第62話 一つ、質問してもよろしいでしょうか

 しばらくして、ルミエが戻ってきた。


 続いて入室したケヴィンが契約書を持ってきたので、事前に俺が書いていた条件に加えて、フロワ家の要望を追加していく。


 結婚後も一人の戦士として魔物や悪人との戦いを認める、といった内容だ。


 本当は騎士というワードを使った方が良かったのかもしれないが、ユリアンヌは騎士の身分ではないので、使えない。


 貴族階級だと身分を詐称したら重罪になってしまうので、我慢してもらう。


「この内容でよければサインをしてくれ」


 契約内容が記載された羊皮紙を、ヨンに渡した。


 一文字も見落とさないようにじっくりと見ている。


 気が済むまで確認しているといい。


「私は、第四村に行く準備をしてもよろしいでしょうか?」


 自分の婚約に関わる契約書だというのに、ユリアンヌは戦いのことが気になってしかたがないようだ。


 恋愛は人を容易に狂わし、裏切りに走らせるので、戦いにしか興味がない状態は好ましい。


 残念なことに我が領地は争いが絶えないので、警戒を少し緩めて自由に動いてもらった方が、利益は大きくなるかもな。


 もちろん、完全に信じることなんてできないから、ユリアンヌに貸し出す俺の兵で監視する予定だ。


「許可する」


 ずっと面白くなさそうにしていたユリアンヌの表情が、一瞬にして明るい笑顔に変わった。


 アデーレの笑顔が愛らしいと表現するのであれば、ユリアンヌは太陽のように周囲を照らす、力強さがある。


 戦場において、兵を鼓舞するのに使えそうだな。


「ユリアンヌは、この土地に不慣れだろう。第四村に詳しい兵を二名付ける。手足だと思って自由に使って良いぞ」


 こう言っておけば監視役だとは思わないだろうし、拒否されないはずだ。


「よろしいのでしょうか?」


「仮にも婚約者だ。多少の配慮ぐらいはする」


 断られても面倒なので返事を聞かずにルミエに話かける。


「聞いての通りだ。ルートヴィヒに兵を二人選ばせろ」


「かしこまりました」


 ルミエが部屋を出て行ったので、もうユリアンヌでは止められない。


 後で定時報告をさせるように指示しておけば、監視役として機能するだろう。


「お気遣い感謝します。それでは、部屋に置いた装備を取ってまいりますね」


 戦うなとは言ってないので、不満そうではない。


 ユリアンヌはソファーから立ち上がると、ドアに向かって歩く。


「アデーレ案内してやれ」


 好き勝手動かれたくないので、一人にはさせない。


 俺の意図が伝わったようで、アデーレは小さくうなずいてからドアを開けて、ユリアンヌと一緒に出て行った。


 同性だからトイレまでついて行ける。


 勝手に俺の屋敷を調べるような隙はないはず。


 できることはすべてやったので静かに待っていると、ヨンが羊皮紙から顔を離して俺を見た。


「一つ、質問してもよろしいでしょうか」


「何だ?」


「不貞が発覚した場合、即時婚約を解消して賠償金を請求すると書かれておりますが、不貞とは具体的に何を指すのでしょうか」


 一般的には、家族以外の男と二人っきりで会ったら不貞と判断される。


 家に入って夫をサポートするような女性なら、絶対に発生せず問題にならない条件となるが、ユリアンヌの場合は戦いに出るから男と二人になる場面も多い。


 確認しておかないと、俺が金目的で罠にはめるとでも思ったのだろう。


 ジラール家の評判は悪いので、そういった心配をするのは理解できる。


「他の男と寝たら、だな。密会ぐらいでは不貞と言わん」


 ユリアンヌとは別居する予定だし、浮気してもいいのだが、子供ができるのだけは避けなければならない。


 婚約者すらまともに管理できない無能として評価されてしまい、周囲の貴族から馬鹿にされてしまうからな。


 浮気ぐらいの悪評であれば耐えられるが、間男の子供を孕んだとなれば、ジラール家として取り返しのつかない傷になる。


 これだけは避けたかった。


「それでは先ほどのお言葉を、契約書にも記載していただけないでしょうか」


「わかった」


 俺にとっては許容できる範囲だ。


 契約書を受け取ると不貞の定義について備考に追記した。


 ついでに、サインも入れておく。


「他に気になることは?」


「ございません」


「では、サインを」


 羊皮紙をテーブルに置いてから、ヨンにペンを渡す。


 インクを付けて羊皮紙につけようとして、止まった。


「どうした?」


 お互いに納得のいく契約になっているはずだ。


 躊躇する理由が思い浮かばん。


「ジャック様は、ユリアンヌのことをどう思いましたか?」


 顔を上げて俺を見るヨンは、一人の娘の幸せを願う父親の顔をしていた。


 話がまとまる直前で、悪徳貴族で有名なジラール家との婚約が不安になったんだろう。


 父親か。


 前世では結婚をして子供まで作ったが、父親らしいことは何もできなかった。


 ヨンの気持ちが分かるとは思わないが、娘の幸せを願うという感情をバカにしてはいけないことぐらい、理解している。


 ここでユリアンヌを下に見るような発言をしてしまえば、裏切りフラグが立つかもしれん。


 人間、恐怖は忘れても侮辱されたことは死ぬまで覚えている生き物だからな。


「たくましい女性だな。魔物の被害で苦労している田舎の領主としては、好ましい。できれば二人で領地を盛り上げていければと思っている」


 どうやら俺の回答は正解だったようで、ヨンの顔が和らいだ。


「ありがとうございます」


 短くお礼を言うと、ペンを動かしてフロワ家のサインが書き込まれた。


 これによって婚約は成立したことになる。


 ようやく、貴族の面倒な義務が片付いたな。

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