化していなければ、身体が完全に両断されてましたね……私のまだ未熟な武術ではこいつには……」


迂闊うかつに徒手での攻撃を仕掛ければ、あの凶悪な刃がその身に、間違いなく振り下ろされるであろう。

 大きくダメージを受けつつも、何とか立ち上がった伊織。だが、今の攻撃で銃が変形し曲がる。使い物にならないので脇に放り捨てる。

 

身体強化フィジカルフォース】に加え、武術のような動きを見せる赤虎ラプトル。強靭な野生生物に対して、アドバンテージであるはずの銃火器。魔力による身体強化、武術、そのどれも通用しない。逆に相手に上回られ、焦りの色が濃くなってゆく伊織。


 ──容易い。買い被り過ぎであったか……。


 油断し手傷を負ったが、気を取り直し少々本気を出して見れば、何とも脆弱。

 伊織のその一連の動きに、脅威は一切感じられない。いつでも容易く仕留められる獲物と判断。赤虎ラプトルは、然も無いと言わんばかりに伊織を睥睨し見下していた。


「……こいつの脅威ランクはAですかね? Bランクのパーティ以上で臨まなければ厳しいですね。私の冒険者ランクはBですけど……ソロじゃ無理っぽいですねぇ」


 危機感露わに険しい表情で、そう一人だけ別の物語世界でのセリフのような言葉を並べる伊織。


 どうやら、過去に彼女は何らかの形で異世界に転移し、その地の脅威生物と対峙していたことが明らか。


 だが、どのように元の地球に戻れたかは今は不明だが、非常に危機的状況にある事には変わらない。

 この歴戦個体のヴェロキラプトルは、現在の装備状態の伊織の戦闘力を大幅に超えるもの。


 伊織の背中に、怖気による嫌な汗が滲む。戦慄による悪寒がじわじわとその背を踏みにじってゆく。


 タタタタタタタタタ!!


「皆逃げて!! ここは私が食い止める!!」


 この状況に部隊存続の危機を抱いたアニータは、決死の思いでフルオート射撃で撃ちまくる。

 赤虎ラプトルは意にも介さず胴体に受け、傷一つ与えられない。頭部に関しては、嫌がり躱す反応を見せているが、効果はかなり薄い。


「アニータ!! 何を言ってっ!!」


「だークソ!! イオリ!! キャロルを連れて撤退してくれ!!」


 こんな所に、大事な仲間を見捨てて置いていくなど、米陸軍指揮官として、友人として決してできるものかとキャロルは、断固拒否。だが、アデラがそれを遮る。

 アデラとて、こんな非情な決断は死んでもしたくはない。だが、このままでは部隊が全滅する可能性が非常に濃厚。他に生き残る手段は無い。この決断はその身を引き裂かれるような、苦渋極まる選択。


 そんな「誰かを犠牲にして得た命など何の価値も無い!」とキャロルは、自らがその役目を引き受ける覚悟であった。


「くっ!!クソ!あっちの世界でもっと力を付けていれば!……せめて私の【刀剣】さえあれば……」


 先ほどから、伊織は意味の分からない事を言っているが、キャロルたちはそんな事を気にしている場合ではない。


「離して、アデラ!まだ継戦能力を絶たれたわけじゃないわ!全員でフォローしつつ、イオリの攻撃をまともに与えられれば、こんな奴!」


「銃弾が効かない相手に継戦もへったくれも無いだろう! それで、どうやってフォローするんだよ!? そんな事、指揮官であるお前なら十分理解していることだろう!キャロル!!」


 これ以上の仲間の犠牲を出さずに、何とかこの状況を打破しようと冷静さを失い、つたない戦術案を唱えるキャロルに対して、アデラは正論で強く諫める。

 突然、理解のできない世界に放り込まれ、度重なる悍ましい状況と仲間の死。

 指揮官としての責任感も加わり、キャロルの精神はもはや破綻寸前。


「頼む、イオリ! キャロルを!! このままじゃ全滅するぞ! 他の部隊と合流できれば立て直しは効く! だから、今は引くところだ!!」


 アデラの苦渋の思い露わ、切実で必死の叫びがイオリの迷いを断ち切る。


「……分かりました。ですね……」


 ある過去の記憶が脳裏に過る伊織。だが、迷っている時間は無い。即座に行動を起こすしかないのだ。


 ダン!!


「な!? イオリ!!」


 伊織は地面を強く蹴りだし、キャロルを有無を言わせず無理やり脇に抱えて、爆速で駆けだした。

 キャロルの方が背が高い為、足を引きずると言った不格好な抱え絵面えづらだが、そんな事を気にしている暇は無い。

 


 バアアアアアアアアアアアアン!!!


 その後に起きた大音響の爆音と、周囲の眩い閃光で照らされた木々。スタングレネードを使用したのだ。


「あ、アデラ!?」


 共に撤退の為に走り出したと思われたアデラの姿が無かったことに、キャロルは、強い戸惑いと混乱が生じた。


 タタタタタタタタタタタタタ!!


 そして、アニータのアサルトライフルの銃声に、新たな発砲音が重複して加わる。     サプレッサーによる鈍い乾いた音が、伊織たちの背後から耳に木霊する。




「……アデラも残ったみたいです」


「えっ?」


 そう呻くように告げる伊織の双眸には、大粒の涙が零れだしている。


「……そ…そんな…アデラまで……」


 そんな絶望の言葉に、キャロルの瞳にも止めどなく涙が溢れ、後方へと切なく流れてゆく。



 ──あんな思いは二度としたくないと、地球に帰還した後でも鍛え続け、軍に所属し特殊部隊にまで入隊したのに……またこんな事に……。



 伊織は過去に別の世界で、同様の経験をしたのであろう。伊織は地球に戻ってからも、武器の無い状況でも戦えるよう、中国武術等、多くの体術を学んだ。

 更に、どんな状況でも対応できるよう軍に入隊し、多くの近代戦術も学び、CSTの過酷な選抜訓練をクリアしてきた。だが、その特殊部隊の初の戦闘任務がこの状況。


 自分の波乱に満ちた人生に嘆きつつも、伊織はこの非情極まりない、残酷な状況を受け入れるしか無かった。



「その認識票ドッグタグは……」


「ええ……ドリーとジェナのです。……せめてこれだけでもと思って……」


「あんた、いつの間に……」


 あの目まぐるしい状況の最中さなかに、伊織は彼女らの遺体から、血に塗れた2枚組のIDタグを素早く回収していた。


 これは唯一の遺留品。「彼女らの魂をこんな地獄には置いてはいけない。生きて必ず故郷へと送り届ける」との決意の顕れ。


「「!!!!!」」


 そんな決意を踏みにじるかのように、事は無慈悲で残酷な現実を突きつけ、彼女たちを追い詰めていた。

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