孤独な兄の謎 7



 そもそも、一連の事件は藤川綾乃(朱常浩じゅうちゃんはお)が発端だった。彼女は関係があったのか、まったくないのか。

 何か裏で起きているのは間違いないが手がかりがない。闇雲に霧のなかを歩いているような気分に襲われる。

 こういうときは裏の実力者、有能なアシスタント恵子ちゃんに頼るしかない。時差を考えて電話すると、明るい声が受話器から聞こえてきた。

「黒城先生。電話があると思っていました」

 わたし達は共存共栄という暗黙あんもくルールで成り立つ関係で、裏情報を交換する親友でもある。つまり、プライベートで飲みに行く仲という意味だけど。

「黒城先生、アメリカでハメ外しすぎてません。またぞろ、やらかしているって聞いてますけど」

「なにも、ただ、静かに兄の調査をしているだけ」

「きっぱりと、そこ否定しておきますよ。渡米後すぐ探偵のニセモノが現れて、まんまと騙されたそうですね。クールで冷静な五月端先生が、珍しく電話のあとでデスクをダンと叩いたって、先生のアシスタントからの情報だから」

 デスクを叩く五月端って、そんな姿は彼に限って想像できない。怒っているのだろうか?

 それでも何も言ってこない。たぶん、わたしが耳を貸さないと知っているからだろう。心配させている。そう思うと申し訳なさでいっぱいになる。

「なんか怖いですよ。嫌な予感がするわ、サクちゃん」と、プライベートのように名前で呼ばれた。公私混同しないのが彼女の良さだから、よほど動揺しているのだろう。

「ねえ、サクちゃん。わかります? わたしのセンサー第六感がビンビン鳴ってるの。早く戻ったほうがいいと思う。恐ろしいことが起きる前に日本に帰ってよ」

「わかっているわ。この年になれば、無茶はしないわよ」

 わたしは安心させるために嘘をついた。いつか「だから言ったじゃない」と言われるかもしれない。それが杞憂きゆうになると願うしかない。

「では、ここから仕事モードに戻ります。外務省の生方うぶかたさんにも協力いただいて、あの人、良い方ですよね、とっても紳士的で。奥さん、いるんでしょうかね。あ、そこは関係ないか。だから、調査結果ですけど、過去の事件から精査してみたんです。それで、怖くなってきました。だって、お兄さんの行く先々で溺死体があがっているんですよ。それぞれ国が違う事件ですけど、つなげると連続になる。ただ、藤川綾乃さんのケースだけは違っています」

「彼女、本名は朱常浩じゅうちゃんはおよ。彼女がこの件に関係しているのは間違いないと思っているわ。そして、デトロイトの遺体が兄なら、そこから導きだす事実があるの。朱常浩じゅうちゃんはおのケースは、少なくとも犯人が兄じゃない」

「それでも、申し訳ないけど、十分、お兄さんは連続殺人犯の可能性がありますよ。それに、もし万が一、デトロイトの遺体がお兄さんじゃなければ、それって、どっちにしても救いがない結果しかないんです。だから、早く戻ったほうがいい、先生。ほんと頑固だから。心配で泣けてくるわ」

「うん、大丈夫、もう帰るから。ところで、ねぇ、渡米する前に頼んでおいたこと、どう?」

「サフィーバ財団のことですよね。わかった限りについて、とりまメールに添付して送ります」

「さすが、仕事が早い」

「いえ、いま、そこ? そこじゃないんだけど。それから、例の藤川綾乃さん、中国名はなんでしたっけ、そうそう朱常浩じゅうちゃんはおのつながりと、フジカワ貿易コーポレーションですが。サフィーバ財団を調査しているときに、出てきたんですよ、名前が」

朱常浩じゅうちゃんはお? それともフジカワ貿易コーポレーション?」

「フジカワ貿易コーポレーションです。社長とご家族は、もともと香港からの移民だったんです。日本に帰化していますけど。客家はっかの出身で、サフィーバ財団と関係しているようです」

「朱さんを受け入れた理由になるのかしら? でも、それは奇妙ね。だって、もしそうなら、中国の息がかかった香港警署は敵っていうと大袈裟だけど、ふたつの組織は、そんな関係になるはずよ。サフィーバの関係者が受け入れるとも思えない」

「それが、財団内部に亀裂があって。急進派と穏健派でトラブルがあるようです。とりま、調査はメールに添付して送ります」

「ありがと」

 明るい声で受話器を置いたが、手が震えていた。理性で考えれば、もう帰ったほうがいい。兄の荼毘も終わったのだ。

 明日、帰ろうかと迷っているうちにスマホが鳴った。書類が添付されたメールが届いた。


【添付書類:サフィーバ財団について】


 一、歴史的にかなり古くから存在するが公には形がない、いわば影の財団。

 一、黄河流域、中国東北部からの移動した王族の末裔とその家臣で構成される団体。王族の末裔というが、詳細は不明。清朝以前の、モンゴル帝国末裔あるいはモンゴルに滅ぼされた金の末裔とも、北元、時に殷朝から続くとも言われ、謎が多い。

 一、香港系の客家はっかのある一派と関係が濃い。

 一、聖別された聖水を信仰の対象としている。聖別された聖水とは王族の血と同義であって、時に王族の血そのものである。特徴的な点は、王族の血筋をとして深く崇めている点である。

 一、サフィーバ財団は秘密主義で宗教的要素が濃い。

 一、香港が中国へ返還された後、急進派と穏健派に分かれ、内部での軋轢ができた模様。

 一、彼らを客家の一派とみるには異論があるが、香港の客家一部がこの財団を助けていたことは間違いないと思われる。

 一、白川ジオン氏は彼らが崇拝する王家最後の血族である。


【注釈】一般的に客家はっかとは:漢民族の一支流。『東洋のユダヤ人』とも称される流浪民族。纏足てんそくという女性を束縛する文化はなく、長身の人が多い。独特の言語・文化を持ち、成功した人間は貴族的な特徴がある。


 追伸:黒城先生、ファイトです!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る