第三十一話 ローゼ

 カチャン。


「ごちそうさまでした」


 ローゼがフォークとスプーンを置き手を合わせる。おれたちは止まらなくなった食欲で勢い付いてしまい、腹を抑えてすでに椅子の上でダウンしている。なんと巧妙な罠。これが彼女のやり方か。


「あらあら、大丈夫ですか? お水をお持ちしたしましょうか?」


「た、頼む……」

「お願いします……」


 なんと情けないことか。豪華な夕食を振る舞ってもらった上、さらにお世話になるとは。だが……彼女の料理はそれほどに美味しかった、ぐふっ。


「それでは、本題に入りましょうか」


 ! ここでか。ローゼが水を持ってきてくれると共にそう投げ掛けられる。セネカも同様に目付きが変わる。信用できる・できないは後で検討するとして、聞く価値は存分にある。


「んー、そうですね。まずは何からお話いたしましょう」


「ではワタシからいいか?」


「はい、何でしょう」


「先程こいつが言った名。テオス・ユーヴェリオン、リリア・ユーヴェリオン、彼らは……生きているのか?」


「ええ、おそらく。少なくとも私はそう考えております」


 本当か! 

 その衝撃の発言を受け、安堵からなのか全身の力が抜けそうになる。この情報の真偽は問わずとも、今は信じることではなく他者からのこの言葉が欲しかった。


「なぜそう考える?」


「そうですね。簡単に申し上げますと、うちの《鬱金香うっこんこう》、“おバカさん”が失敗してしまったのですよね」


「それは仲間、なのか?」


「んー、わたくしはそうは思っておりませんが。周りからすればおそらくそうなのでしょうね」


 となるとユング家を襲ったのは一人。彼女が“おバカさん”と言う人物、口ぶりから察するに部下もしくは同等の立場の者か。


「その者について教えてもらうことは?」


「んー、すみません。わたくし自身どうもその人とは相容れないみたいでして。話もしたくありません」


「そ、そうか……」


 セネカが食い下がる。こういった場面では絶対に退くことのないセネカが、こうも慎重なのもうなづける。平気な様に見えて内心怯えているのだ。


「テオスとリリアの逃げた先について、心当たりはありませんか」


 ならばおれの番だ。ここで得られる情報は、なんとしても全て得ておきたい。


「王都近く……」


 ! 王都近く!


「のどこですか!!」


「それは教えることは出来ません。ぜひお二人で仲良くお探しになってください」


 いや引き下がれない。


「そこをなんとか!」

「教えてくれ!」


 セネカも身を乗り出して共に懇願こんがんする。



 



 ッ!! 

 彼女が一瞬垣間見せたその目に、思わず体が大きく退く。脳がその一瞬で必死にだと伝えたかのように。彼女は口を開いていない。だが確かにおれにはそう聞こえた。血の気は引ききり、今の瞬間まるで生きた心地がしなかった。


「お二人でお探しになってください」


 彼女は再びニコっと微笑みを見せながらそう答える。


「ありがとうございます……」

「情報、感謝する……」


 これ以上何かを訊けるはずもなく、ここでお開きとなった。




◇◇◇




 夜、寝室にて。


「先程は運が良かったのか悪かったのか……」


 セネカもまだ彼女のあの目が頭から離れないようだ。もちろんそれはおれも同じ。まるで蜘蛛の糸にかかった獲物のような気分だ。今でも常に見られているような、そんな感覚が抜けない。だが、


「運は良かった、間違いなく。おれたちの一番知りたかったことが聞けたんだ」


「そうだな。テオスとリリアはトヤムの時点では捕まらずに生きていた。それに今は王都近くにいるとのことだな」


 ん? だが待てよ。ローゼが居場所を知っているのに彼女がテオス達を襲わない理由はなんだ?


「ねえセネカ――」




「ああ、確かに。彼女が居場所を知っているならばテオス達を襲うはず。ローゼは何故見逃しているんだ? ……レイブンも一枚岩ではないということなのか?」


 分からない。ローゼは確かにテオスたちが「生きていると考えている」とそう言った。居場所を知っていると匂わせた上でだ。


「明日もう一度訊いてみる?」


「あんな思いは二度とごめんだ。だが……そうするしか他あるまい」


 今夜の話し合いもそんなところで終わりにした。




◇◇◇




「なんだと!」


 寝室に残された一枚の置き手紙。朝起きて、それを見ておれとセネカは戦慄せんりつする。 




『この二日間、あなた方とはとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。わたくしは戻らねばなりませんので、お先においとまさせていただきます。二日間のわたくしの姿は本物ではありません。“フロル”という方の体をお借りしていたのです。あ、“ローゼ”はわたくしの本名ですよ。

わたくし、ローゼ改め“フロルさん”はの彼女に戻しておきました。この二日間の記憶もしっかりしておきましたので、ご心配なくあと一日の護衛に当たっていただけるかと思います。それでは、またどこかでお会いいたしましょう。《薔薇》ローゼより』




 そんな事がありえるのか? 魔法によるものなのか? おれたちにはすでに知るよしもにない。

 だが、ローゼはこの二日間、フロルという全くの違う女性になり代わっておれたちと過ごしていたのだ。今まで見てきた姿や容姿、声までも本来の彼女とは違っていたのだ。それに最後の《薔薇》というのは何なのだろう。


 今となってはローゼの全てが謎に包まれてしまった。やられた、とかそういった感情はなく、ただただ信じ難い。おれとセネカはしばし呆然状態となってしまった。




◇◇◇




「準備はできましたか?」


 その昨日まで話していたローゼと全く同じ声、同じトーンで話しかけてくる本来の彼女、フロルさんに躊躇ちゅうちょを隠せない。


「あ、ああ。……すまない、出掛ける直前で悪いが良いだろうか?」


「なんでしょう」


「昨日の夕方は何をしていたか覚えているだろうか」


「はい、もちろん。わたくしが腕によりをかけて料理を振る舞わせていただきました。もう、懐さんったらあんなに食べてくださったのに、忘れるなんてひどいです」


「そう、だったな。すまない」


 これで、二日間について質問をするのは朝から数えて数回目である。やはりローゼの言う通り、全く同じ行動をしたように記憶を操作されているらしい。

 ただ、ローゼがおれをナイフで追い込んだ事、黒ローブ集団を一瞬にして殺した事は。……つくづく恐ろしい話だ。ローゼとはまたどこかで会う時がくるのだろうか――。




ーーー




「ようやく帰ったか《薔薇》。今回はどこへ行っていたんだ? それとも、の方が良いか」


「さあ、別にどこでも良いでしょう。あなたに教える義理はないです」


「ふっ、それもそうだ。ところで例の神権術師、テオス・ユーヴェリオンは見つかったのか」


「……それも知りません。今回は遊んでいただけですので」


「それが本当ならば良いがな」


「……」


 薄暗い屋敷の中で一人の女性は思案しあんしながら、空を見上げる。そのうつろで真っ黒な空を。


(うふふっ。さて、次あなたたちに会えるのはいつになるでしょうか)





―――――――――――――――――――――――

~後書き~


文章中に出てきた鬱金香うっこんこうは、チューリップの和名です。

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