第2話 4

 来週のパーティーの支度の為に、使用人達が忙しく動き回っているホールを抜けて。


 アンに手を引かれたわたしは、城の中庭へと連れて来られた。


「――ここは……」


「懐かしいでしょう?」


 ディオラとモニアの双子女神の像を中央に設置した噴水と、その前に置かれた休憩用のベンチ。


 整えられた植木に囲まれて、一面に咲き乱れるのは紅晶花ルビーセラスで。


 なにか興味深いものでも見つけたのか、イフューは茂みの向こうに駆けて行って。


 わたしとアンが残される。


 ――子供の頃、アンと初めて会った場所……


「わたくしね……」


 ベンチに腰を降ろして、アンは懐かしそうに言う。


「あの夜、おまえを見た時、紅晶花の妖精が現れたのかと思ったわ」


 手を引かれて、アンの隣に腰を下ろせば、彼女はわたしの髪を手に取る。


「赤い髪と目をした可愛らしい子が突然、泣きながら現れたんですもの」


 そんな事を言われて、わたしは恥ずかしさにうつむいちゃう。


「あ、あの時は……この髪をバカにされて。

 反撃もできないし、悔しくてつい……」


 元々当時のわたしは赤毛を気にしてたんだよね。


 おばあちゃんは綺麗でまっすぐな銀髪だったし。


 どうせならおばあちゃんみたいな髪が良かった。


「クレア、知ってた?

 あの時、おまえをバカにしたのは、オズワルド――王太子だったのよ?」


 ――なんだと?


「知らなかったけど……またひとつ、シルトヴェールを滅ぼす理由が増えたね」


 笑ってみせると、アンもまた口元を綻ばせる。


 アンが笑ってくれたのが嬉しくて、わたしは続けた。


「わたしこそ、さ。

 アンを始めて見た時は、夜のお姫様――ディオラ様の化身かと思ったよ」


 夜を散りばめたような黒髪に金の瞳。


 涙を堪えて溢れないように夜空を見上げる姿は、まさにそんな感じだった。


「なら、おまえはモニア様ね」


 いたずらげに笑うアンに、わたしは恥ずかしくなって再びうつむいてしまう。


 そんなわたしの髪を撫でながら。


「……放っておいて、悪かったわね」


 アンが静かに謝罪を口にする。


「そんな事……

 ――忙しいのは知ってたし。

 エレナやエドワード大公も良くしてくれるしね」


「……でも元気なかったのよね?」


 イフューめ。バラしたな?


「そ、それはさ。

 わたしが本当に役に立ててるのか不安でね」


 ここに来てから。


 アンや大公に頼まれた事をこなしてるだけで、ひとりも敵をぶっ飛ばしてない。


 魔女の仕事がぶっ飛ばす事だけじゃないのはわかってるけどさ。


「手紙の配達なんて、トランスポーター使えばお散歩みたいなものだしさ」


「大規模転移陣も設置してきてくれてるじゃない?」


「あんなの、お絵描きみたいなものだもん。

 ついでにもならないよ」


 途端、アンは顔を片手で覆って、深々とため息をついた。


「そうね。

 きっとおまえとわたくし達には、ひどく認識の差があるのね……」


「どういうコト?」


「おまえが各地に設置してくれた転移陣はね、わたくし達が作ろうとして、いまだ実現できていないものなのよ」


「ええ?

 あんなのさ、基部刻印を多連化して、補陣の積層化を二重ループにしとくと精霊励起が起こるから、それが喚起時に空間刻印と連鎖するようにするだけなんだよ?」


 おばあちゃんに教わって、わたし七歳の時にはお絵描き感覚で描けてたよ?


 間違えて、冥府の向こうに繋げちゃった時は、凍えて死ぬかと思ったし、おばあちゃんにめっちゃ怒られた。


「――待って! 待ちなさい!?

 そもそも用語がわからない!

 わたくし、これでも学園では特級クラスよ?

 魔道だって中級ランクは修めてるのに、まるでわからないわ!」


「――中級って、宮廷魔道士になれるレベルだっけ?」


 おばあちゃんに教わった世の中の常識だと、そうなってたはず。


「そう! 刻印学だってちゃんと勉強してたわ!

 なのに、多連化とか精霊励起とか――まるでわからない!」


「んーとね、多連化は――」


「いいわ! きっと説明を聞いても理解できないもの!

 ウチに一応、上級資格持ってる魔道士がいるから、彼に説明してあげて」


「アンがそう言うなら、そうするけど……」


 前々から思ってたんだけどさ。


「……アンってけっこう、脳筋だよね?」


「おまえって子は――!」


 アンの手が伸びてきて、わたしの頬を左右から摘んだ。


「おまえのっ! 知識がっ! 常識っ! 外れっ! なのっ!」


「あひゅひゃ――」


 ぐいぐいと上下左右に引っ張られる。


「――あらあら、仲良しですねぇ」


 エレンがティーセットをトレイに乗せてやってきて、微笑ましそうにそう告げる。


 彼女の後ろには、テーブルを担いだ執事の姿。


 そのテーブルの上でエレンがお茶の用意を始めると、わたしはアンの手からようやく解放された。


「とにかく!

 おまえに頼んでいた事は、おまえにしか頼めない大事な事よ!

 そもそもクレア。

 おまえ、その様子だとなんの為に転移陣を設置してもらっていたか、理解してないわね?」


 わたしがうなずきで応えると。


 アンは腕組みして、指を二本立てる。


 アンは指も綺麗なんだよねぇ。


 さっきほっぺをつねられた時も、すべすべしてた。


「理由はふたつ。

 まずはこのブラドフォードを除いて、シルトヴェールの街道はあまり整ってないの」


 ブラドフォードは街道を石畳に整備しているのに対して、他の領のほとんどは、旅人が踏み固めた露地がむき出しなんだって。


 そういえば最果ての森の近くにある村に通ってた道もそうだったね。


 田舎だからだと思ってたんだけど、どこもあんな感じなんだ。


「商人達にとって進みやすい道は、喉から手が出るほど欲しいものよ。

 だから転移陣で一気に遠方まで跳べると知ったら?」


「ああ、商人は嬉しいよね」


「でしょう?

 そしておまえに配置してもらった転移陣は、すべて一度、アンゲラを経由するようにしてあるでしょう?」


「そっか! 商人が運ぶ商品もアンゲラに集まるんだ!」


「そう。シルトヴェールの物流が、すべてアンゲラに収束されるよう転移網を組んでもらったのよ。

 そして、それによって、もうひとつの理由が解決されるの」


 アンはエレナが淹れたお茶で口を湿らせると、再び語りだす。


「――シルトヴェールはひとつの商会に依存しすぎているの。

 それがポートラン商会」


「ああ、アンにひどい事した、ジンとかいうヤツの家!」


 わたしが拳を握り締めると。


 アンはその手に自分の手を重ねて、優しく微笑んだ。


「彼への復讐は転移網の完成で、ほぼ果たせるの」


「どういう事?」


 わたしは首を傾げる。


 本当にわたしは、こういう政治的な部分は弱い。


 もっとおばあちゃんに教わっておくんだった。


「ポートラン商会はね、物流を担う事によって大きくなった商会なのよ」


 行商人を多く雇入れ、商品を街から街へと運ぶんだって。


 商会そのものが行商人みたいなものって事かな?


「雇われた行商は――安定はしているけれど、好きなものを商えないの。

 商会の指示に従って、荷運びをしてるだけのようなものね。

 実際に商いをするのは、街のポートラン商会支店。

 だから、不満を持ってる行商人は多いのよ」


 そこまで説明されて、わたしはようやく理解した。


「つまり行商人に転移網を使ってもらって、アンゲラで自由に商売させてあげるって事であってる?」


「そう。アンゲラは潤うし、行商人は自由に商いができて……

 そうね、いずれは自分の店を持つ事もできるかもしれないわね。

 そしてなにより、運搬速度の差。

 これからは遠方の物でも、アンゲラに来れば手に入る。

 ――商売の形が変わるのよ。

 そして、ポートラン商会をそこに加えるつもりはないの」


「ああ、それで転移陣の利用には、手形が必要なようにって言ってたんだね」


 乗って魔道を通せば転移できるものを、わざわざそんな条件付けするなんて、アンは変な事考えるなぁって思ってたんだけど納得したよ。


 その手形を持ってる人しか陣を使えないようにしたかったんだね。


「そうよ」


 アンはクスクス笑って、口元を手で隠す。


「すぐには影響のあるものではないけれど。

 気づいた時にはもう手遅れ。

 ポートラン伯爵はどうするかしらね」


 笑うアンを見て、わたしはふと思いついた。


「アン、脳筋なんて言ってごめんね?」


「あら、ようやくわかってもらえたようね」


「うん。アンは賢くて強い、ゴリラだったよ!」


 おばあちゃんが言ってたもんね。


 ゴリラは森の賢者って言われてるくらい賢いんだって。


 あれ?


 褒めたのになんで、アンはまたわたしのほっぺをつねるの?


「――ふぁんで~!?」

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