第18話 鎮魂
アメリカ軍イラク駐留、海兵隊基地、アル・アサード航空基地。
アル・アサード航空基地は、イラク国内でアメリカ軍が駐留するイラク西部のアンバール県に位置する、同国内でも最大規模の米海兵隊の航空基地である。
クレーターの内部という地形を利用した自然要塞で、基地の一部はイラク軍が使用している。
基地施設内では酒保などの売店、理容店、映画館、郵便局、雑貨屋、土産屋など一通りのものは揃っている。
基地へと帰還したトオルたちフォックストロッド隊は、まず血や砂埃で汚れた身体をシャワーで流し、各自怪我の手当てなどを行い、遅めの昼食を済ませる。
深手の傷を負った2名は、治療後に本国に帰還することになり、仲の良い戦友たちから、労いの言葉を贈られ笑顔で答えているようであった。
そして、基地内簡易整備用、テント型の航空機格納庫の出入り口付近。ストレッチャーに横たわる、星条旗の布に覆われ、物言わぬ一人犠牲になった戦友の遺体に仲間たちは涙を零し、手向けの言葉を贈るのであった。
本国アメリカでも訃報を知った家族や婚約者は、電話の向こうで大きく悲嘆の声を上げ、強い悲しみを露わにしていた。
格納庫のすぐ外には、これから負傷者2名と遺体を本国に帰還、輸送するのであろう、戦術輸送機「C130Jスーパーハーキュリーズ」が、後部ハッチを下ろし待機している。
未だ暑さは和らぐことなく、各任務から帰還してきた戦闘車両や航空機などで、基地内は賑わいを見せる中、日は半ば傾き、西の空は黄昏色に染まりつつあった。
「なあ、クレイン こいつはカトリックだ。テッドの奴に、何か祈りの
「え?……あー、分かりました。俺で良ければ、彼が安らかに眠れるよう祈りましょう、彼のファミリーネームは?」
「ああ、オルセンだ。彼の名前はテッド.オルセンだ」
「分かりました大尉。正式なやつは本国で、本職の方に任せますからね」
「ああ、分かっている。それは当然のことだ」
「了解です。では、謹んでその任をお受け致します」
まだ、配属されたばかりで余り見知った仲では無いものの、短い間だが共に戦った戦友である。トオルは快くその申し出を引き受けた。
入隊時に丸刈りにされていた髪も大分伸び、短髪ながらも、そのウルフアッシュの髪が穏やかな風に微かに揺れている。
アメリカ軍には、様々な人種が在籍している為、人種によって宗教が異なり、慰霊の仕方も弔い方もそれぞれだ。海外のこう言った駐留基地には、もしもの事態に備えて各宗教の従軍聖職者が在籍している。
この基地にもカトリック聖職者の従軍神父が控えているが、今回は特例で、同じ部隊で死に目を共にしたトオルにその役目が与えられた。
因みに、従軍聖職者は各宗教によって呼称が異なる。プロテスタント系は「従軍牧師」。正教会、カトリック系は「従軍神父」又は「従軍司祭」。
仏教やその従軍組織に含まれる、浄土真宗本願寺派の場合は「従軍僧」などと呼ばれる。
イスラム、ユダヤ系と、その他よくわからん宗教等は、そのまま「従軍聖職者」の名称が用いられる。
トオルは聖職者ではないが、戦闘時に見せた祈りのルーティンを見て、大尉は何か思うことがあっての申し出であろう。
そしてトオルは、彼の遺体の前で額から胸に掛けて十字を切り、軍服下の大き目の十字架のタトゥが刻まれた胸の位置に、右掌を添えて祈りの詞を綴る。
「慈しみ深い神よ。この世から貴方の元へお召しになったテッド.オルセンを、心に留めて下さい」
周りにいる仲間たちは、トオルが祈り始めると胸に掌を当て黙祷する。遺体と共に本国へ帰還する二名も、松葉杖を突き痛々しい姿ながらも、苦楽を共にした戦友への鎮魂の思いを手向けている。
いつの間に現れたのか、この基地最高指揮官であるイラク駐留、海兵隊基地司令の大佐の姿も見られ、同様に慰霊の列に肩を並べ参列し、その魂を静めるべく黙祷を捧げている。
「洗礼によってキリストの死に結ばれた者が、その復活にも結ばれることができますように。私たちの主、イエズス.キリストによって……」
祈りに反応したのか、トオルの両手の聖痕がオレンジ色の穏やかな光を灯しだす。
「エイメン」
『ありがとうよ クレイン』
その静謐とした空気の中、祈りの終いの言葉と同時に、遺体傍にその身体の主、淡い光に包まれたテッド.オルセン本人の霊がそこに姿を現した。
「……あれれぇ。俺…疲れてんのかな?変なもの見えるんだけど」
「バーロー、俺にも見えてるさ…あれ、テッドだよ…な?」
「え? あんた達にも見えてるの? あたしだけかと思っていたよ」
トオルの祈りと共に現れた生前のままのテッドの霊の姿に、周囲の仲間たちは誰しも驚きの声を上げ、戸惑いながらもどこか穏やかな気持ちになっていた。
それは、トオルの聖痕の恩寵による、人智を超えた存在からの奇跡と言う名の贈り物であった。
祈りの詞により、周囲の労りと鎮魂の思いが齎した恩恵なのであろう、その場にいる全ての者に影響を与え、その奇跡の現象を具現化したのである。
「あー、なんだこれ? 皆見えてんのか?……まあ、こういうこともあるってことか…」
この奇跡の現象を起こした立役者である、当の本人も何気に驚いていた。
『皆、今までありがとうな。まあ、しんどいことも多かったけど、ここにいる戦友たちと共に過ごせたのは幸運であり、俺の誇りでもあったよ』
「何言ってんだよテッド。それはこっちのセリフだぜ!お前といっしょに戦えたのは俺たちの誇りさ」
「ええ、その通りよテッド。あんたのことは忘れない。これからまだ、あたしたちは戦い続けることになるけど、いつも心に、あんたが共に戦ってくれてることを祈ってるよ」
『ハハ、そう言ってくれるとありがたいよ!俺も皆のことは遠い所から見守っているからさ。しっかり気張って働けよ! なっ!』
「テッド…すまなかった。部隊長として、お前を生きて帰還させられなかったことは俺の責任だ。それは、悔やんでも悔やみきれないことだ」
『何言ってるんだい大尉。これは、単純に俺に運が無かっただけのことさ。大尉が責任を負うことはないよ。そんなに悔やまれたら、逆に俺が困るよ』
「ああ…ありがとうテッド。こうやって改めてお前の言葉を聞けて、俺も救われた思いだよ。感謝する!」
そんな互いを労わる英霊との会話の
その口元には渋みを利かした髭を蓄え、深く刻まれた皺の一つ一つと、目元の傷が数々の歴戦の跡を物語っている。
そして、彼の軍服上腕部に見える階級章は‶白頭鷲を模した意匠〟。
その男を見て、透けている足を揃え、ビシっと指先を伸ばし敬礼するテッドの霊。
『うおっと! これはボーマン大佐! こんな姿で失礼します!サー!』
『アーノルド・ボーマン大佐』は、湾岸戦争ではかなりブイブイ言わした「砂漠のホオジロザメ」の異名を持つ名指揮官であり、このアメリカ軍イラク駐留基地、海兵隊総司令である。
厳しいながらも穏やかな目で、死しても尚、海兵隊のモットーである「常に忠誠を」を貫く、戦地でその任を全うした英霊に深い敬意を表している。
ボーマン大佐もそんなテッドの英霊に合わせ、ビシリ敬礼を返す。
「フッ、幽霊にこんなことを言うのも何だが、楽にしてくれオルセン伍長。いや、
二階級特進でオルセン二等軍曹だな」
苦笑を浮かべ、本来何も答えるはずの無い戦死者に向けて、昇級辞令報告を告げるボーマン大佐。こんなことは前代未聞であろう、なんとも奇妙で複雑な思いだ。
『イエッサー!至極光栄に存じ上げます!…まぁ、不本意ながら、こんな形で昇進するのもあれなんですが…ハハ』
テッドの霊も苦笑を零し、そのアーミーカットヘアをポリポリと搔く。今年22歳、道が違えば希望溢れる未来に満ちた若者。当然この上無しの不本意マックスであろう。
「貴官のようなまだ若い貴重な人材を失うのは、我が海兵隊にとって非常に残念なことだが、貴官のことは今後、後世に語り継いでいくことを、アメリカ合衆国を代表してここに誓おう!」
『……ありがとうございます! 英雄にそんな言葉を頂けたなら、あの世で先に旅立った戦友たちに自慢できますよ!』
(そんな、大層なことを言われるようなことはしてない)と、思いつつのテッドの霊は、そんな大佐の粋な計らいの言葉に誇らしい思いで感謝を述べる。
『……ああ、そろそろお別れのようですね』
そして、テッドの霊の背後に、以前トオルも目にした
まだ、家族や恋人へと伝える思いなどがあったが、聖痕の力は半ば強引に成仏への道へと誘うようだ。感無量とは言い難いが旅立ちの時。
『クレイン、サンキュウな!まぁ、あの場で死んで霊体となったおかげで、お前の戦いっぷりはライブで全部見ていたよ。マジクソヤバかった!あんなの映画だよ映画!…しっかしお前、容赦無いなぁ。エグ過ぎるだろ……』
「はぁ……ええまぁ、必死だったもんで……」
「その辺りの事を、俺も聞きたいところなんだが、本人に聞いても有耶無耶にされるだけなんだよな」
「た、大尉も、今はそんな話やめましょう! では、テッド・オルセン伍…二等軍曹、良い旅を!」
「フッ、まあそうだな。テッドオルセン二等軍曹、お前は我が隊の誇りだ!
では、良い旅をな」
「テッド、元気…って、これはおかしいわね…じゃあテッド、良い旅をね!」
「今まで楽しかったぜ!じゃあな、テッド! 良い旅を!」
「お前のことは忘れない!グッバイ、テッド!良い旅を!」
「「「良い旅を!!!」」」
『ありがとう、皆!それじゃあな!』
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