第15話 たとえば未来都市の駅の夕焼けで

「少し休憩しようか?」

「ダメ。ようやく少しコツがつかめてきたからこのまま泳ぎたい」


 練習開始から一時間。

 休まずに続けている。

 体力的にも休憩が必要だ。


 夏場の市民プールなら上がる時間があるけれど、ここにはそういうルールはない。


「休むことも練習のひとつだ。一度上がって頭を整理するのも悪くないだろ」

「うー……分かった」


 渋々といった感じで上がってくれる。

 プールサイドのベンチに腰掛け、ペットボトルのスポーツ飲料を飲む。


「なかなか泳げなくて悔しい」

「そう? 来たときよりはかなり上達してるよ。前に進むようになったし」

「それは鈴木くんが手を引っ張ってくれるから。自力では進んでない」


 陰山は意外と自分に厳しいタイプのようだ。

 もっとあっさり諦めて「波打ち際で遊んでおく」とか言い出すと思っていたから意外だった。

 この意思の強さが正しい方に向いてくれればヤンデレになって凶行におよぶということもないんだろう。


「陰山って将来の夢はなに?」


 恋愛以外に意識を向ける作戦を試みる。


「それはもちろん異世界に戻り世界を平和にすること」

「相変わらずそこはブレないんだね」


 あまりの即答に笑ってしまう。


「当然。鈴木くんの夢は?」

「僕の夢?」


 聞き返されて頭に浮かんだのはこの世界に転移される前の自分だった。

 毎日上司に叱られ、なんの遣り甲斐もない仕事を繰り返す日々だった。


「適当な大学に行って、やりたくもない仕事して、平凡に生きていくんじゃないかな」

「なにそれ? 夢でもなんでもなくない?」


 陰山は呆れた顔をする。

 確かにそれもそうだ。こんなものは夢でもなんでもない。


「冗談だって。そうだなぁ。いい大学とは言わなくてもそれなりのところに入って、小さくても遣り甲斐のある会社に入って──」

「ちょっと待って。夢なのになんですぐ仕事の話しになるの?」

「え? 夢ってそういうもんだろ?」

「全然違うよ。自転車で日本一周でもいいし、好きなものをお腹いっぱい食べるでもいいし。なんでもかんでも仕事に結びつけないで。仕事なんて生活をするためにしなきゃいけないだけ」


 その発想はなかった。

 夢といえばなにかを努力し、成功して、そして仕事にするものだと勝手に決めつけていた。

 言われてみれば夢って『したいこと』という意味である。

 大人になってそんなことすら忘れていた。


「なるほどな。ありがとう、陰山」

「お礼を言われるようなこと?」


 陰山は不思議そうな顔をしていた。


 休憩が終わり、再び練習が始まる。

 水を掻いたり蹴ったりするコツを覚えたようで、わずか半日で見違えるように上達していた。


「疲れた。もう歩けない」


 着替え終わったロビーで陰山はソファーに座って動かなくなる。

 前髪はまた元通り目元を半分ほど隠してしまっていた。

 せっかく可愛いのにもったいない。


「アイス買ってやるから頑張れ」

「ありがとう。じゃあ私はチョコミント」


 半分隠れた目はキラキラと光っていた。


「ほら」

「鈴木くん剥いて」

「それくらい出来るだろ」


 苦笑いしながら包みを剥いて手渡す。

 かぷっと一噛みして幸せそうに目を細めていた。


「異世界にもチョコミントはあるのか?」

「チョコはない。でもミントはこちらの世界よりも豊富。色も緑だけじゃなくて青、ピンク、黄色、白と様々」


 冗談のつもりで訊いたのに真剣な顔で教えてくれた。

 ちょっと前は痛々しいと思っていたその言動も、今はちょっと可愛く感じてしまう。


 市民プールは埋め立て地の人工島にあるからまずはモノレールに乗って街まで帰らないといけない。

 モノレールの駅はガラス張りだ。綺麗で近代的だけど、利用客はほとんどいない。

 小綺麗なのに人が少ない景色というのは近未来の世界を彷彿させる。


 傾いた日差しが眩しく景色を赤に染めていた。

 夕日に照らされた陰山は輪郭が光って幻想的に映った。


「鈴木くん、今日は本当にありがとう」

「これで夏休みは合宿に行けるな」

「うん。楽しみ」

「陰山って結構エンジョイ勢帰宅部楽しんでるよな」

「そうだね。優理花も、心晴も、話してみると意外といい人だし。あ、もちろん鈴木くんもね」


 人と打ち解けない印象の陰山だが、実際はそうでもないのかもしれない。

 陰山とここまで親しくなれるなんて、やはり優理花のコミュ力は大したものだ。


 やって来たモノレールの乗客はまばらだった。

 僕たちは並んで座り、赤く染まる街を眺める。


「そういえばさっきの夢の話だけど」と話し掛けたが返事がない。

 見ると陰山は寝てしまっていた。

 あれだけ泳いだから疲れたのだろう。


 かくんっと揺れて陰山の頭が僕の肩に寄り掛かってくる。

 起こしたら可哀想なのでそのままの姿勢にしておいた。


 もう間もなく、夏がやってくる。




 ────────────────────



 このところ急速に陰山と親密になっている鈴木くん。

 困った人を放っておけない性格はメンタルケアのお仕事向きですね!

 次回はいよいよアーヤまでエンジョイ勢帰宅部にやって来ます!

 果たしてどうなるのでしょう?

 お楽しみに!

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