第15話 『心無い人間』が死んだ場合

 生前、誰かのために尽くしたり、人を大切に思う心を持ち、人を愛する、動物を愛する、地球環境を愛することのできた人間だけが、自由で永遠の享楽きょうらくを与えられる幽霊になることができる。

 自分の周囲の他者を、意図的に傷つけてきた人間、いわゆる『心無い人間』は、死後、幽霊になることはできない。

 何故ならば、『心が無い』からである。

 彼らには肉体しかない。目に見える物質しか重視しないので、死んだときに全て燃やされてしまい、何も残らないのだ。

 なので、生前『心無い人間』であった場合は、死んだら終わりなのである。

 心有る善人だけが、死後の幽霊としての特権を得られるのである。


 生前、善人であった男が霊界で妻と再会して、毎日のようにイチャついているらしい。

 生前、老後に二人で行きたかった場所に、旅行費用をかけずに自由に見聞みききし、旅行客に憑依ひょういして美味しいものを食べ、自由な享楽を二人で満喫まんきつしていた。

 二人には、心があったからだ。


 幽霊が残酷ざんこくなことをするのは、生前の恨みを晴らすためである。

 亡くなった善人が生前、ひどいことをされてきた場合、加害者側が認識していない場合でも、霊界においては全てお見通しである。

 調査報告を受け、幽霊の戦闘部隊が時空を超え、それに見合った罰を、生きている加害者に与えるのだ。


 『因果応報』は、完全に成立するのである。


 『死人に口なし』とは、愚かな人間の妄言もうげんである。


 善人の心しかない世界、それが『霊界』なのである。


 人間が生きている間の期間、というのは全て、『霊界』に行かれるか、行かれないのか、を分別するための『修練』『精進』『試験』である。

 生きている間に、しっかりと『精進』してきた者に、死後の楽園が与えられるのである。


 『霊界』に逝かれた魂は、生前、大抵、誰かのために苦労をしてきている。

 苦労を、苦労とも思わずに、善行を信じて、もくもくと行い続けてきている。


 しかし、目に見えるもの、物質、肉体しか信じない者は、目に見えないものを軽視し、死後の世界を軽視していることが多く、生きてる間にむさぼれるだけ貪ろう、とするものである。

 それが、いかりを生み、おろかかしい結末に達する。

 そのことを、悟ることが出来ればまだマシだが、そのような愚かさに、気付くことなく、相手を傷つける道を邁進まいしんした場合に、霊界には通じない道しか与えられないことになり、死後の自由や享楽を得ることは不可能であり、死んだら終わりになる命となるのだ。

 『霊界』には、そのような非情で愚かな幽霊は一体もいない。

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