第16話 温かい家族に

 コリーンがロレンツォへの気持ちを封印して二ヶ月。

 何事もなかったかのように毎日を過ごしていた、ある日のこと。

 コリーンはロレンツォに教師になる夢を話すと、彼は学費は出すから大学に行けと言ってくれた。辞退すると、家族なんだから遠慮しなくていい、出世払いで返してくれればいいと言われ、コリーンは甘えることにする。

 大学の入試はまだまだ先だが、それまでにヴィダル弓具専門店を辞めて、引き継げる人を探さなければならないだろう。最初はディーナに全てを教えて辞めるつもりでいたが、彼女は妊娠したらしいので、ずっと店にいるというわけにはいかなくなるはずだ。


 そんな折、ロレンツォの提案でノルト村に行くことになった。

 ユメユキナのお婿探しだが、上手くいった暁にはコリーンに命名させてやると言ってくれた。馬の名前なんて考えるのは初めてだ。ユキの血統だから、やはりユキという字は外せないだろう。なにがいいか考えていると、生まれる前から考えるつもりかと笑われてしまったが。


 仕事を二日休みを取ると、コリーンはロレンツォと共にノルトの村にやってきた。

 トレインチェとは違い、どこかコリーンの生まれ故郷に似た雰囲気のある村である。


「お、バート」

「あ! にいちゃん! おかえり!」


 厩舎に行くと、馬の世話をする少年の姿があった。バート、と呼んでいるところを見ると、弟のバートランドだろう。背は高くがっちりした体躯。そして四角い顔の男の子で、あまりロレンツォとは似ていない。


「お前、士官学校に行かなくて本当によかったのか?」

「うん、俺、剣も持ったことないし。家を継ぐことにするよ。畑は俺にくれるだろ?」

「ああ、もちろん」

「よっしゃっ! で、その人は?」


 バートランドは視線をこちらに向けている。


「俺のトレインチェでの妹みたいなもんだ。家の事を色々と手伝ってもらっていてな。コリーンというんだ」

「初めまして、コリーンと申します」


 コリーンはバートランドに、深々と頭を下げた。長年、ロレンツォから話を聞いてきたが、会うのは初めてである。実に感慨深い。


「こんにちは、次男のバートランドです。ゆっくりしてってね」

「はい、ありがとう」


 ロレンツォは厩舎にユメユキナとユキヒメを繋ぐと、そのままコリーンを連れて彼の友人アルヴィンのところに行った。

 込み入った話があるというアルヴィンに、ロレンツォはコリーンに離れていろ、という素振りをした。仕方なくコリーンは、村の中を散策してまわる。

 ノルトの村は大きく隆起した丘はあるが、山はない。見渡す限り畑で、中心地には学校と、多くの家が建っている。

 ロレンツォの家は中心地からかなり外れているようだ。そういえば学校に通うのに、馬を飛ばしていたと言っていたことがある。騎士団一の速さを誇ると言われている理由が分かった気がした。

 やることもなくうろうろとしていると、色んな人に声を掛けられた。

 どっから来た? どこの子? ノルトに何の用? 迷子? 食べ物はある? うちに泊まってく?

 それらを適当にかわしながら、そろそろ戻った方がいいかと踵を返すと。


「こんにちは、なにしてんの?」


 またも村人に声をかけられた。今度はロレンツォと同年代くらいの男の人だ。


「ちょっと、時間潰しです」

「へぇ、付き合おうか?」

「いえ、もう潰し終わったんで戻ります」

「どこに戻るんだ? ここ初めてだろ? 送るよ。俺、ノートン。君は?」


 なんだかやたら馴れ馴れしい。その男は当たり前のようにコリーンに連れ添って歩いている。


「……コリーン」

「コリーン、今日はどこに泊まるんだ? アルバン? ここにはホテルはないからな。もしよかったら、俺ん家に泊まってく?」


 この村の人は親切過ぎるのかなんなのか。コリーンは無言で首を横に振った。


「どっか泊まる当てはあるのか?」

「知り合いの家に泊めてもらうつもりだから」

「知り合いって? 誰の?」


 もう、面倒臭いなぁ。


 そう思っていると、前から別の男二人組が現れて、囲まれてしまった。


「よう、ノートン。この子誰?」

「可愛い子だな。今日どこ泊まるの?」


 どうやらノートンの友人らしい。

 男三人に囲まれ、抜け出すこともできずにやいのやいのと言われていると。


「お、ロレンツォ。帰ってたのか」


 道の向こうから、救世主が現れてホッとする。


「ゼフ、グリー、ノートン、久しぶりだな」

「この子、お前の女か?」

「まぁ俺が連れて来たには違いないが、別に俺の女というわけじゃないよ」

「ふーん、そっかそっか」


 ロレンツォはいきなりコリーンの手を取った。そしてグイっと引っ張られる。


「じゃあな」


 困っていたのは確かだが、そういう態度はどうだろうか。コリーンはロレンツォの心象を悪くしないように、手を引かれながら振り向いた。そして軽く会釈をしながら「失礼します」とだけ言って彼らと別れる。


「ロレンツォ……、ちょっと、痛い」

「ああ、すまん」


 グイグイと引っ張られていた手は解放された。そしてロレンツォは赤い野菜を差し出して来る。


「トマト? 食べていいの?」

「ああ、ちょっとそこに座って食べてくれ。話もある」


 言われた通りに道端に座ると、トマトを頬張った。それの瑞々しく美味しいこと。そのトマトを堪能していると、ロレンツォが真面目な顔でこちらを見ている。


「今日は俺の家に泊まって貰う事になるが、ちょっと注意しておきたいことがある」

「ふわああ、このトマトおいしい……え? 注意?」

「ああ、まぁ食べながらでいいから聞いてくれ」


 ロレンツォは、ノルトの風習を話してくれた。

 ノルトには、夜這いという風習があるということを。そのルールを、ロレンツォは細かくコリーンに説明してくれた。


「まぁ、コリーンが気をつけて欲しいのは二点だ。最低三分は会話すること。断る際は邪険に扱わないこと。あとは自己責任だ。別に構わないと思う相手なら、受け入れればいい」

「初めてこの村に来たのに、そんな人はいないよ、きっと」

「それならそれでいいさ。でもまぁ心構えというか、ルールだけは知っておいてもらわないとな」

「うん、わかった。それにしても不思議な風習があるんだね」

「元は過疎化対策だったらしい。二百年以上前の話だが、この村は過疎が進んでいて、こんな対策を取らざるを得なかったんだと。その頃の夜這いはかなり無秩序で、ルールが明文化されたのはここ百年のことだそうだ。今では出会いの場、結婚前の相性チェック、性欲処理としての意味合いが強いな」

「……性欲処理……」


 最初の二つはまだしも、性欲処理は如何なものか。確かに無理矢理犯されて処理されるよりはよっぽどいいだろうが。

 コリーンのした嫌な顔を見て、ロレンツォはニヤリと笑った。


「女の側だって性欲処理になるだろ? 一人でするより、よっぽどいいんじゃないか?」

「も、もう!!」


 コリーンはバシッとロレンツォを叩く。もうあの時のことは忘れ去りたいというのに、ロレンツォはさも当然のようにそれを話してくる。

 はは、と笑うロレンツォに、悪気はこれっぽっちも見当たらない。こういう男なのだ、悩むだけ無駄であろう。コリーンは羞恥と怒りの息を吐き出して気をおさめる。


「じゃあ戻ろう。皆帰って来てるだろう」

「うんっ」


 ロレンツォの家に着くと、家族全員が揃っていた。初めて会うロレンツォの家族。やはり少し緊張してしまう。


「ただいま」

「おかえり、ロレンツォ。その子がコリーンね。バートから聞いたわ」


 ロレンツォに似た女性がニッコリと笑った。


「母のセリアネだ。父のレイロッド、妹のユーファミーア、さっき会ったが、弟のバートランド」


 セリアネは長い黒髪の美人だ。ロレンツォに似ている。レイロッドは金髪のこれまた男前である。顔の形がやはりロレンツォに似ている。

 ユーファミーアは父親に似たであろう金髪に、彫りの深い美人だった。顔もどちらかと言えば父親似だろう。

 そしてバートランドは癖のある赤毛に、四角い顔立ち。逆三角の顔をしている他の家族に比べて、少し異色である。


「初めまして、コリーンと申します。ロレンツォ様の家の召使いをしております。この度は急にこちらにお邪魔することになりまして、誠に……」

「やめろ、コリーン。堅苦し過ぎだ。普通でいい、普通で」


 しかし、一応召使いという設定で来ている。あまりフランクになり過ぎるのもどうだろうか。今の関係はどちらが召使いか分からぬくらいに、ロレンツォをこき使ってしまっている。だからせめて、彼の家族の前でくらいはへりくだっておこうと考えていたのだが。


「いやー、しかしロレンツォが召使いを雇うようになるとはな! 偉くなったもんだ!」


 雇ってません、レイロッドさん……


「トレインチェでも大きな屋敷に住んでるんでしょ? すごいわ、ロレンツォ!」


 彼はその屋敷に殆ど帰らず、ベッドしか置けないような狭い部屋に寝泊まりしてます、セリアネさん。


「毎日帰ったらご飯が出来てるんでしょ? 楽な生活だよねー」


 すみません、そんな楽な生活を送らせて貰ってるのは私です、ユーファミーアさん。


「何でも欲しい物、買いたい放題なんだろ? やっぱ騎士はいいなー」


 おそらくロレンツォは、ほとんどを仕送りやあなた達の貯金に回してます。そして、多分、私にも。うう、申し訳ない。


 コリーンは身の置きどころがなくて、小さくなった。本来なら、本当にロレンツォの召使いになって、今までの恩を返すべきなのだろう。なのに家事をさせ、大学に行く費用までも負担させようとしてしまっている。

 コリーンが身を硬化させていると、それを察したかのようにロレンツォはコリーンの頭をポンと叩いた。


「確かにコリーンはうちで働いてもらっているが、ユーファ同様、妹のような存在なんだ。俺は、家族の一員だと思ってる。だから皆も、そのつもりで接してやってくれ。もちろん、コリーンもだ」



 ロレンツォがそう言うと、彼の家族は一様に頷いた。


「ああ、ロレンツォが家族というなら、俺たちにとっても家族だ」

「コリーンちゃん、自分の家だと思ってゆっくりして行ってね」

「コリーンって呼んでいい? 私はユーファでいいわ!」

「やったー! 俺、優しい姉ちゃんが欲しかったんだ! ユーファの代わりにここに住みなよ!」

「なんですって!? バート!!」


 キッとバートランドを睨むユーファミーア。

 なんだか胸が熱くなる。家族が、増えた。もちろん、本当の家族にはなり得ないが、それでも。

 死んだ両親を、セリアネとレイロッドに重ね合わせる。胸は燃えるように熱く、目からは雫が流れ落ちそうだった。

 そんな彼らに、コリーンはやはり深々と頭を下げる。


「ありがとうございます、よろしくお願いします!」


 コリーンの姿を見て、やはりロレンツォは苦笑いをする。そのロレンツォと同じ表情でセリアネもレイロッドもユーファミーアも笑い、バートランドだけは屈託なく笑っていた。

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