第21話 三人称一元

 ついに三人称一元について話す時が来た。

 正直、書く意味があるのか悩むところだ。

 苦労の割には読まれんしな。

 そりゃあそうだ。みな自分の妄想を発信したいだけで、勉強したいわけではないもんな。


 ぶっちゃけ俺は三人称一元は苦手だ。

 いまの作品は一人称。ところどころ別視点として三人称を書いている程度だ。

 だからまあ、過度の期待はせんでもらいたい。

 サークル内で語り合っている感じと思ってもらえればいい。


 ん? サークルに所属したことないから分からない?

 俺だってねーよ。細かいことは気にすんな。

 ないものをあるように見せるのが作家の仕事だ!


 さて、この三人称一元、一般的な小説でもっとも見る形だ。

 自由間接話法なるものを用いて、主となる人物の内面を表現していくスタイルだ。

 ぶっちゃけ人称がごちゃ混ぜになる原因はコヤツの仕業だと思う。

 しっかり理解していないと、区別がつかなくなってしまうのだ。


 例1

 あとちょっと。あとちょっとで手が届くんだ。

 健太郎は祈るような気持ちでガチャをまわす。


 コレ。

 一行目で描いた心情を、誰のものか二行目で書いている感じだ。

 自由間接話法というらしい。主となる人物に限り内面を表現できる技法なんだと。

 一見一人称っぽいが三人称だ。健太郎と名前が出ていることからもわかる。


 例2

 考えるのがメンドクサイので自身の過去作から引っ張る。


――――――

 ベリック・エルホーンはある人物を追っていた。

 もちろん犯罪捜査官としての職責しょくせきを果たすためだ。

 しかし、捜査状況はかんばしくない。証拠品は多数あれど、その足取りについてはまるで手がかりなしだ。

 それも仕方がない事ではある。何故ならベリックが追う人物は普通の人間ではない。類稀たぐいまれなる能力を有する超人なのだ。

 結局、原点に立ち返るべきだと考え、今こうして残された証拠品の洗い直しをしている最中である。

 

「しかし、一人とは珍しい。おまわりさんてのは、たいてい二人連れだって来るものだと思っていたが」


 前方を歩く所長に問いかけられたベリックは、「ええまあ、どこも人不足でして」と曖昧あいまいな返事をかえすに留めた。何故なら、少しうしろめたい気持ちがあったからだ。

 確かにFBI捜査官としてここへと来た。

 だが、捜査方針にそぐわない行動であったのは確かだ。

 FBIとしてはここの証拠品はすでに精査し終えたとの認識だからだ。

 証拠品の数は多い。済んでしまったものに、いちいち時間はさけないということだ。

 それでもベリックにはどうしても確かめたい事があった。そのためにワザワザこうしてロサンゼルスから、ここノースカロライナまでやってきたのだ。



 カツリカツリ。


 所長の鳴らす革靴の音がやけに大きく聞こえる。

 二人が歩く通路は壁も天井もコンクリートの打ちっぱなしで、窓もなければ道案内の表示もない。殺風景どころか、ある種の閉塞感すら覚えるつくりだ。

 さらにひと気もない。

 建物の外観からいって、ここにはかなりの人数が勤務していると思われる。しかし今は、ベリックと所長の二人だけしかいない。

 はっきり言って不気味だ。だが、施設に入ったときからこうだった訳ではない。

 地下へと降りると同時に雰囲気が一変したとベリックは感じていた。


 やがて所長は扉の前で足を止めた。

 まるで金庫かと見間違うほどの金属製の重苦しい扉だ。

 所長は扉のすぐ隣、数字が描かれたボタンを何度か押し、右手の親指を黒い球体へと押し付ける。

 ピコリと音がして扉のロックが解除された。ドアを押し広げ、彼は更に奥へと突き進んでいく。

 後続である己に対する気遣いなど感じられない。ベリックは扉が閉じてしまうより先にと、スルリと体をくぐらせた。

――――――


 こんな感じ。

 主となるベリックの心情を描きながら進めていく。

 特徴としては、ベリック以外の心情は、すべて推量で描かねばならないことだ。

「~だろう」「~に違いない」とかを使う。


 一人称と同じだ。

 例文だと、少し変則的ではあるが、「後続である己に対する気遣いなど感じられない」が該当する。

 あくまでベリックの思考からの類推となっている感じだ。


 ただ、この三人称一元。一人称と違い、語り部はベリックではない。

 ここが難しい。

 地の文には客観性をもたせながらも、視点はベリックに寄り添わねばならない。

 この中途半端な感じが、筆者はどうにも苦手だ。


 うまく書かないと、語り部が分離した印象を与えてしまう。

 語り部の分離は人称のブレだ。書く上ではもっとも気にせねばならない部分。

 WEBではあんまり指摘されないものの、個人的には引っかかる。

 公募でも重要視されるらしい。


 ただ、コヤツのやっかいなところは、他人の文章ならすぐ違和感に気づくが、自分の文章ではなかなか気づけないところだ。

 どうも、脳が勝手に補完しているみたい。

 作者の頭の中では映像としてすでに出来上がっている。それをもとにアシスト機能が働くんだろうね。頼んでもいないのに。

 だから、おかしさに気づけない。記憶が薄れたころに読んで、初めて気づける。


 プロは編集者の目で矯正していくんだろうけど、自分ひとりで書いていると難しいんだよ。

 よく文章は寝かせろって言うけどさ。

 スピードと鮮度が命のWEBじゃん? こだわるだけ逆効果なんだよね。


 まあ、作者のこだわりを優先するか、読者獲得を優先するか、ひとそれぞれだよね。

 じゃあ、また。


 あ、そうそう。

 人称のブレの原因に受動態、能動態ってのがある。


 【能動】Aはナイフを飛ばす、それを盾ではじく。

 【受動】放たれたナイフを盾ではじく。


 WEBの一人称では上がよく使われているね。

 俺は下を使う。上はどうも三人称が混じっている感じがするからね。


 WEB小説の読者層はマンガ、アニメをよく見る。

 三人称的描き方に慣れているから、上の方があうんだろうね。


 もちろん、上も間違いじゃないと思うよ。

 主人公の目で見た内容そのままだから。

 このへんも、気がむいたら書こうかなと思います。

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