第40話 当然の疑問を口に
それからは体を重ねる日が続いた。
ノルトの風習で言うところの、性欲処理のようなものだ。ロレンツォにとってもそうだろうし、彼の配慮でコリーンにもそうさせてくれているのだろう。ありがたいと思う反面、複雑である。
ロレンツォにとってコリーンは娘のような存在であるにも関わらず、そういうことをさせてしまっている罪悪感があった。それに体を重ねてしまっては、この想いがより強くなってしまった気がする。
この状況全てを許容できる女性が現れたとして、ロレンツォがその女性と結婚することになったとして。果たして自分は平静でいられるだろうか。醜い嫉妬を晒してしまわないだろうか。
以前、腕輪を奪った奴らに見せたような醜い自分の姿は、二度とロレンツォには見せたくない。
コリーンは家政婦なのだということを、強く頭に叩き込んだ。
そんなある日、ロレンツォとコリーンは朝早くにトレインチェを出てノルトに向かった。
ノルトに着くと、なんだか村がせわしない。この賑わいを、コリーンは一度経験して知っている。
「なに? 今日は誰かの結婚式?」
「ああ、そうだ。急ごう」
「言ってくれたら、ワンピース持ってきたのに」
「必要ないさ」
そんなに親しくない人の結婚式なのかもしれないが、それでも普段着での参加は憚られる。もう、と息を吐きながらロレンツォの家に着くと、中ではセリアネが忙しそうに料理を作っていた。
「セリアネさん、手伝います」
「コリーンちゃん、来たのね! こっちよ、急いで」
そう言われて連れて行かれたのは、キッチンではなく別の部屋である。ロレンツォはついてきておらず、セリアネとコリーンだけがその扉の中に入った。
「コリーン!」
中にはなぜか、嫁に行ったはずのユーファミーアが立っている。
「ユーファさん」
「じゃ、ユーファ、お願いね! 私は料理を作らなくちゃ!」
「わかった、そっちはお願い!」
「任せて!」
セリアネはさっさと部屋を出て、キッチンへと戻って行く。なにがなにやらわからず目を白黒させていると、真っ白な服を渡された。
「はい、これに着替えて! 着替えたら、化粧をするわ!」
「なんです、これ」
手渡された白い服を広げてみる。それを見て、コリーンは理解できずに固まった。
「エンパイア……ドレス?」
「レンタルだけどね。結構人気で、日曜のレンタルは一年先まで埋まってたんだって。ちょうどキャンセルが出て、急遽結婚を決めたって言ってたわ」
「……なんの、話?」
コリーンが首を傾げると、ユーファミーアは嬉しそうに微笑む。
「兄さんがコリーンのために仕掛けた、サプライズの結婚式よ!今日は!」
「……え?」
コリーンは再びエンパイアドレスを見る。ユーファミーアはぼうっとするコリーンからそれを奪い、ついでに今着ている服をも奪っていった。
「もしかして、私の結婚式ってこと?」
「そうよ、なに聞いてるの?」
コリーンは青ざめた。きっとロレンツォは自分が結婚しやすくするために、コリーンにも誰かを当てがうつもりなのだ。相手は誰だろう。ノートンか、バートランドか、それとも別の誰かなのか。
ユーファは純白のエンパイアドレスをコリーンに着付けていっている。
「私……誰と結婚させられるの……」
「兄さんに決まってるじゃない!」
兄さん。ユーファミーアとロレンツォには、他に腹違いの兄でもいるのだろうか。それでも血の繋がりがあるのなら、きっとその人も男前だろう。ロレンツォにここまでさせたのだ。覚悟しなければならない。
「なんて名前の人?」
「なに言ってるの? ロレンツォよ、ロレンツォ・カルミナーティ! コリーンが将来を誓った相手でしょ!」
「…………ええっ?!」
めちゃくちゃ驚いたが、それを見たユーファミーアもまた、めちゃくちゃに驚いている。
「『ええ!?』って、どういうことよ? コリーン、兄さんと結婚するつもりはなかったの?」
「そりゃ、ないよ!!」
コリーンの言葉を聞いて、ユーファミーアの櫛を持つ手が止まった。
「うそ……でしょ? 兄さんのプロポーズを受け入れたから、また一緒に住み始めたんじゃないの……?」
「プロポーズ? 私は結婚なんて、全然考えてなくて……ただ眠れないっていうロレンツォのために、一緒に暮らし始めたに過ぎないから」
「じゃあ、兄さんの思い込みだったってこと!?」
コリーンが首肯すると、今度はユーファミーアが青ざめた。
「た、大変! どうしよう………今から結婚式を取り止めだなんて……ああ、もう! 兄さんのバカッ! コリーンの気持ちを確かめもしないで、なにがサプライズよっ」
持っていた櫛を投げ捨てるように落とし、ユーファミーアは自身の金髪を高く括りあげた。
「ちょっと待ってて! 今、兄さんを呼んでくるわ!!」
玄関から出るのももどかしかったようで、ユーファミーアは窓から外に飛び出る。そして外に繋ぎとめてあった彼女の相棒のユキアラシと共に、猛スピードでどこかに駆けていった。
残されたコリーンは、座り込みたい気分だった。が、ドレスを汚すわけにもいかず、そのまま立ち尽くす。
目の前の鏡を覗くと、純白のドレスを身に纏った自分がこちらを見ていた。
あ、似合うな。
その姿を見て思ったのが、それだ。
ロレンツォの見立ては正しい。きっと他のドレスだったなら、どこか違和感があっただろう。コリーンらしさがあふれる一番のドレスが、この形のドレスに他ならない。
自分のウェディングドレス姿に見とれていると、ロレンツォがシラユキに乗って駆けてきた。ロレンツォの服装もまた、白い礼服である。
「コリーン!」
「ロレンツォ!」
「「どういうこと」だ!?」
二人して同じことを問い、ロレンツォはシラユキから飛び降りると、そのまま窓から浸入してきた。
「どうして私とロレンツォの結婚式が今日、開かれてるの?」
「ユーファに聞いた! どうして俺の思い込みだなんて言うんだ!?」
またも同時に質問が飛び交い、コリーンは首を傾げてロレンツォは顔をしかめた。
「確かに、驚かせようと勝手に結婚式を企画したことは謝る……だが、コリーンは喜んでくれると思って」
「どうしていきなり結婚になるの?」
「いきなり? いや、順序は踏んだつもりだが」
「どこが? 全然だよ」
コリーンがそう言うと、ロレンツォの顔は明らかに曇った。
「……俺は、結婚を断られているのか?」
「というか、どうしてこうなったのか説明をお願い」
「それは俺の台詞だ。どうしてここまできて……もしかして、体の相性が悪かったか?」
昨晩を思い出して、コリーンは顔を赤らめながら左右に首を振る。
「まさか……ロレンツォとは、その……よかったよ……」
「ああ、俺も最高だった。じゃあなにがいけない? まだ借金が残ってるからか? それもあと二ヶ月もあれば返し終える」
「そんなことは問題じゃないよ。私は家政婦でしょ。どうしてその家政婦と結婚なんて話になるのかを聞いてるの」
「家政婦……?」
ロレンツォは、さらに顔をしかめた。
「コリーン、お前は家政婦としてうちに来てたのか?」
「うん」
「婚約者としてじゃなく?」
「どうしていきなり婚約者?」
素朴な疑問をぶつけると、ロレンツォは大仰に首を振って頭を抱えている。
「待て。待ってくれ、コリーン。俺のプロポーズに、お前は頷いてくれたろう?」
「プロポーズ? いつ?」
「まだコリーンが寮にいた時、俺はお前にずっと傍にいてほしいって言っただろう」
「え!? あれ、プロポーズだったの!?」
驚愕だ。驚愕という言葉はこんな時にこそ相応しいと思いながら、ロレンツォの苦り切った顔を見つめる。
「わかってなかったのか? 国語教師のくせに……」
「国語教師は関係ないよ! そういう話の流れじゃなかったのに、いきなり言われても分からないから!」
「いいや、俺はそういう話の流れに持っていった」
「持ってってない! ロレンツォが眠れないってことと、私の恩返しって話だったでしょ?」
「それでも俺は……いや、よそう。今これを言い争っても仕方がない」
はあっと嘆息し、ロレンツォは今までの状況をまとめ上げる。
「つまりコリーンは、俺のプロポーズに気付かず、家政婦としてうちに戻ってきたと」
「うん」
「俺と結婚する気は毛頭なかったと」
「うん」
「ただの恩返しとして、俺の傍に一生いてくれるつもりだったと」
「うん」
「自分は結婚もしないでか?」
「うん」
全てを肯定すると、コリーンの頭は少し乱暴にグシャグシャと撫でられた。
「コリーン、俺がお前にそんなことを望むと思ってるのか?」
「……ううん」
「おかしいと思わなかったか?」
「眠れずに、切羽詰まってるのかと思って」
「まぁ確かに、コリーンがいなきゃ、俺は眠れなかったからな。……お前のことを、考えすぎて」
「……」
ここまで聞いても、やはりどこか納得いかない。疑問があり過ぎる。ただそれを上手く言葉に表すには、多少の時間を要した。
「……どうして結婚っていう考えに辿り着いたの? ロレンツォにしてみれば、私は娘で妹で、そういう対象じゃなかったはずでしょ? 私を傍に置いておきつつ、別の人との結婚が一番理想的な形のはずなのに、どうして私なんかと結婚をしようって思ったの?」
当然の疑問を口にしただけなのに、ロレンツォはまるで信じられないものを見るかのように目を広げている。
「わからないのか? ベッドの上で、あれだけコリーンを愛していると言ってきたというのに」
「あれは、ただのピロートークでしょ?」
「愛してなければ、そんなことは言わない」
ロレンツォの真剣な表情に、コリーンはやっと顔を火照らせた。愛していなければ言わない、ということは、つまりは愛してくれているから言ってくれたということ。
「で、でも……じゃあどうして記者に婚約者だって言わなかったの?」
「ずっとサプライズで結婚式を挙げたいと思っていたからな。結婚が近いと思われて詮索されては、折角内密で事を運んでいた結婚式が、無駄になるだろう?」
「ずっと私に貴族の誰かを当てがおうとしてたじゃない」
「そうしようと思っていた時期もあるな。準貴族の俺でもいいか?」
「ロレンツォ……私のこと、好きなの?」
「ああ、愛してる。何度も言ったろう?」
やっと理解と納得ができかけてきた。それでも生まれてくるのは、喜びよりも先に疑問だ。
「いつから私のこと、そんな風に思ってたの?」
「そうだな……ちゃんと自覚したのは、コリーンが教師になるために寮を出た時だ。でも、合格発表の時から……いや、もっと以前。ケイティ嬢をうちに招いた時から、その片鱗はあった」
丁度、コリーンがロレンツォへの想いに気が付いた頃と被る。結局三年近くも両思いだったということかと、コリーンは思わず笑っていた。
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