第236話 臭いな……

 体の奥底に眠っていたはずのジャックが主導権を握ろうとして、体内で暴れているような感覚がある。


 ケガによる痛みは強いまま。


 回復するまでは油断できない状況が続きそうだ。


「左肩があがらない。折れてはないようだが、ヒビは入ってそうだな。背中は打撲だろう……と思いたい」


 体を動かすとピキッと痛みは走るが、気のせいである。


 アデーレとの剣術の練習で痛みには慣れたし、なんら問題はない……はずだ。


「出口を探そう」


 女が欲しい、権力が欲しい、裏切らない仲間が欲しい、なんて声を聞きながら、歩き出す。


 幸いなことに影がうっすらと光っているので、薄暗いが周囲は見えるようになっている。


 細長い一本道の通路を進んでいると、しばらくしてアンモニア臭が漂ってきた。


 水が流れる音も聞こえてくる。


 通路から出ると、目の前には地下に流れる川、下水道があった。

 

「臭いな……」


 体が万全ではない状態で、糞尿の臭いはきつい。


 人が滅んでいるのに、強烈な臭いが残っていることに疑問を覚えたが、足元を見て納得した。


 鼠の死骸があったのだ。


 他にも小動物の骨があるので、こいつらの排せつ物が残った結果なんだろう。


 毒がまかれて人がいなくなったとは聞いたが、下水道ではしぶとく生き残った動物たちがいたんだな。


 もしかしたら当時、一時的に避難した人たちもいたかもしれん。


 下水道であれば地上に出る道があるだろう。


 服の袖をヴァンパイア・ソードで切ってから、口や鼻をふさぐようにして顔に巻く。


 意識を奪ってきそうな臭いは、だいぶましになった。

 

「よし、行くぞ」

 

 声を出して覚悟を決めると、下水道の通路を歩き始める。


 周囲は薄暗いが、状況が分かる程度の視界は確保できているので、何とかなっている。


 下水を眺めながら通路を当てもなく歩いていると、水面から二足歩行の魔物が出てきた。


 目が退化しているゴブリンだ。


 グイント救出の時に戦ったやつと同じ種族である。


 こいつらも生き延びてやがったのか。


「グギャギャアアア!!」


 手には汚水をたっぷりと吸収した木の棒があり、振り回しながら近づいてきた。


 ちょうどいい、血を吸って回復しよう。


 ヴァンパイア・ソードをゴブリンに向けると、手の甲に痛みが走った。


 おいおいおい、もしかして汚いものは斬りたくないなんて、意思表示しているんじゃないだろうな!


 大切な使用者が死にかけているんだから、好き嫌いなんて主張するなよ。


 ヴァンパイア・ソードの方に魔力を流し込んで対抗すると、痛みは治まった。


 俺の意見をちゃんと聞いてくれたようだ。


 ようやく戦えると思ってゴブリンの姿を探すが、どこにもいなかった。


「消えた……?」


 いや、違う!


 背後から気配を感じたので振り返ると、ゴブリンが立っていた。


 俺がさっき発見した個体とは別のようだ。


 数は一。


 手には鉄の棒があって、振り上げている。


「グギャアアアア!」


 雄叫びを上げながら鉄の棒を振り下ろしてきたので、後ろに跳んで回避すると、ヴァンパイア・ソードを突き出した。


 狙い違わず、頭に刺さる。


「グ……ギャ」


 吸血機能を使う前に、ゴブリンは下水に流されていった。


「くッ」


 戦闘が終わったのと同時に、激しい痛みが全身を襲った。


 脂汗が浮かび、発熱していると感じる。


 継続して戦うのは厳しそうだ。


 全身がダルいのは、秘薬の副作用だろうか?


 それともケガの影響か?


「グギャギャ!」


「ギャギャッ!!」


 下水道にゴブリンの声が響き渡る。


 数十はいるだろう。


 頻繁に声を出しているので、もしかしたら会話をしているのかもしれない。


 俺の居場所はバレているだろうから、早く移動しなければ。


 足を必死に動かしているつもりではあるが、ゆっくりとしか進まない。


 下水に落ちないよう気をつけながら、フラフラと声がしない方に向かう。


 周囲は薄暗く、また似たような道を進んでいることもあって、時間感覚が曖昧だ。


 俺が今どこにいるのか、何のために地上を目指しているのか。


 それすらわからなくなってきた。


「ギャギャッ!!」


 諦めの悪いゴブリンたちの叫び声が聞こえるから、足だけは止めずにいられる。


 もし、敵に追われてない状況だったら、痛みに負けて座り込んでしまっただろう。


 ――充分楽しんだろ。そろそろ俺に返せ。


 うるさい、黙れ。


 せっかく住みやすい環境が整いつつあるのに、なんで主導権を返さなければならない。


 ――領地を立て直すのがお前の仕事。俺は遊ぶのが仕事だ。


 ふざけるな! 全て俺のものだ! お前には何も渡さない。


 ――良いのか? 早くしないと、ゴブリンになぶり殺されるぞ。


 意識を変えたところで、傷が癒やされるわけではない。


 追いつかれたら同じ結果になる。


 ジャックの意識……いや、幻聴は、俺を惑わせるだけ。


 無視してやる。


 ――お前の女、金、地位、全て奪い取ってやるからな。


 この言葉を最後に、幻聴は止まった。


 あれがジャックの残滓だったのか、それとも俺の恐怖が作り出したものなのか、それはわからない。


 だが、絶対に負けない、という強い気持ちが生まれたのは間違いなかった。


「俺はジャック・ジラール。裏切りや破滅に怯えながらも、贅沢な暮らしを目指す男だ」


 この程度の危機など、簡単に乗り越えてやる。




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