ⅩⅩ

 その後、訓練場に戻るとサピュルスも訓練に加わり、エレナは取り残される形となった。本は手元になく、騎士たちが用意してくれた椅子に腰かけて訓練を眺めていた。

 その後、昼食と少しの休憩を挟み、騎士たちはまた訓練、と言った状況だ。もちろん彼らにティータイムなど存在しない。そしてエレナは自覚した。ルゼルトに婚約破棄を言い渡されて思わず怒ったのは、信頼とかそんな殊勝な話ではなく──自分は、ルゼルトとのティータイムを心から楽しんでいたのだ。白に花柄が施された美しい陶器、色とりどりの菓子、透き通るような紅茶、真っ白なレースのテーブルクロスに飾られた、ルゼルトと他愛もない話をしながら過ごしたあのティータイムを。

 クタヴェートに限らず、貴族の女性は政略結婚の道具として生まれ、育ち、そのまま年老いてやがて死んでいく。自分もそうなるし、母は若くして病で死んでしまったものの、同じことだった。生まれ、嫁ぎ、死ぬ。物心着いた時には既に人のものだった彼女は特に、その未来図になんの疑問も持てなかった。これも、父兄と王家、そして相談役が許した結婚だ。疑問など持ってはいけない……のにも関わらず、彼女は、これで良かったのだろうかと思い始めた。

 一日泊まっただけのスターレイター家で、私はどんな暮らしをするのだ?夫となる人が騎士で──自分との時間はどれだけあるのだ?エレナの瞳は、不安に翳った。




「エレナ」

「! お兄様」

 夕方、スターレイターへ行く前に兄のスレイドが声をかけてきた。何だか少し険しい顔をしている。彼は少し強めにエレナの手を握った。

「……本当にいいのか。今ならまだ……」

「……私に自由はありませんから」

「そんなことは……」

「分かっています、スターレイターに嫁いだら、シエラヴェールに嫁いだ場合よりもっと機能的な結婚になるのだと。……でもいいのです。行き遅れてお父様とお兄様にご迷惑をかけられませんので」

「…………」

 手を握る力は脱力したように弱まり、やがて妹の手を離した。そう、自分も父も言ったのだ、エレナがいいなら、と。彼女は自分に断る権利がないと思っていることを知っていたのに、実際拒否権なんて貴族の女に与えられないと分かっていたのに、許可した。本当なら、自分がエレナと直接話をして、返事をする前に聞かねばならなかった。実際そうしようと思った。だがカルティアが手紙を出すのがあんなに早いとは思わなかったのだ。

「……失礼します」

 エレナは頭を下げて兄に背を向けた。サピュルスに手を引かれ、彼女はまた彼の馬に乗りスターレイターへと戻って行った。




「やー、やっぱり若い女の子が1人見てるってだけで滾るわ。可愛いよなぁ」

「お前、それ絶対団長家の人とスレイド様の前で言うなよ」

「団長、クタヴェートにヘコヘコしてるもんなぁ、俺たちがエレナ様のこと可愛いなんて言ってるって知ったら大激怒だぜ」

 夜、夕食と湯浴みを済ませた騎士たちは、訓練を見ていたエレナの話で盛り上がっていた。

 騎士たちは基本、庶民の出身だ。中には辺境の地から王都へ来た者もいる。辺境の地にはそれはそれで兵士たちがいるが、騎士と呼ばれるのは王都にいる者だ。働きや仕事内容に違いはないが、その呼び名に憧れる者がわざわざ王都で入団することは珍しくない。

「でもさ、すごくつまらなそうだったよな」

「まぁ暗い顔してたよなぁ。これから先大丈夫かね?」

「そりゃつまらんだろ。ここは男所帯だしな」

「大丈夫なわけねーだろ。聞いたか、貴族の女には拒否権がねぇらしいぞ」

「ぶっははははは! サピュルス様、好きな子と結婚できるのにその理由が『仕方なく』かよ!」

 ……サピュルスは少し気弱で人見知りな性格だが、優しい人間だ。しかし、その優しさは自己保身のための弱さだと取られることも少なくない。彼は騎士団長である父にもあまり目をかけてもらえることはなく、挙句に騎士たちにも裏でバカにされている始末で、サピュルスはその事を知っていた。知っているのに何も言えずに黙っているのが現状だった。

「ま、でも良かったわ。まだ体は餓鬼だ」

「おいおい殺されたいのか?」

「あの子犯してみろ、タダじゃ済まされないぞ」

「そんなこと言って、あの子の体があの、なんだっけか? そうアナスタシアだ。シエラヴェールに嫁いだ教会の子。あの子だったらお前らだってやりたくなるだろ?」

「否定できねぇのが嫌だな」

「ほら見ろ」

「……にしても」

 口を開いたのはアルペンドという若い騎士だ。脳筋で愚直な騎士が多い中では珍しい頭脳派だ。

「理由は分かってないんだろ?」

「理由? 団長がエレナ様を欲しがった理由か?」

「違う違う、その前……婚約破棄の方だよ」

「あぁ……まぁどうでもいいんじゃね? 考えても見ろよ、シエラヴェールは爵位もなにも超越した存在だぜ? 俺たちが考えたって分かるもんか、なぁ?」

「お前たち……そうやって物事を軽く見てると後々痛い目に遭うぞ」

「アルペンド、お前は相変わらずお堅いな。ま、いいけど」

「はぁ……俺は寝る。お前らもあまりはしゃぎすぎるなよ」

「へーへー。分かりましたよ準男爵のご子息様」




 スターレイター家に戻ったエレナは、夕飯と湯浴みを済ませ、ようやく宛てがわれた部屋で一息ついた。ジェシーが困り笑顔でエレナの髪を梳かしている。

「騎士団の様子はいかがでしたか?」

「退屈で死んじゃいそうだわ。私、剣技とか見たって何も分からないもの。でも見させてもらっているのに読書するのもマナーが悪いじゃない」

「……でしたら、明日はここに残ってはいかがです?」

「……そうね、サピュルス様に聞いてみるわ」

 ……とはいえ、だ。恐らくサピュルス自身に決定権はないのだろう。そういったことはカルティアが決めているはずだ。それでも、ダメ元。言わないよりはマシなはず……そう思いながらエレナは目を閉じた。


 翌朝、早速サピュルスにそのことを伝えると、やはり彼は困ったように頭をかいたあと、既に家を出ていた父の代わりに、兄であるカルブに相談していた。カルブは元の性格からしてあまりそういうことを気にしない質であるため、いいんじゃないか、とあっさり了承したようだ。お嬢様が騎士の訓練など見ていても退屈だろうと、最初から思っていたのかもしれない。

「エレナ様、許可が降りましたので、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」

「ありがとうございます」

 少し残念そうな顔は、もちろん見て見ぬふりをした。




 昼をすぎて、少しスターレイター家の庭を見て回ろうと、エレナは部屋から出た。と言っても、スターレイターには華やかな庭というのはなく、申し訳程度の観賞用の木がいつくか植えられているだけのようだった。ここにいる女性はこれで退屈ではないのだろうかと考え、頭を振る。そうだ、そもそも政略で騎士団に嫁ぐという自分が異例なのだ。他の人は望んでその家に嫁ぐ庶民、庭にこだわりなんてないだろう。

「…………」

 雑貨屋に行きたい。寂しい庭に、なにか置くことくらいは許されるだろう。今回は1人になってしまうが、ちゃんと町娘のような服は持ってきている。ジェシーには内緒で、ほんの少しだけ……彼女はそう思って部屋に戻って着替え、こっそり門から出ようとして、ばったりと人に遭遇した。

「あら……そのような姿へ何処へ行くおつもりですか? ……王都に来ていたのですわね、エレナ様」

「あ……アナスタシア様!?」

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